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魔法師ミラン1 新緑の抗争
ごく一部の限られた者だけがなれるという魔法師。
その魔法師になるための学院を若干16歳で卒業した少女ミランは、エリートの階段を自ら放棄して、とある探検家のパーティーに加わる。
頑なに魔法を使うことを拒み、武術に勤しむミラン。
この物語は、パーティのリーダーである青年エリアスが、そんな少女を見守り、共に幾多の冒険を乗り越えていく物語……になる予定。

10

 ミランが魔法で驚かせた鳥たちが森に戻ってきたらしい。
 美しいさえずりに目を覚ますと、木々の向こうに見える太陽はすでに空高くに昇っていた。
 昨夜は夜通しで走り回っていたのだ。仕方ないだろう。
 ふと隣に目を遣ると、ミランとフィーチェが並んで眠っていた。二人とも安らかな寝顔だ。
 半身を起こすと、さすがに筋肉痛になったらしく、体中が痛んだ。特に脚がひどい。
 俺は半身を起こしたままの状態でコスバンの姿を探したが、見つかったのは書置きらしき紙切れ一枚だった。
『契約は一晩限りだ。俺は暇ではないから帰る』
 どうやら俺たちが眠っている間に街に帰ってしまったらしい。俺はやれやれと首を振った。
 どうせならエルフの村も見ていけばいいのにと思ったが、あのコスバンのことだ。エルフなどもう飽きるくらい見ているのかも知れない。
 ちなみに俺は、エルフを見るのはフィーチェが初めてだった。フィーチェをすぐにエルフだとわかったミランは、ひょっとしたら過去に見たことがあるのかも知れない。
 あるいは彼らの言葉まで知っている彼女だから、勉強する過程でその特徴を学んだだけかも知れない。
 俺は傍らで眠るミランを見下ろした。
 すでに出会ってから1年になるが、昨夜のような彼女を見るのは初めてだった。本気で怒るところもだし、そのせいで感情的な行動を取ったところもだ。
 俺はミランを自分よりも遥かに理性的な人間だと思っていたのだが、コスバンにそう言ったら、「あいつも女だからな」と笑われた。
「女か……」
 俺はミランを異性として考えたことがほとんどなかった。あまりにも幼く見えるし、それに俺はメアリのような年上の大人の雰囲気を持った女性が好きだからだ。
「女っていうより、妹みたいな感じだな」
 自分に言い聞かすようにそう呟きながら、茶褐色の髪をそっと撫でると、ミランは「ん……」と声を漏らして目を開けた。
「あ、おはよ」
 眠たそうに目をこすりながら半身を起こす少女を見ながら、俺は意地悪げな笑みを浮かべた。
「冷静さは取り戻したか? 昨日は驚いたぞ。やっぱりお前はエルグレンドだったんだな」
 前にも言ったが、エルグレンドとは遥か昔の悪名高い帝国の王子のことである。
 あれだけ森を破壊したのだから、悪魔と言われても文句は言えまい。
 ミランはむすっとした顔で俺を睨んだ。
 けれど、何も言い返す言葉がなかったらしく、恐らくエルフ語と思われる言葉で二言三言呟いて黙り込んでしまった。
 何を言われたのかはさっぱりだが、どうせろくなことじゃないだろう。俺の予想だと、「バカ、アホ、最低」ではなかろうか。
 俺たちのやり取りで目が覚めたのか、フィーチェが身体を起こした。
 ミランがまるで嫌味のようにエルフ語で話しかけ、二人はしばらく話してから声を立てて笑った。間違いなく俺の悪口を言っている。
 俺は思わずムッとなったが、ここで腹を立てたらまるでガキの喧嘩だと思って大きく一度深呼吸した。
「朝から楽しそうで良かったな」
 ポンポンと軽く頭を叩きながらそう言うと、ミランは何やら非常に悔しそうな顔で俺を見上げて睨んできた。
 悪いが、まったく迫力がない。というか、拗ねた子供そのものだ。
「さ、朝飯を食ったら出発するぞ」
 俺はミランの頭を支えにして、何事もなかったように立ち上がった。

 エルフの村への入り口は、確かにファミアールのすぐそばにあった。
 と言っても、光がまったく届かない奥深い森の中だったし、入り口と言っても具体的にそこに何かあるわけではなかった。
「すごく強い、魔力を感じる」
 いつものなんだかたどたどしい喋り方でそう言ったミランだったが、その横顔は真剣そのものだった。恐らく頭が良いのにはそれなりの理由があるということだろう。彼女は勤勉で好奇心旺盛なのだ。
 以前の知的な彼女に戻っていることにほっとしつつ、俺はフィーチェに目を遣った。
 エルフの少女は俺から受け取った水晶を確かめるようにしっかりと片手で持ち、一本の木に触れて何やら囁くように言った。それは歌うようでもあり、音楽のようでもあった。
「エルフの言葉は綺麗だな」
 俺がそう言うと、ミランはちらりと俺を見て、エルフの言葉で長文を喋った。
「いや、そういう意味じゃなくてだな……」
 ひどく疲れた。
 フィーチェの言葉が終わると、彼女の触れていた木が金色に輝き出して、その木の左側がぼんやりと歪んだ。それは蜃気楼のようであり、曇ったガラス越しに見る光景のようでもあった。
「入ってください。大丈夫です」
 そう言って、フィーチェがその空間に足を踏み入れると、彼女の姿はまるで熱湯に溶け込む砂糖のようになくなってしまった。
「不思議ね」
 魔法に詳しいミランが、まるで恐怖を抱いている様子もなくフィーチェに続く。
 俺はその空間に生理的な嫌悪感を覚えたが、一人だけ残るわけにもいかなかったので思い切って足を踏み込んだ。
 身体に違和感はなかったが、一瞬視界が真っ暗になり、次に俺の目に飛び込んできたのは木々に覆われた村だった。
 木そのものの形を使って建てられた小さな家が点在し、広場の中心には二つの井戸があった。村自体は小さい。向こう側が見えるくらいだが、そこは森の入り口になっているだけなので、そのさらに向こうに何もないとは断言できない。
 少なくとも、さっきまで俺の見ていた光景とは違っていた。
「場所を……移動したのか?」
 不思議に思って問いかけると、ミランは珍しく首をひねって唸った。
「わからない。エルフの持つ独自の魔法だと思うから、きっと誰にもわからないし、聞いても理解できないと思う」
「そうなのか……」
 ミランがそう言うのならそうなのだろう。俺は魔法に詳しくないので、素直に彼女の言うことを信じることにした。
 村にはフィーチェと同じような姿をした男女がちらほらと見えたが、俺たちを見て露骨に敵意を剥き出しにした。そういえば彼らは人間の村を攻撃すると決めたばかりだった。
「軽率だったか?」
 フィーチェにも聞こえないように尋ねると、ミランは同じように小声で答えた。
「いざとなればフィーチェを人質に取って……」
 俺は思わず溜め息をついたが、もしも戦いになったらそれしか切り抜ける手段はないだろう。
 村の中の方へ駆け出そうとするフィーチェを、ミランが止めた。そして怪訝そうに振り返った彼女にエルフ語で何やら言うと、少女はこくりと頷いて大きな声で何か叫んだ。
 ちらりとミランを見ると、彼女は神妙な面持ちで説明してくれた。
「ここから動きたくないって言ったの。出口とフィーチェは死守しないと。交渉は……下手かも知れないけど、私が全部するから。エリアスは何かあったらすぐ対応できるようにしておいて」
 俺は何も言わずに頷いた。いつもの冷静なミランであれば、何の問題もなく任せられる。
 ただ一つだけ、俺は付け加えた。
「ミラン。俺はただ働きする気はないからな。システンで得た金は全部コスバンに持っていかれた」
 聡明な少女はその言葉に大きく頷くと、「頑張ってみる」とだけ言って、真っ直ぐ前を見た。
 村の中央から5人ほどのエルフの男女を伴って、一人の女性が歩いてきた。あからさまに他のエルフよりも上質な衣装を着けている。
「村長です。ああ見えても、村で一番長生きなんですよ」
 俺たちの緊張などまったく知る由もなく、フィーチェが屈託のない笑顔で笑った。
 俺はもちろん、ミランにも微笑み返す余裕はなかった。
 やがて、女性が俺たちの前まで来て……ミランと彼女の交渉が始まった。

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