■ Novels


戦場の天使
オリジナル小説 『SCARLET WARS』 の続編になります。
よろしければ、先に 『SCARLET WARS』 をお読みください。

マリナ : 元ネイゲルディアの王女。二十歳。テリスの営む料理屋の看板娘。金髪の美人。
テリス : マリナの友達の青年。十七歳。マトランダに住んでいたが、マリナと二人でフェイミに。
エナバリス : フェイミの将軍。テリスの店の常連客。武才のあるマリナを部下にしたいと思っている。
マフエル : エナバリスの部下で、彼の娘と恋仲だったが、マリナに一目惚れしてごちゃごちゃに。
ウィレア : エナバリスの娘。恋人のマフエルがマリナになびいたことで、彼女を逆恨みしている。
黒髪の魔法使い : 性格のねじ曲がった人。今回の事件の元凶。ちまちま登場してマリナに絡む。

 西の空は一面の夕焼けだった。頭上には黒みを帯びた青と、所々に白く光る星。雲はない。
 眼前には美しく輝く海があり、沖の方に船影があった。
 その光景を、ドリスの墓の隣に腰かけ、マリナはぼんやりと眺めていた。いつもならばそろそろ店を開く時間だが、今日は休みである。テリスはマリナといたがったが、マリナが突っぱねた。朝から少し憂鬱だった。
 思い出すのはひと月半前の夜のこと、結局あの男が何者だったかは謎のままである。ただ、公表されたマリナの死を疑っている者がどこかにいて、自分を探していることを知った。いざとなればすべてを捨ててテリスと逃げる気でいたが、せっかく築き上げてきたものを手放すのも惜しい。それにフェイミは好きである。
 あるいは、テリスの言うとおり早計だったかも知れない。殺すことはなかった。戦う気はないと言っていた。ろくに相手が誰かも知らずに殺してしまった罪悪感。
「私は弱いわ。心のどこかでいつも怯えながら過ごしてる。だから、自分本位にいきなり相手を殺してしまう。あの人にだって家族がいたかもしれない。私はひどいことをした」
 独白し、顔を覆って嗚咽を漏らす。声はいきなり頭上からした。
「だが、殺さなければ殺されていたかもしれない。戦う気がないなど、方便かもしれない。だから、自分を正当化して生きればいい。やりたいことをやり、食べたいものを食う。欲望のままに生きるのが一番幸せだ」
 声には驚いたが殺気は感じなかったので、マリナは涙を拭ってからゆっくりと顔を上げた。立っていたのはいつかの黒髪の男だった。
「街からつけてきたの?」
「まあな。お前は俺に色々と興味を抱かせる」
 それはマリナの持つ能力のことであり、隠している身分のことではない。もっとも、その「何かを隠している」という雰囲気がまた、この男に興味を抱かせているのかもしれない。
「この場所は私のお気に入りだったのに。テリスにも言ってないのよ?」
「そうか。それは悪かったな。だが頻繁に来るつもりはない。あるいは、今日が最初で最後かもしれない」
 マリナは海に視線を戻した。少し沈黙があって、長い息を吐いてから言った。
「私は今までに百人以上の人を殺してきたわ。今さら人を殺すことに躊躇いはないし、相手が悪人なら罪悪感なんて覚えない。でも、殺すことが好きなわけじゃないし、むしろ私はできれば多くの人に笑顔で生きて欲しい」
「大きなことを考えるんだな、お前は」
「ええ、たぶんあなたよりスケールの大きい人間だから。でも、最近小さくなった。小さな世界に固執して、すぐに周りが見えなくなる」
「いいだろう。その分、近くの大切なものがよりはっきりと見えるようになった。俺には悪い変化には思えないが」
 マリナは目を閉じてしばらく俯いた。そしてゆっくりと目を開けて、半眼で睨み付ける。
「あなたは、そんなことを言う人間じゃない。もっと性格のねじ曲がった人よ。私はこれでもかなり人を見る目があるの。敵と味方、善人と悪人の区別が直感でつく。あなたは敵じゃない。でも、善人じゃない。どういうつもりで私にそんなことを言うの?」
 男は笑った。そして何かを呟いてから石碑に手を伸ばす。
 その手が、石碑をすり抜けた。マリナは小さく笑った。
「そういうこと。でも、少数派の仲間意識はお生憎様。私は善人の側でいたい。あなたと仲良くする気はないわ」
「構わない。俺も別にお前が好きというわけじゃない。ただ、興味を抱かせる。それだけだ。慰めるつもりも励ますつもりもない。思ったことを口にしているだけ」
「あなたは積極的な悪人なの?」
「そうだ。人が混乱して慌てふためく様子を見るのが何より楽しい。だがそれは特定個人じゃない。だからお前の能力のことも誰にも言っていない。自分から人は殺さない。特定の個人を陥れない。自分で作ったルールの中で破壊を楽しむ」
「なるほどね。で、フェイミでは何をする気なの?」
 男はぞっとするような笑みを浮かべた。さしものマリナも背筋が冷たくなった。
「仕込みに時間がかかったが、そろそろ頃合いだ。あれだよ、サイリス」
 顎で差されて、つられるように海の方に目をやった。目をこらすと、海の方から無数の何かが近付いてくるのがわかった。
 マリナは顔を険しくして立ち上がった。
「あれはまさか、ナナ・テイルスを襲った……!」
「ほう。ネイゲルディア人の割には詳しいんだな」
「ええ。うちの店は漁師と兵士で賑わう。周辺の情報はどんなことでも耳に入ってくる」
「なるほど。じゃあ、ゲームの始まりだ。一介の酒場の娘はどう動く? あの優男一人を守っておしまいか?」
 マリナは馬に飛び乗った。そして男を見下ろして低い声で言った。
「二つ訂正。まずうちは酒場じゃないわ。それから私の名前はサイリスじゃない。ネイゲルディアの王女マリナよ。わかったら非礼を詫びて口調を改めなさい」
 男は確かに驚いた顔をした。それから「くくく」と笑って顔を上げる。
「それは驚いた。なるほど、偽名を使うはずだ。だが何故そんなことを俺に言う? その情報を使えば、俺好みの楽しいことがたくさん出来そうだが」
「あなたは特定個人は陥れないのでしょう? どう使おうと私の立場は悪くなる。だからルールに縛られているあなたはそれを誰にも話せない。いい気味だわ」
 今度こそ男は大声で笑った。
「気に入ったよ、王女。好きじゃなかったが、今好きになった」
「私は悪人は嫌いよ。じゃあね、名無しの魔法使いさん」
 そう言って、マリナは手綱を引き、馬を走らせた。
 もう振り向かなかった。背後から言い知れぬ死の空気が近付き、どんどん膨れ上がっているのを感じる。
 マリナは一直線に街まで駆け抜けた。

 街門を駆け抜けたとき、見知った若い兵士に声をかけた。
「海から何か迫ってくる! 至急エナバリスに連絡を! あなたたちは警鐘を鳴らして臨戦態勢を! 門はすぐに閉めて!」
 マリナは思わず王女としての血が猛り、昔の口調でそう言いつけた。しかし問題はなかった。「命令」に従順な兵士は、マリナの気迫に押されて敬礼し、すぐに言われるままの措置を取った。
 マリナを知らない者にしろ、命令に従うのは時間の問題だった。敵はもう、街壁の上から認知できるほどに迫っていたのだ。
 背後の喧騒を聞きながら、マリナは急いで店に帰った。馬を繋いでドアを蹴り開ける。
「テリス! テリスいる!?」
「ああ、お帰り。血相を変えてどうしたの?」
 呑気な様子のテリスに、マリナは少し苛立った。もっとも、ここでいきなりテリスが臨戦態勢にあったらそれこそ怖いが。
「奥から鎧と籠手を持ってきて。すぐに!」
「え、どうして? 何かあったの?」
「海から化け物の群れが攻めてきたのよ。ほら、前にナナ・テイルスを襲ったっていうあれよ。戦わないと!」
 テリスは驚いた顔をした後、すぐにマリナの腕をつかんだ。
「事情はわかった。だけど、なんでキミが行くんだ? キミはここにいろ。街のことは城の人間に任せるんだ。キミは部外者だ」
 マリナはきょとんとした。そしてテリスの真剣な瞳を真っ直ぐ見据えて答えた。
「街のことは街の人間全員で考えるべきよ。それぞれがそれぞれの役割を果たす。力のある人間は加勢するべきよ」
「キミが危険な目に遭うのは嫌なんだ。何かあったらボクはどうしたらいい?」
「臆病者! いいえ、テリスはそれでいいわ。そうして心配してくれるテリスが好き。でもテリスがテリスであるように、私も私なの。ここで行かないのはマリナじゃない。いい、テリス。それが私と付き合うってことなのよ」
「ああ……」
 テリスは呟いて、長い息を漏らした。
「そうだね。ボクはそんな勇ましくてちょっと短気で逞しいキミが好きなんだ。でも無鉄砲は嫌いだ。本当に危険な時は逃げる、一番大切なことは見誤らない。約束できるね?」
「ええ、あがりとう。私は死なない。こんなところで犬死したらドリスに申し訳が立たない」
 力強くそう約束すると、意外にもテリスは驚いた顔をした。マリナはすぐに失言に気が付いた。ドリスのことである。
 マリナはいつもドリスのことを考えていたし、頻繁にあの海の見える崖を訪れていた。しかし、テリスの前ではドリスの話はしたことがなかった。
 ドリスを身代わりにしたことは暗黙の了解だったが、一度も口にはしていない。そして気にしている素振りも見せないことでテリスに余計な心配をかけないようにしてきたのだ。
「マリナ、キミは……」
 マリナは心の中で舌打ちをしたが、表情は一切変えなかった。
「ええ、この際もういいわ。あなたが思ってるより私はドリスとフレッダのことを気にしてる。でも、負い目は感じてないわ。今はそれを話してる場合じゃない。すぐに鎧を取ってきて。お願い!」
 マリナが懇願すると、テリスは気分を害したように唇を尖らせて頷いた。そして振り向きざまに言った。
「マリナ、キミは隠し事が多すぎる」
 テリスは駆けて行った。マリナは階段を上りながら思った。
(確かに、私はもう少し色々話した方がいいのかもしれない。自分のためじゃなくて、テリスのために)
 服を脱ぎ捨て、厚手のクロースを着けた。髪を束ねて縛り、額に鉄板を縫いこんだ布を巻く。剣はベルトで腰にしっかりと固定し、反対側にダガーも佩いた。
 革のグローブを持って下に降りると、テリスが鎧を持って立っていた。
「着けるのを手伝って」
 もちろん、ネイゲルディアの紋章の入った鎧でもなければ、ティユマンの正規の鎧でもない。一般に売られている革の鎧だが、サイズはマリナの身体に合わせて作った特注品だった。
 鎧は胸と肩、腹部を守るシンプルな鎧で、それとは別に鉄製の腿当てと籠手がある。それらすべてを装着した後、グローブを嵌めた。
「よしっ!」
 一度グローブを打ち合わせると、テリスがじっと見ているのに気が付いた。
「どうしたの?」
「ううん。やっぱりかっこいいなと思って。でもマリナ、もう少し悲壮感のある顔をした方がいい。今のキミはすごく嬉しそうだ」
 マリナは思わず絶句した。確かに、あらゆる危機感とは別のところで、この非常事態に対して胸を躍らせている自分がいた。それが顔に出ていて、ましてやテリスに指摘されるなど不覚以外の何物でもない。
「忠告ありがとう。気を付けるわ」
 外に出ると、街は鐘の音が鳴り響き、騒然となっていた。だが、本当の混乱はこれからだ。
 やはり昔盗賊から強奪したスピアを握り、繋いでおいた馬に跨る。
「それじゃあ、行ってくるわ。テリスは家から出ちゃダメよ」
 テリスはマリナを見上げて、真摯な瞳で言った。
「ボクも行くよ。邪魔にならないところからマリナを見てる」
「なっ……」
 思わず言葉に詰まる。
「何を言ってるの! 遊びじゃないのよ! これは戦争よ? あなた、死ぬ気なの!?」
 大声で怒鳴りつけたが、テリスは一歩も引かなかった。
「キミが命がけで戦ってるのに、ボクは家で無事を祈って待ってるだけなんて、なんでそんな残酷なことを言うんだ?」
「何を言っても、ダメなものはダメよ! あなたは家にいなさい! 弱いんだから!」
「じゃあボクもキミが行くのを認めない。二人で家にいよう」
 マリナはひどく苛立ったが、テリスが本気なのを察して諦めた。今は言い争っている場合ではない。
「ああもう! わかったわ、好きにしなさい! その代わり、全部終わったらおしおきよ? 私はネイゲルディアの王女で、あなたはその住人なんだから。王女に逆らった罪は重いわよ!」
「じゃあ、キミの好物のシチューでも作るよ」
 テリスはそう言ってにこりと笑った。
 マリナはもう何も言わず、一度スピアを振ると、勢いよく手綱を引いた。

←前のページへ 次のページへ→