■ Novels


神官プリエと竜騎士ミネンス
偉大なる神カーレガンの神官プリエは15歳。祖父や父、同じ神官の仲間とともに、小さな寺院で人々の怪我や病気を治して暮らしていた。
ところがある日、そんな平和な生活を営んでいたプリエの許に、一人の竜騎士の女性が降り立ち、憎しみをもって剣を閃かせた。彼女の突然の来訪により、プリエの運命が大きく揺れ動く……。

プロローグ

 冷たい雨が降っていた。
 すでに夜の帳の下りたランザリスクの街は、まるで何かに怯えるようにひっそりと静まり返っていた。
 灯りも少なく、人々は早明日に備えて眠りに就いているようである。雨のせいか、この夜は酒場の喧燥も早々に沈黙していた。
 そんな夜のランザリスクの裏通りに3つの人影があった。若い男女と、その子供と思われる小さな女の子だが、3人ともすっぽりと外套を被っており、遠目からでは外見特徴を見ることが出来ない。
 男女はそこからさらに細い路地に入ると、やにわに足を止めて顔を見合わせた。女の子が何事かと不安げに顔を上げたが、二人の醸し出すただならぬ雰囲気に気圧され、怯えたように口を噤んだ。
 そんな少女を険しい顔で一瞥して、男が口を開いた。
「もういいな? こいつが役に立たないのははっきりとわかった」
 こいつとは女の子のことらしい。男の冷淡な口調に、少女は不安が爆発したように声を絞り出した。
「パパ。役に立たないって?」
 彼はそれには答えず、返答を促すようにじっと女性を見つめていた。
 女性は一瞬哀愁を帯びた顔で少女を見下ろしたが、すぐにまた元の無表情に戻り、小さく頷いた。
「よし、じゃあ行こう」
 満足げな笑みを浮かべて男が頷いた。そして彼は娘の前に屈み込むと、笑顔のまま残酷な一言を発した。
「お前とはここでお別れだ。頑張って生きろよ」
「……え?」
 意味がわからないというふうに、少女は首を傾げた。まだ3つか4つくらいの女の子である。
 しかし、意味がわからずとも雰囲気は察し取ったようだ。少女は小さな瞳に涙を浮かべると、「ママ……」と呟き女性の外套の端を握った。
 けれど無情にも、女性はそれを振り払うようにして歩き出した。男もそれに続き、もはやその冷酷な瞳を娘の方に向けようともせず、元いた裏通りに戻る。
「パパ! ママ!」
 女の子は置いて行かれそうなり、必死に二人を追いかけた。そんな少女の小さな身体が、次の瞬間、ふわりと宙に浮かび上がった。
「えっ……?」
 バシャっと水の撥ねる音を立てながら、少女の身体が雨にぬかるむ地面に落ちた。男が蹴り上げたのだ。
「い、痛いよ……。ママぁ……」
 少女は蹴られた腹部を押さえ、しばらく泥にまみれながら苦しそうに顔をゆがめていたが、やがて思い出したように慌てて顔を上げた。
 けれどそこにはもう、少女の求める人影はなく、ただ真っ暗な道に雨が淡々と降り注いでいるだけだった。
「ママ……。パパ……」
 ようやく少女は、自分が捨てられたのだとわかった。
 爆発するように感情があふれ、涙が滝のように流れ落ちた。
「ママ! パパぁっ!」
 少女は両親を呼びながら泣いた。雨の音に大きな泣き声が混ざり合う。
 突然の事態に、少女はもはや泣く以外の術を何一つ持ち合わせていなかった。
 けれど、結果としてその唯一の術が彼女を救うことになった。
 まるで泣き声に引き付けられるようにして現れたのは、一人の酔っ払いだった。40歳くらいだろうか。
 顔を真っ赤にし、足取りもおぼつかなかったが、がっしりとした体躯は立派なもので、彼が浮浪者の類でないのは明白だった。
 男は雨の夜道で泣いている少女の許にやってくると、子供に慣れていないのか、引きつった笑いを浮かべて優しい声を出した。
「どうしたんだ? 迷子か?」
 口調はぶっきらぼうだが、そこに温和なものを感じたのだろう。少女は怪訝そうに顔を上げたが、本能的に彼を信じられる人間だと察知して、怯えることなく口を開いた。
「ううん。パパとママに、置いて行かれちゃったの……」
 途端に男の表情が険しくなった。先程までの酔いが一気に冷めたように、彼は真摯な瞳で少女を見つめた。
「捨てられ……ちゃったの……」
 途切れ途切れにそう言って、少女は再び声をあげて泣き出した。
 彼はそんな少女をじっと見つめたまま、しばらく難しい顔で考え込んでいたが、やがて意を決したように少女の肩に手を置いた。
「もし良かったら、おじさんと一緒に来るか?」
「え?」
 少女が泣くのをやめて彼を見上げる。
 そこにいたのは、顔を真っ赤にした酔っ払いではなく、威厳と風格のある一人の男だった。
「おじさんが、お嬢ちゃんを養ってやろう」
 もう一度そう繰り返して、彼は真っ直ぐ少女の瞳を覗き込んだ。
 喜びも悲しみも知り尽くした者の持つ、深い瞳だった。
 少女はまだ小さかったが、むしろその幼さのために、純粋に彼を信じることができた。
「うん!」
 涙を拭い、大きく頷いた少女は、3歳そこそこの女の子の顔ではなかった。運命の分岐点を感じ取った人間のものだった。
 男は少女の方に身体を傾けて手を伸ばし、少女は精一杯背伸びをして彼の手を握った。
 二人は手をつないだまま、静かに街に消えていった。
 雨はずっと降り続けていた。

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