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戦場の天使
オリジナル小説 『SCARLET WARS』 の続編になります。
よろしければ、先に 『SCARLET WARS』 をお読みください。

マリナ : 元ネイゲルディアの王女。二十歳。テリスの営む料理屋の看板娘。金髪の美人。
テリス : マリナの友達の青年。十七歳。マトランダに住んでいたが、マリナと二人でフェイミに。
エナバリス : フェイミの将軍。テリスの店の常連客。武才のあるマリナを部下にしたいと思っている。
マフエル : エナバリスの部下で、彼の娘と恋仲だったが、マリナに一目惚れしてごちゃごちゃに。
ウィレア : エナバリスの娘。恋人のマフエルがマリナになびいたことで、彼女を逆恨みしている。
黒髪の魔法使い : 性格のねじ曲がった人。今回の事件の元凶。ちまちま登場してマリナに絡む。

 かつてネイゲルディアはユマナシュの命がけの侵攻により、滅亡の危機にさらされた。
 実質国の指導者にあった王女マリナはこの侵攻になすすべもなく敗退し、その結果がマトランダの独立を生んだ。それが世間でのマリナの評価だった。
 しかし、正確な情報と緻密な分析、慎重な行動で知られるニゲルヘイナの上層部はそうは考えなかった。彼らはそもそもネイゲルディアの王子ディアックの死を不審に考えており、その後彼に同行した将軍エンファスが国を興したことから、ディアックの死はエンファスの陰謀によるものだったと断定した。
 すなわち、マリナの失策がマトランダの独立を許したのではなく、マトランダの独立によってマリナは敗退したのである。
 ユマナシュがネイゲルディアに侵攻したことにより、ニゲルヘイナの内部でナガノリアを領地にするという悲願の夢が現実味を帯びた。しかし、議論に議論を重ねた末、戦の準備は行うが、ネイゲルディアが致命的なダメージを受けるか、王女マリナがいなくなるまでは攻撃はしないことで決着した。
 窮鼠が背水の陣を敷き、それを指揮するのがマリナ王女となれば、仮に攻略できたとしても甚大な被害は免れない。その後すぐユマナシュかマトランダに攻め落とされるのは目に見えていた。
 ところが、マトランダが独立してすぐに、王女マリナがユマナシュの刺客の手に倒れ、あっさりとこの世を去った。
 これについても何かの罠ではないかと疑い、調査した結果、マリナの死は確かで、その犯人は高い確率で新しく実権を握ったサガンという若い男であることがわかった。
 野心だけで成り上がり、ろくに民の信も兵の信も得ていないサガンが相手ならば、ナガノリアの奪取は容易かった。むしろマトランダより先に動かなければならないと、慎重なニゲルヘイナらしからぬ迅速な動きでナガノリアに侵攻した。
 第一陣が街壁の外に陣を敷いてから一週間、本隊が到着してからたったの三日で、難攻不落と謳われたナガノリアは落城した。実質の指導者サガンは戦死し、傀儡の国王ミスティルは処刑された。
 ナガノリアの街を任されたのは軍師バロードと女傑の将軍マキレイだった。
 混乱は少なかった。元々兵士はマリナを失ったことで士気が低く、しかも若いサガンの命に従うことに反発があった。市民にしてもサガンの下で南国からの侵攻に怯えるよりは、ニゲルヘイナに組み込まれてしまった方が安心できた。要は平和であれば君主など誰でもよいのである。
「それにしても、こうも簡単にここが落ちるとはな」
 見回りを兼ねて城内を散歩しながら、マキレイが吐き捨てた。三十を過ぎてなお独身を貫き、ただひたすら武に生きるこの女性は、大陸一の女戦士として名を馳せている。好戦的な性格でも有名で、あっさりとナガノリアが落ちたことが気に入らないようだった。
「被害が少ないのはいいことだろう。発散したいなら一人でマトランダでも攻めたらどうだ?」
 呆れながらバロードが言い、小さく笑う。
「冗談! もっとも、命令があれば喜んで攻めたいがね。王子も王女も部下に殺され、まったく運のない国だ」
 やや語調を落とす。
「マリナ王女か?」
「ああ。昔一度だけ会ったことがある。強い女だった。剣は私より劣っていたが、私にはないものをたくさん持っていた」
「あんたが誰かを褒めるとは珍しいな。俺も会ってみたかったよ。綺麗だったと聞くしな」
 バロードがいやらしい笑みを浮かべると、マキレイは心底嫌そうに首を振った。
「あー、やだやだ。これだから男は!」
 真っ直ぐ前を見据える。
 敵ながらも尊敬していたマリナを殺したサガンは討った。次はマリナを死に追い込んだマトランダのエンファスを討ちたい。しかし、今度こそ楽に勝てる相手ではなく、恐らくその命令が下されることはないだろう。
 マキレイは唇を噛んだ。
「まったく!」
 やり場のない怒りに壁を蹴りつけたとき、背後から兵士の一人が駆けてきた。
 足を止めて振り向くと、兵士は敬礼した後、低い声でこう言った。
「バロード様、マキレイ様。検分の最中に気になるものを見つけました。よろしければ至急お越しいただけませんか?」
「よし行こう」
 マキレイが即答し、兵士に続く。
 案内されたのは、ナガノリアの兵士が第三塔と呼んでいた城内の塔だった。
 階段を上がり、いくつかの扉を開けて進むと、やがて見晴らしの良い部屋に着いた。人の住んでいた形跡と、誰かが争った跡があった。血痕は見当たらない。
 鋭い目で部屋を眺めていてマキレイに、兵士が数枚の紙切れを持ってきた。
「これです」
 手に取り、バロードとともに目を落とす。
 一枚目にこう書かれていた。
『ドリスがマリナ王女に連れて行かれた。自分は今夜殺されるかもしれないから、今日までのことをここに書き残す』
 マキレイは眉をひそめ、バロードが楽しげな声を出した。
「早く次を」
 言われるまでもなく、マキレイはすぐにその紙をめくった。

  *  *  *

 フェイミの街門は日の入りと同時に閉められるが、それまでは出入り自由である。もちろん、荷物の検査などはされるが、やましいことがなければ不自由することはない。
 マリナのように武器を携え、馬に跨っていたりすると、基本的には厳しく検査されるが、マリナはフェイミの市民権とその証明書を持っているのでそれを見せるだけで済んだ。もっとも、初めはともかく、今は顔パスによるところが大きかったが。
 街門を出て、海の方へ真っ直ぐ駆ける。フェイミの城は丘の上にあり、眼下に海が見えた。
 途中で道を逸れ、草原から林に入る。小さな林を抜けると、小高い崖に出た。
 馬を下りてしばらく歩くと、見晴らしの良い場所に大きな石碑がある。マリナが建てたものだ。
 摘んできた花を捧げて手を合わせると、そのまましばらく動かなかった。海から吹いた晩冬の冷たい風が、マリナの金色の髪を揺らす。ナガノリアを出た時にばっさり切ったが、今ではすっかり元の長さに戻っていた。
 やがて目を開けて、石碑の横に腰かけた。かすかに潤んだ眼に海が揺れている。
「ドリス、私は本当にあなたとお友達になりたかった……」
 小さく消え入りそうな声で呟く。涙が零れた。
 ドリスとは、マリナの身代わりになって殺された少女である。偶然が重なりナガノリアの城にいた少女を、サガンの陰謀に気が付いたマリナが騙して殺させたのだ。
 それにより、王女マリナはこの世を去り、ドリスという少女も人知れずこの世から消えた。彼女とともにいたフレッダという青年にも消えてもらった。
 ドリスのことはテリスの他には誰も知らず、現場を見た者は誰もいない。残ったのは遥か昔に死んだサイリスの名を騙る女が一人。
「私は一体誰なんだろう……」
 偽名は使いたくなかった。しかし、いつどこで自分を知っている人間と会うかわからない状況で、本名を名乗るのは危険すぎる。名前さえ違えば、どれだけ似ていようとも人は公表された死の方を優先するだろう。
 それでも、本当はマリナを名乗りたかった。ドリスを名乗ることも考えたが、彼女はそれを喜ばないと思って止めた。けれど、時々自分はマリナだと叫びたくなる。例えばあのエナバリスなどにすべてを打ち明けてしまいたくなる。
 もちろん、そんなことはできなかった。自分一人ならそうしていたかもしれない。しかし、テリスを危険に巻き込むことはできない。悲しい目に遭わせるわけにはいかない。
「生きるって辛いわね……」
 手で顔を覆う。肩が震え、嗚咽が漏れた。
 しばらく泣いてから、マリナはいつもの笑顔で立ち上がった。
「大丈夫、私にはテリスがいる。大丈夫、きっといいこともある」
 決して無理はしていない。いつも悲観しているわけではない。ただ、ふと悲しくなってはここに来て、ここに来ては悲しくなるのだ。
 急いで街に戻る。日の入りには余裕があるが、夜の開店に間に合わないかもしれない。そうなったら、またテリスに怒られるのは必至だ。それはそれで楽しいのだが、あまりテリスを困らせるのも意地が悪い。
 開店には間に合わなかった。しかし、店はまだ開いていなかった。
 嫌な予感がして、馬をほっぽり出して店に飛び込んだ。
 テリスは暗い部屋でぼんやりと座っていた。ひとまず無事でいてくれたことにほっとしてから、軽く頬を掻く。
「その、遅れてごめんなさい。怒ってるの?」
「いや……」
 テリスは身体の向きを変えて、真っ直ぐマリナを見据えた。相変わらずの童顔だが、顎には少し髭が伸びてきた。
 そんなどうでもいいことを考えているマリナの耳朶を、テリスの意外な言葉が打った。
「ねえマリナ。ボクとの生活は楽しい?」
「え?」
 マリナは一瞬きょとんとなってから、顔を険しくした。
「どうして? 誰かに何か言われたの?」
 テリスは思い詰めた表情のまま首を振った。
「いや、ただやっぱりわかるんだよ、キミが今の生活に飽きてきてることとか」
「変化はないけど、退屈じゃないわ。楽しいこともあるけど、いつも楽しいわけじゃない。でも、生活ってそんなものでしょ?」
「王女の時は変化ばかりだった?」
「父が倒れてからはそうね。ううん、変化はなかったかしら。することはいっぱいあったけど、してる内容はいつも同じだった。今と同じよ」
 テリスは少し困った顔になった。言い淀んでいるのではない。マリナほど頭の回転が速くないのだ。
「今と、どっちが楽しい?」
「そりゃ、昔よ。でも、今は今で昔にはない楽しさがあるし、どうせもう昔には戻れない。だけど、昔を懐かしむのは悪いことじゃないでしょ?」
「そうだけど……。マリナはどうしてボクといるの?」
 マリナは思い切り呆れてから、内心で安堵の息をついた。少しだけ笑った。
 どんな人間だって不安になる瞬間はある。自分だってついさっきまで一人で泣いていたではないか。
 具体的な言葉を求めるテリスをどうして責められよう。むしろ、そんなテリスが愛おしい。
「好きだからに決まってるでしょ、バカ」
 テリスに近付き、頬に触れて素早く口づけをした。そしてぽかんと見上げるテリスの頭を軽く叩いた。
「くだらない話は後にして、さっさとお店を開くわよ。今日はなんだかエナバリスさんたちが来る気がする。忙しくなるわよ」
 相変わらず間抜け面をさらしているテリスを放置して、マリナはさっさと服を着替えてエプロンを着けた。
「テリス、早く! 次はぶん殴るわよ!」
 大声で怒鳴りつけると、テリスは弾かれたように腰を上げ、その拍子に倒れた椅子の音に驚いてあたふたしていた。
 マリナは小さく笑った。
 こんな毎日も悪くない。

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