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魔法師ミラン1 新緑の抗争
ごく一部の限られた者だけがなれるという魔法師。
その魔法師になるための学院を若干16歳で卒業した少女ミランは、エリートの階段を自ら放棄して、とある探検家のパーティーに加わる。
頑なに魔法を使うことを拒み、武術に勤しむミラン。
この物語は、パーティのリーダーである青年エリアスが、そんな少女を見守り、共に幾多の冒険を乗り越えていく物語……になる予定。

 ミランは賢いが、若い。俺もまだ20を少し過ぎたばかりの若僧だが、それでもコスバンが言うほどの無茶はしない。
 生命に直結するからだ。
 俺はミランを絶対視していたかも知れないと、今回の事件で痛感した。まさか、一人でシドニスの野望を砕きに行くなどという、無謀にして勝手な行動に走るとは思ってなかったのだ。
「なんでミランはこんな無茶をしたんだ? どう思う? コスバン」
 深淵の森の中を全力に近い速度で走りながら、俺は前を走るコスバンに問いかけた。
 コスバンはどんな走り方をしているのか、ほとんど足音を立てずに走りながら、俺にだけ聞こえるような低い声で答えた。
「勉強ができて知識が豊富にあることと、生き抜いていくための方法を知っていてそれを正しく実践できることは、まったく別物ってことだ。まして常に理性的な冷静で正しい判断ができるなんて話になれば、それこそ次元が違う」
「つまり、やっぱりあんたの言った通り、ミランは探検家としてはまだまだってことか?」
 俺の問いかけに、コスバンは笑って答えた。
「俺に言わせりゃ、お前がエルフのために動くのも無謀だがな。まあそれでも、お前はお前なりに引き際と勝算を考えた上での行動だから誉められる。あいつのは、ただ感情が爆発しただけだ」
 俺はコスバンの声を聞きながら、帰ったらミランを叱ってやると心に誓った。
 別に俺の威厳云々を語るつもりはないが、パーティーというのがどういうものであるかをわからせなければならない。
 個人の勝手な行動は、全体を危険に導く可能性もある。コスバンも何も言わないが、魔法師である彼女と合流できなかったことで戦略を練り直しているはずだ。
 そこかしこに足跡やゴミなどの、大群の通った跡が見受けられた。いくらミランでも、この人数を相手にしては勝ち目はない。実際、森の中でたったの十数人相手に逃げるしかなかった事実を忘れたのだろうか。
 俺は思わず舌打ちをした。彼女は自分に自信を持ち過ぎている。
 まるで足跡を踏みつけるように走りながらそんなことを考えていると、コスバンが背中に心を見透かす目でもついているかのように言った。
「エリアス、知っているか? 黒魔法には基本魔法と上位魔法の2つがあるんだ」
「上位魔法?」
 その単語を、俺は聞いたことがなかった。いや、そもそも黒魔法が2つ分かれることすら知らなかった。
 昔の仲間であるゴーンドとメアリはともに魔力を持たなかったし、俺の持つ魔法の知識はすべてミランから得たものだった。しかも教わったわけじゃない。彼女は絶対に自分から魔法の話をしたりしない。
 コスバンは話を続けた。
「手で空中に陣を描いて放つのは全部基本魔法だ。あんまり時間はかからない分、威力も弱い。上位魔法は基本魔法とは比べものにならないほど複雑な陣を地面に描いて放つ。時間はかかるが、威力は半端じゃない」
「何が……言いたいんだ?」
 俺は突然そんな話をし始めたコスバンの真意を計りかねて、声を低くした。
「つまり、魔法を使いたくないっていう心の枷を外して、万全の準備をした状態のあいつは、たかが数十人の盗賊ごとき、いとも簡単にぶっ放せるってことだ。あいつの魔法師としての才能は、むしろ上位魔法にある」
 彼の言葉が言い終わった刹那、前方で凄まじい炸裂音がした。爆発ではない。恐ろしいほど鋭い風の刃が山を切り裂いたような音である。
 その後に続く轟音。余波が俺たちの足元を揺らした。
「すげえな」
 コスバンが口笛を吹く。
 俺は天変地異の前触れのように喚きながら飛び去っていく鳥を眺めながら、息を飲んで呆然と呟いた。
「こりゃ、俺たちの出番はないかもな」
 コスバンは足を止め、俺を振り返って瞳を光らせた。
「お前の言っていたエルフの娘がいなければな」
 なるほど。俺は大きく頷いて、再び前方の闇に目を遣った。
 フィーチェがいる限り、ミランは全員魔法で一網打尽にすることができない。
「それでも、あいつならなんとかしちまう気もするが……。そうしたら金は5千でいいぞ?」
 俺はその言葉に、ミランがいかに強い魔力を持った魔法師であるかを知った。
 実際に魔法を見せられるよりも、尊敬するコスバンが認める方が、遥かに実感できるのだ。
「ミランは……そんなに強い魔力を持ちながら、なんであんなに魔法を使うのを嫌がるんだ……」
 言いようもない苛立ちを覚えて、俺は呟いた。
 俺は力が欲しいし、強くなりたい。
 ミランは力を持っているし、強い。にも関わらずその力を使わないと言うのが、俺の価値観では理解できなかった。
 コスバンはしばらく黙って俺を見ていたが、その表情から不吉なものを感じたのか、やがてあきらめたように口を開いた。
「あいつは、強い力を持っているから使いたくないんだ」
「なぜ? 危険だからか?」
 思わずそう聞き返した。
 強すぎる力を持つ者が、自分がなんでもできてしまうことに不安を抱くというのはよく聞く話だ。
 けれど、コスバンは静かに首を振った。
「お前は、ミランから魔力がなくなったらどう思う?」
「え?」
 いきなり問いかけられて、俺は逡巡した。質問の意味がわからなかった。
「ミランはミランじゃないか。それがどうした?」
 心底わからないというふうにそう答えると、コスバンは満足げに頷いた。そして、よくできた子供を誉めるような優しい声音で言った。
「お前はそうでも、普通はそうじゃない。普通のヤツらがミランに期待するのは強い魔力だ。あいつの両親も、街の人間も、学院のヤツらも、全員がそうだった。あいつはそれが嫌でしょうがなかったんだ」
 それだけ言うと、コスバンは再び走り始めた。
「ミラン……」
 俺はほんの数秒、その場に立ち尽くしていたが、やがてはっと気が付いてコスバンの後を追った。
 何かとてつもないことを聞かされた気がした。
 コスバンの言ったのは、単にミランが魔法を使いたがらない理由だけでなく、ミランが俺と一緒にいる理由でもある気がしたのだ。
 けれど、今は考えないことにした。ミランが自分から話してくれるまでは、何も知らない振りをしよう。
 もっとも、彼女に対して抱いていた嫉妬や不信感はすっかりなくなっていたけれども。
 初めに炸裂音を聞いてから、すでに同種の音を三度ほど聞いている。
 四度目にその音を聞いたとき、ついに人の叫び声が耳に届き、戦場が近いことを知った俺たちは剣を抜いた。
 辺りを見ると、ところどころに元々は人であったと思われる肉片が転がっていた。凄まじい威力だ。
 木々は裂け、大地はえぐれて、黒い土が剥き出しになっている。森を愛するフィーチェが見たらどう思うだろうか。
 そう考えると、ミランがいかに何も考えずに行動しているかわかった。まるで知性をなくして無差別に人に襲いかかる竜のようである。
 けれど、それっきり彼女の放つ魔法の音は聞こえなかった。
 俺は彼女がシドニス一派を壊滅させたのだと楽観的に解釈したが、コスバンが舌打ちをしたために一気に周囲の温度が下がるのを感じた。
 不安は当たっていた。
 前方に十数人の人間がおり、その先にミランが立っていた。いや、立たされていたと言った方がいい。両脇に見覚えのある盗賊がいて、彼女の腕をつかんでいる。
 こちらからでは男たちの背中になって見えないが、恐らくフィーチェが人質にとられ、その隙に捕まってしまったのだろう。
「ミランっ!」
 俺は思わず大声で叫びそうになるのをぐっと堪えて、コスバンとともに近くの森に飛び込んだ。
 少しでも対処が遅れればミランが殺されてしまうのではないかと不安げにコスバンを見上げると、熟練のギルドマスターは不敵に笑って小声で言った。
「なに。シドニスはすぐに殺すほど優しくない」
「それは、喜んでいいのか?」
「ああ。奴らは俺に任せろ。もらった金の分は働く。お前はミランのところに行って、あいつを守ることに専念しろ」
「フィーチェは?」
 俺が問うと、コスバンは四度ほど頭を掻いてから頷いた。
「それも俺が担当しよう」
「わかった」
 見ると、ミランは二人がかりで地面に押し付けられていた。そして、別の男が手にのこぎりを持って立っている。あのハゲ頭だ。
 月の光を受けて鈍色に光るギザギザの刃が、剥き出しになったミランの白い肘に押し当てられると、少女は顔を蒼白にしてもがいた。
 美しい褐色の瞳には大粒の涙が浮かんで、雫になって頬を伝う。
 音を立てないように位置を変えると、シドニスと思しき恰幅の良い親父が、ニタニタといびつな笑みを浮かべているのが見えた。
「やれ」
 その男が体形にふさわしい太い声でそう言うと同時に、俺は地面を蹴るようにして森を飛び出した。

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