■ Novels


戦場の天使
オリジナル小説 『SCARLET WARS』 の続編になります。
よろしければ、先に 『SCARLET WARS』 をお読みください。

マリナ : 元ネイゲルディアの王女。二十歳。テリスの営む料理屋の看板娘。金髪の美人。
テリス : マリナの友達の青年。十七歳。マトランダに住んでいたが、マリナと二人でフェイミに。
エナバリス : フェイミの将軍。テリスの店の常連客。武才のあるマリナを部下にしたいと思っている。
マフエル : エナバリスの部下で、彼の娘と恋仲だったが、マリナに一目惚れしてごちゃごちゃに。
ウィレア : エナバリスの娘。恋人のマフエルがマリナになびいたことで、彼女を逆恨みしている。
黒髪の魔法使い : 性格のねじ曲がった人。今回の事件の元凶。ちまちま登場してマリナに絡む。

 流れる血、千切れ飛ぶ腕、鬨の声と絶叫、崩れ落ちる身体、消えていく生命。
 夜が明けてなお、攻撃は止んでいなかった。北門はかろうじて持ちこたえていたが、マリナが恐れた通り彼らは仲間の死体を乗り越えて侵入してきた。
 もっとも、もはや地上を埋め尽くすほどは残っていない。火の効果は絶大で、火力の強い油によってかなり多くの敵を殲滅することに成功していた。
 城内では一晩身体を休めて、どうにか指揮を執れるまでには回復したエナバリスと、将軍プティバン、そしてフェイミの城主であるユネイルによって一進一退の攻防が続けられていた。
 マリナも数時間仮眠を取った後、再びエナバリスの指揮下で戦っていた。もっとも、実際に命令しているのはほとんどマリナだったが。
 そんなマリナの様子を、ウィレアは後方の部隊に加わり、剣を振るいながら見つめていた。マリナの活躍は英雄的で、個の武も将軍格である。それを誰もが賞賛していたが、そもそもそれ自体に誰も疑問を抱かないことにウィレアは苛立っていた。
(どう考えてもあの力は異常よ。弱い部分を斬れば人間にも一撃で仕留められる? 嘘つかないで。そんなことができるのはあんただけ。人間には無理よ)
 実際、マリナは時々襲いかかってくる連中を難なく切り捨てていた。しかもその時はなるべく目立たないように行動している。ウィレアのように、ずっと観察している者でなければその不自然さに気付かないだろう。
(この戦いの最中にあんたの化けの皮を剥いでやる。いいえ、混乱に乗じて、あんたを殺してやる!)
 ウィレアの目は敵を映してはいなかった。ただマリナの姿を追い、確実に、そして誰にも見られることなく殺すことができる一瞬を探していた。

 その頃、テリスはエナバリスの傍らにいた。意味があったわけでも、誰かが頼んだわけでもない。
 テリスは安全な場所からマリナを見守りたかった。それには、動けないエナバリスが指揮を執っている場所が丁度よかったのである。
 テリスとマリナの関係は周知のことだったし、テリスはエナバリスの知り合いでもあった。指揮を執るエナバリスと数人の腹心、そこに交ざって立っている姿に違和感はなかった。
 テリスはずっとマリナを見つめていたが、ふとウィレアの姿を認め、そのウィレアがずっとマリナを睨み付けていることに気が付いた。
 マリナはウィレアを嫌ってはいなかったが、テリスはそうではなかった。自分の愛する女性にあからさまに敵意を見せている人間を好きになれるはずがない。
 しかもそれは逆恨みだった。元々マフエルのことも好きではないし、そのマフエルが勝手にマリナを好きになったことでマリナを恨むのはお門違い極まりない。
 テリスはマリナを見守りながら、ウィレアを監視していた。彼女の視線には殺意がある。しかし証拠はない。エナバリスに話すことではない。
(マリナはボクが守る)
 テリスは拳を握り、心の中で何度もそう繰り返した。

 日が街壁より上まで登った。
 兵士たちには色濃い疲労が見られた。マリナもひどく疲れていた。能力はなるべく使わないようにしているが、小さな反動の積み重ねで身体はボロボロになっていた。
(少し休もう……)
 一瞬眩暈を覚えて、マリナは限界を感じた。これ以上戦っていても無駄死にするだけである。
 エナバリスの方へ馬首を向けたとき、マリナの視界の端に巨大な影がよぎった。見ると、エイが一体街壁を越えて侵入していた。
「あっ……」
 マリナは反射的に馬を下りた。エイが急降下する。その先で待ち構える一団の中に、マフエルの姿を見た。
 ぞくりと悪寒が走る。
 無意識にマリナは駆け出した。若手ばかりのその一団が、あのエイを撃墜できるとは到底思えない。放っておけばマフエルが死ぬかもしれない。
 ここは戦場であり、すでに何人もの知り合いが命を落としていた。しかし、マフエルはその中でも特に「身近な人間」であり、優先的に守るべき対象だった。
(間に合わない……)
 マリナは悟った。しかし大声を出す元気は残っていなかった。
 ごくりと一度唾を飲み込む。
 助ける方法はある。能力を解放し、全速力で走れば間に合う。そしてあのエイを一人で、一撃で始末する。
 だが、それをすれば自分が特殊な人間なのだと周囲に知られるだろう。それによって失う物は、果てしなく大きい。
 一度目を閉じた。
(でも、マフエルの命には代えられない……)
「フォルツ・イ・リリーサプレスト……」
 マリナは能力を解放した。
 そして──

 マリナが戦線を離脱した瞬間、ウィレアも隊を離れた。絶好の機会と思ったわけではなかった。マリナが今までと異なる動きをしたことが気になったのだ。
 やがてマリナはふと馬を止めて顔を上げた。ウィレアは馬を駆り、一気にマリナとの距離を縮めた。そして弓の射程圏内で馬を下りて、さらに近付く。
 マリナが馬から下りて走り出す。マリナしか映していない目には、巨大なエイの姿も、その先にいる幼馴染みの姿も映っていなかった。
 物陰に隠れて矢筒から矢を引き抜き、弓を引く。距離はあるが当てる自信があった。
「死ね、人殺し!」
 狙いを定め、ウィレアは弓を引く手を離した。

 すべてを、テリスは認知していた。
 マリナが戻ってこようとしたこと。馬を止めたこと。それがエイによるもので、その先にマフエルがいること。マリナが能力を解放して、彼を助けようとしたこと。
 そして、そんな彼女に向ってウィレアが弓を引いていること。
 テリスは駆け出した。蒼白になり、思わず叫んだ。
「マリナーーーッ!」
 絶叫して、なおテリスは駆けた。

 能力を解き放ち、一歩踏み出した瞬間、マリナは自分の名を呼ぶテリスの声を聞いた。
 あのテリスが、この場所で、自分の本名を叫んだ。
 反射的に伏せた。前に倒れこんだのは賢明ではなかったが、幸いにもウィレアの放った矢はマリナの髪をかすめただけだった。
 テリスが駆け寄り、マリナの身体を抱きしめる。
「マリナ! しっかりして!」
 今にも泣き出しそうな顔のテリスを片手で押しのけた。膝をついて顔を上げると、ちょうどエイが一団に降下するところだった。
「逃げて!」
 叫んだが、かすれた声が漏れただけだった。
 マフエルを含む数人がエイの下敷きになった。叫び声が轟く。
「くっ……!」
 マリナは思わずテリスの腕にしがみつき、袖に顔を埋めた。
「バカ! ウィレアのバカ!」
「ウィレアに気が付いてたの?」
「いるのは知ってたわ! でも、まさかこんなこと……もういいわ! テリス、エナバリスのところに戻って! まだ戦いは終わっていない! それから、私の名前を呼ばないで!」
 テリスの手を払い除けて立ち上がる。目から溢れた涙を拭い馬に跨った。
 ふと見下ろすと、テリスは泣きそうな顔でマリナを見上げていた。
 マリナは優しい眼差しで微笑んだ。
「助けてくれてありがとう。本当に好きよ、テリス」
 すぐに厳しい表情をして、マリナはスピアを握ってエイの化け物に向かって行った。

 その事件は、ほとんど誰の目にも止まらなかった。
 マリナのいた場所は前線でもなければ、後方部隊の中でもなかった。あまり人目につかない場所。だからこそウィレアは彼女を狙ったのだ。
 そしてテリスの声を聞いた者もいなかった。ただ一人、将軍エナバリスを除いて。
 エナバリスはまずテリスの声を聞き、次にマリナが地面に倒れ込むのを見た。頭上を通り過ぎた一本の矢。
 矢の出所を見ると、自分の娘が弓を持って立っていた。
 そしてエイに押し潰された自分の隊の若者たち。
 最後にテリスの声が脳裏にこだました。
「マリナ?」
 思い当たる人物は浮かばなかった。少なくとも、その時は。
 だからすぐに忘れ去った。代わりにマリナに弓を射た娘のことと、たった今死んだマフエルの顔が脳裏をよぎり、エナバリスは頭を抱えた。
「バカが……」
 エナバリスは周囲に気付かれないように肩を震わせた。
 数十年ぶりに流した涙だった。

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