■ Novels


魔法師ミラン1 新緑の抗争
ごく一部の限られた者だけがなれるという魔法師。
その魔法師になるための学院を若干16歳で卒業した少女ミランは、エリートの階段を自ら放棄して、とある探検家のパーティーに加わる。
頑なに魔法を使うことを拒み、武術に勤しむミラン。
この物語は、パーティのリーダーである青年エリアスが、そんな少女を見守り、共に幾多の冒険を乗り越えていく物語……になる予定。

 魔法師は黒魔法師と白魔法師の二つに大分される。
 二者は便宜的に「魔法師」と呼ばれているが、本質的に黒魔法と白魔法は別物であり、当然それを使う者たちの性質も異なる。
 黒魔法は以前ミランが使ったように、魔法陣と呪句によって発動する。一般に「魔法師」と言った場合、それは「黒魔法師」を指す。黒魔法は大都市にのみ存在する魔法学院で学ぶことができるが、使えるようになるのはごく一部だという。
 対して白魔法は、術者の生命力を使用して行使し、対象に様々な力を及ぼす。白魔法の代表的なものは怪我や病気の治療であり、これは相手の自然治癒力を爆発的に高めることによって実現される。
 白魔法は白魔法師協会で学ぶことができる。協会は普通病院を兼ねており、怪我や病気の重さに比例した金額を支払うことで治療してもらえる。
 このように、黒魔法と白魔法はまったく別物であるため、いくら学院を首席で卒業した少女でも白魔法は使うことができず、怪我の治療は教会に委ねるしかなかった。
「やっぱり私も、白魔法を学ぼうかな……」
 病室のベッドの上で半身を起こした状態で、ミランが囁くようにそう言った。
 窓の外はすでに夜の帳が下り、星が風景を彩っている。
 俺はベッドの脇にある椅子に腰掛けたまま、無言で彼女の横顔を見つめていた。
 その表情からはまったく彼女の内心を読むことができない。ただ一つだけ確かなことは、彼女は白黒に関わらず、魔法が嫌いであるこということだ。
 ちなみに彼女の怪我はすでに完治している。ただ、奪われた体力までは完全に戻っていないため、大事を取って一日病院で休むことにしたのだ。
 俺は聞こえなかった振りをしたのだが、ミランに「どう思う?」と聞き返されて、答えないわけにはいかなくなってしまった。
「そりゃ、ミランが白魔法を使えたら便利だが……嫌なことはしなくてもいいぞ? 別に白魔法師をパーティーに加えれば済む話だし」
 ミランは「そうだね」と呟いてから、再び窓の外を見た。
 それから、何故自分が魔法を嫌っているのか話してくれるかと思ったのだが、彼女はそれっきり何も言わなかった。
 俺はわずかな疎外感と苛立ちを覚えた。何故、すでに1年もパーティーを組んでいる俺に話してくれないのか。
 コスバンはミランは俺を必要としていると言っていたが、彼女がもっと探検家としての技能を身につけ、俺など必要なくなったら、あっさりと俺の許を去ってしまうのではないだろうか。
 それでも、俺は聞くつもりはなかった。
「例の髪の毛のない可哀想な人が、突然部下をゾロゾロ引き連れて押しかけてきて……。抵抗したんだけど、所詮魔法がなかったら私なんかただの武道家見習いだから。窓から飛び降りて逃げてくるのが精一杯だった……」
 魔法がなかったらというのは、魔法は正確に複雑な魔法陣を描かなければならないので、突然襲われたときは役に立たないということである。
「そうか……。とりあえず無事でよかったよ」
 俺は反射的にいたわりの言葉をかけたのだが、その声音が自分でも驚くほど冷たくて思わず息を飲んだ。ついさっきまで疑心暗鬼に駆られていたせいだ。
 聡明な少女がその声の変化に気付かないはずがない。驚いたように俺を見た目は、まるで捨てられた子供のようで、俺は背筋が凍るほどの罪悪感に駆られた。
「ごめんなさい。フィーチェを、守れなくて……」
 俺が弁解する前に、ミランが悲しそうに頭を下げた。どうやら俺がフィーチェのことで怒っているのだと誤解したらしい。
「あ、いや、そうじゃないんだ」
 慌てて取り繕うと、ミランは不安げな眼差しで俺を見上げた。
「その、色々考えてたら愛想のない声になってしまった。すまない」
 俺はどうしてよいのかわからず、立ち上がって軽くミランを胸に抱き入れると、優しく髪を撫でてやった。
 ミランはようやく安心したように、深く息をついて腕の中から顔を上げて笑った。
「よかった」
 俺はそんなミランの笑顔を見ながら、そっと腕を離し、コスバンの言葉を思い出した。
 ひょっとしたらこの少女は、俺が思っているより遥かに俺を必要としているのかも知れない。
 もちろん、その理由はわからなかったが、今は信じることにした。仲間を信じられなくなったらパーティーはおしまいだ。
「フィーチェが無事だといいが……」
 俺は話を変えるように呟いた。
 武器商人シドニスの目的を考えれば生命を奪われる心配はないが、何をされているかはわからない。もしもエルフの村への入り口を教えることを拒めば、拷問される可能性だってある。
 ミランは再び窓の外に目を遣って、自信のない声で言った。
「フィーチェには何があっても抵抗しないように言ったから……。初めて森で会ったときも同じことを言って助けてあげたし、守ってくれると思うけど……」
 なるほど。現実的に考えればミランの言う通りなのだが、今度はフィーチェ個人ではなく、エルフ全員に関わることである。果たして簡単に話すかどうか。
 もっとも、あの少女が口を割らずに居続けることができるかと考えたら、逆に安心できることは否めないが。
「なら、とりあえずフィーチェはシドニスに入り口の話をしてしまっていると考えた方がいいわけだな?」
 俺が尋ねると、ミランは無言で小さく一度頷いた。
「早速明日にでも、部下を連れて森に向かうかも知れない」
 あっさりと俺たちの居場所を突き止めてきたことといい、シドニスはなかなかできる男だ。となれば、すでに交戦の準備はできていると見ていいだろう。
 人数はわからないが、武器商人というくらいなので、部下たちは完全武装で来るはず。ひょっとしたら魔法の武具もあるかも知れない。
「俺たち二人でどうにかなる相手じゃないな」
 俺はそう言ったのだが、ミランは静かに首を左右に振って、珍しく冷酷な瞳で言った。
「ぶっ潰す」
「ミラン……」
 この少女ならばできるかも知れない。俺は一瞬そう思ったが、やはり胸の内で否定した。
 今のミランは確実な勝算があって言っているわけではない。フィーチェを奪われ、自分も怪我を負わされたことがよほど悔しかったのだろう。完全に冷静さを失っている。
 シドニスとて、ミランが魔法師であることは知っているだろうし、取り逃がしたことにも気を留めているはずだ。当然それなりの対応をしてくると考えるのが妥当。
 そう考えると、やはり俺たち二人では勝ち目がない。そして、もし今度負ければ、確実に生命はないだろう。
「ミラン。冷静さを失ったら死ぬぞ?」
 俺は彼女の頭に手を当てて、軽く髪の毛を撫でた。
 ミランは膨れっ面になったが、何も言い返さずに外を見た。
「また明日来る。今日は早く寝ろよ」
 俺は何やら真剣な目で外を見続けるミランにそう言って、静かに病室を出た。
 問題はこれからである。
 どうやってシドニスの野望を打ち砕こうか考えたが、思い浮かぶのは一つしかなかった。ギルドで応援を頼むのだ。
 本来であればエルザーグラの国を動かすのがよいのだが、エルフの村は国の管轄ではないし、それに万が一動いてくれたとしても遅すぎる。
 迅速に、且つ強力な援護をしてくれるとなれば、やはりギルドしかない。
 もっとも、これは俺個人からの依頼という形になるので、金は恐ろしいくらいかかるかも知れないが、それでも人数によってはシステンでの仕事で得た分だけで足りるかも知れない。
 すでに夜中と言っていい時間だったが、俺は迷惑も顧みずにギルドへ向かった。
 酒場の機能も兼ねている探検家ギルドは静まり返っていたが、店自体はまだ開いていた。ひょっとしたら閉まることはないのかも知れない。
「あ、エリアスさん。いらっしゃい」
 ドアを開けると、まだ少年と言っていいような若者が出迎えてくれた。確か名前はブラウと言ったはずだ。客はいない。
「夜遅くにすまない、ブラウ。悪いがマスターを呼んできてくれ」
 ブラウは一瞬怪訝な顔をしたが、何も聞かずに「わかった」とだけ言って奥へ走っていった。急を要することだと判断したのか、あるいはそれを判断するのは自分ではないと考えたのか。
 それはともかく、ほんの数分でギルドマスター、コスバンがやってきて俺の前に腰かけた。
「ミランが怪我して来た時点で、何やら隠してるなとは思ったが、なんだ? 大変なことになったか?」
「ああ。俺はあんたに話さずに、自分だけで解決しようと考えたことを恥じるよ」
 素直にそう言って頭を下げると、コスバンは豪快に笑った。
「俺に頼むと金がかかるしな。そんなに気にするな。生命さえ落とさん限り、若い内は色々無茶した方がいい」
 本心なのか俺を安心させるためかはわからなかったが、俺は簡単に礼を言ってから、フィーチェと会ってから今までの出来事をすべて話した。
 話し終えると、コスバンは腕を組んで「シドニスか……」と一言呟いたきり、黙り込んでしまった。
 コスバンほどの男に考え込まれると、なんだかとてつもなくやばい臭いが漂い始める。事は俺の考えているより、遥かに緊迫しているのではないだろうか。
「潰せそうか?」
 俺が息を飲んで尋ねると、コスバンは俺の不安を理解したのか、かすかに笑って首を振った。
「潰せる潰せないの問題じゃなくてだな。慎重だがせっかちなシドニスのことだ。恐らく今夜中には動いてるだろうと思ってな」
「今夜!?」
 俺が驚いて声を荒げると、コスバンは「不思議か?」と、からかうような眼差しを向けてきた。
「向こうは戦う準備ができている。他はできていない。時間が経てば経つほど不利になっていく。簡単なことだ」
「しかし、今夜とは……」
 俺は思わず舌打ちをした。これではいかにコスバンと言えども、人間を集められるはずがない。
 そう考えた俺に、コスバンは二、三度顎を撫でてから、思わぬ言葉を発した。
「しょうがない。俺が行こう」
「なっ……」
 俺は絶句した。
 まさかギルドマスター自らが動くとは。コスバンほどの男だ。もしものことがあったらギルド全体に関わる。
 驚きのあまり声もない俺に、コスバンは意地悪げに笑って見せた。
「そんな驚くことでもないだろう。俺だって探検家だし、そういう意味ではお前と変わらない」
「すまない」
 俺は申し訳なく思って頭を下げながらも、内心ではとてつもなく興奮していた。
 あのコスバンと、ほんの一瞬だが冒険ができるのだ。たとえそれが単に盗賊まがいの連中と戦うだけだったとしても、恐らく一生俺の心に残る時間になるだろう。
「今夜一晩で5千、成功報酬がもう5千だ。面倒だから文句は言うな」
「あ、ああ……」
 ちなみに1万というのは、通常の若い男が稼ぐ3ヶ月から半年分の額である。一人の人間の、しかもほんのわずかな時間に対して払う額としてはもはや単に高額と言う次元を越えている。
 それでも、コスバンが動くのだからと納得することにした。
「すぐに準備する。ああ、それと、コルザのおっさんがお前の言っていた水晶を置いていった」
 そう言いながら、コスバンは無造作に白い布に包まれた拳大の物体を放ってきた。万が一落としでもしたらどうするつもりなのだ。
 俺は冷や汗をかきながらそれを受け取ると、中身を確認した。
 澄み切って透き通る水色の水晶。確かにそれは、俺たちが2週間前に遺跡で見つけたものだった。
 俺はそれを丁寧に包み直して袋にしまうと、戻ってきたコスバンと一緒に外に出た。
 コスバンは皮製の胸当てを着け、後は簡素な動き易い格好をしていた。額には幅の広い布を巻いているが、真ん中には薄い鉄の板がはまっている。
 武器はやはり俺と同じで、刃渡り40〜50cmほどの剣だ。ただし、俺のより分厚く重そうである。
「まずはミランを起こしてからだな。いくら俺が出たからと言っても、魔法なしだとちと骨が折れる」
 俺は恐ろしいほど速く歩くコスバンを、まるで親を追う子供のように必死に追いかけた。
 そしてエルザーグラに3つある白魔法師協会の1つに入ると、彼をミランの病室に案内する。
「ミラン、入るぞ」
 俺は小声でそう言いながらドアを開け……絶句した。
 いきなり立ち止まった俺を押しのけて、コスバンが中を覗き込む。そして、込み上げる笑みが抑え切れないと言わんばかりに肩を震わせて俺を見た。
「若いってのはいいなぁ。そう思わんか? エリアス」
 俺はとても笑う余裕などなく、ただ呆然と立ち尽くす以外に手はなかった。
 開け放たれた窓から入る風が、無人の病室を通って、俺たちの横を擦り抜けていった。

←前のページへ 次のページへ→