■ Novels


戦場の天使
オリジナル小説 『SCARLET WARS』 の続編になります。
よろしければ、先に 『SCARLET WARS』 をお読みください。

マリナ : 元ネイゲルディアの王女。二十歳。テリスの営む料理屋の看板娘。金髪の美人。
テリス : マリナの友達の青年。十七歳。マトランダに住んでいたが、マリナと二人でフェイミに。
エナバリス : フェイミの将軍。テリスの店の常連客。武才のあるマリナを部下にしたいと思っている。
マフエル : エナバリスの部下で、彼の娘と恋仲だったが、マリナに一目惚れしてごちゃごちゃに。
ウィレア : エナバリスの娘。恋人のマフエルがマリナになびいたことで、彼女を逆恨みしている。
黒髪の魔法使い : 性格のねじ曲がった人。今回の事件の元凶。ちまちま登場してマリナに絡む。

 雨足はより強まっていた。白いマントはもはや見当たらず、足跡を辿るすべもない。
 マリナは舌打ちをした。やはりテリスと言い合いをしていたのがロスだった。
 もちろん、それは自分のミスであって、テリスを恨む気などまったくなかったが、とにかく見失ったという事実がここにある。
「どっちかしら……」
 唇をかむ。相手は手練かもしれない。下手な尾行をして逆に待ち構えられていたら危険だ。
 しかし、追わなければいけない。第六感が警鐘を鳴らしている。
 とにかくどちらかへ駆け出そうとした刹那、マリナは店のすぐ近くに一人の男が立っているのに気が付いた。
 先ほどの白マントではない。三十前後の黒髪の男で、人を小馬鹿にしたような顔つきをしている。夜だというのに剣の一本も持っていない。しかし武には精通していそうな風貌だった。体術の使い手かもしれない。
「あなた、何者?」
 油断なく尋ねると、男が顔つきに似合う、へらへらした喋り方で言った。
「白いマントを追うんだろ? その男ならそっちに行った」
 指を差したのはマリナが行こうとしていた方の逆だった。大通りではなく、場末に向かう道だ。
「あなた、何者?」
 静かにもう一度問う。
「通りすがりの第三者さ。早く追わないと見失うぜ」
 罠かもしれない。この男は怪しすぎる。しかし、男の言うことは確かだった。
「なんで教えるの?」
「簡単だ。お前がさっきの男に追いついた方が面白そうだからだ」
 マリナは男の指差した方に駆け出した。この男は性根がねじ曲がっている。ならば、恐らく嘘はついていないだろう。
 しばらく走り、少し広い通りに出る。左右を見ると、左の方向に小さな人影があり、ずっと先の道を右に曲がって行った。
 マリナは急いで駆けて、一つ前の道を曲がる。向こうが旅人なら、地の利はマリナの方にある。
 かくして、マリナは先回りに成功した。廃屋の多い場末の一角。そこで白マントと対峙する。
「大体、旅人がこんな場所に来ることからして怪しいのよ。あなた、何者なの?」
 剣を抜き、油断なく構えたまま問いかける。
 男は困った顔をした。もっとも、余裕は崩さなかったが。
「戦うつもりはないが」
「私にはあるわ。私には守るべき人と生活がある。それを脅かす存在はすべて排除する」
「一介の料理屋の娘に似つかわしくない台詞だな。ただ店に入って料理を食っただけの俺が、どうしてお前を脅かすんだ? 何を勘違いしている?」
 マリナは目を細め、剣を強く握り直した。
 もしも本当に勘違いだとしたら、自分はとんでもないことをしようとしている。誤って人を殺せば、いやたとえそうでなくとも、自分から斬りかかれば重罪だ。
 唾を飲み込んだ。そして、言った。
「私がネイゲルディアの王女マリナだって、あなたは知っているのでしょう?」 
 一瞬、男の表情が険しくなった。それだけでよかった。その反応はマリナを知っている人間のものだった。
「せぁっ!」
 強く地面を蹴り、鋭い太刀を放つ。
 男が剣を抜き、その一撃を受け止めた。
「戦う気はないと言っているだろう!」
 男が剣を振り下ろす。受け止めた腕が痺れ、膝が崩れそうになった。
(つ、強い……!)
 マリナは一歩下がり、下段から突きに行く。男は俊敏な動作でそれを避けると、マリナの剣を叩き落とそうとした。
 先に薙ぎ上げる。切っ先が男の腕をかすめ、服に血が滲んだ。
「わからず屋の王女だ! いいだろう、お前を敵と認識しよう!」
 男がものすごい勢いで斬りかかってきた。
 ガキッ! ガキッ! ガキッ!
 鋭い太刀筋にマリナは完全に防戦一方になった。段々腕が痺れてきて、疲れのせいで反応も悪くなる。
 ついに切っ先が肩をかすめた。怪我はなかったが衝撃によろめく。
「くあっ!」
 踏みとどまった隙に、男の剣がマリナの剣を絡め取った。
 キンッと澄んだ音を立てて剣が空を舞う。
 次の一撃を警戒してマリナは大きく後ろに跳んで距離を取った。
 男が一歩踏み出して、低い声で言った。
「さあどうする、王女。繰り返すが、俺はお前を殺す気はない。だが、まだ戦うというのなら、少し痛い目を見てもらうが」
「あなた、何者なの? マトランダの回し者?」
「答える必要はない。質問しているのは俺の方だ」
 マリナは長い息を吐いた。力の差は歴然としている上、自分の剣は絶望的な場所に落ちている。もはや勝ち目はなかった──普通に戦えば。
(しょうがない、使おう。使って、殺そう)
 この男の正体はわからない。しかし少なくとも味方ではなく、自分の正体も知っている。初めからマリナを探していたと考えるのが妥当だ。
 自分は正体を知られるわけにはいかない。ならば答えは一つだった。
「フォルツ・イ・リリーサプレスト……」
 マリナはかすかに目を閉じ、呼吸を整えてそう呟いた。
「ん? なんだ? 何か言ったか?」
 男が怪訝な顔をする。
 マリナは顔を上げ、そして、地面を蹴った。
「なっ……!」
 一瞬だった。とても人間のそれとは思えない跳躍力で男との間を詰めると、マリナは拳を放った。
 ずぶりと、拳が男の腹にめりこみ、男が目を見開いた。口の端から唾液が飛散する。
 間髪入れずに、掌の付け根で顎を打つ。男は辛うじて避け、剣を振り下ろした。
 マリナはそれを俊敏な動作でかわすと、目にも止まらぬ速度で男の腕をつかみ、掌手で肘を打つ。
 ゴキッと骨の折れる音がし、男が苦痛に顔を歪めて剣を落とした。
 刹那、マリナは腹部に痛みを感じた。男がもう片方の拳で殴りつけたのだ。
 軽く飛ばされる。しかしすぐに体勢を整え、地面を蹴る。
 右手が男の首をとらえた。
「ぐあっ!」
 そのまま片手で首を締め上げる。男が折れていない方の腕でマリナの髪をつかんだ。マリナがもう片方の手でその肩を潰すと、男はすぐに手を離した。
「私だって、殺したくなんてないのよ。静かに暮らしていたかったのに!」
 いきなり男がぐったりして、右手の指が首に深くめり込んだ。手を離すと男の身体がどさりと崩れ落ちる。
 肩で息をしながら、マリナは男の剣を取り、その切っ先を男の心臓に当てた。
「世の中には、知らない方がいいこともあるのよ」
 ズブリと、剣が男の胸を貫くと同時に、通りの方から「ひっ!」と息を飲む声がした。
 顔を上げる。青ざめた顔で立っていたのは、マリナより少し幼い、亜麻色の髪をした少女だった。
「ウィレア……!」
 マリナはゆらりと向き直った。その時自分がどんな顔をしていたかはわからない。ただ、いつも強気な少女は、今にも泣き出しそうな、追い詰められた顔をして一歩後ずさり、そのまま駆け出した。
「あっ!」
 マリナは追おうとして、やめた。追ってどうするというのだ。
 目撃者は排除する。だが、ウィレアを殺すわけにはいかない。エナバリスの娘だし、今日その彼に、少女を自分の守るべき『身近な人間』に含めると約束したばかりである。
「エナバリスさん、娘の仕付けがなってないわ。なんでこんな時間にこんな場所にいるのよ……」
 マリナはしばらく立ち尽くしてから、開き直ったように苦笑した。それから自分の剣を拾い上げて腰に佩く。
 男のマントを脱がせてまとうと、片手で軽々と男の死体を持ち上げた。
 雨はさらに強く大地を打ち付ける。
 誰もいない闇の中に、男を担いだマリナの身体が消えていった。

←前のページへ 次のページへ→