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神官プリエと竜騎士ミネンス
偉大なる神カーレガンの神官プリエは15歳。祖父や父、同じ神官の仲間とともに、小さな寺院で人々の怪我や病気を治して暮らしていた。
ところがある日、そんな平和な生活を営んでいたプリエの許に、一人の竜騎士の女性が降り立ち、憎しみをもって剣を閃かせた。彼女の突然の来訪により、プリエの運命が大きく揺れ動く……。

 王都ペリアスティンから、アリオカの街を越え、ヴァインの泉を迂回してランザリスクまで続く街道、<緑の道>は、夏を間近に控えて、その名に恥じぬ美しい緑の草原を割るようにして伸びていた。
 そんな<緑の道>をアリオカの手前から横に逸れ、草原をかき分けるようにして5マイルほど行ったところに、寂れた寺院があった。
 オーリスタス寺院という名だが、それを知る者は少ない。
 オーリスタスとは、400年ほど前までペリアスティン全域で崇められていた神の名だが、宗教に依存し過ぎた王が内乱によって倒れ、寺院は打ち捨てられた。
 それから400年の間、寺院は時代の流れに取り残され、すっかり朽ち果ててしまっていたが、今からほんの5年前、そんなオーリスタス寺院に数人の人間が移り住むようになった。
 彼らはカーレガンという聞き慣れぬ神を崇める者たちで、オーリスタス寺院をカーレガン医院と改名し、そこで医者を開業した。
 400年前、ペリアスティンでは宗教を全面的に禁止したが、現在ではその法は形骸しか残っておらず、彼らを咎める者はなかった。
 彼らの中心となる人物はロスペクトという齢64になる老人だった。彼はカーレガンの神父であり、神官たちは皆彼に従っていたが、医院の中で最も人々に知られていたのは、彼の孫であるプリエという15歳の少女だった。
 少女は人々から<カーレガンの天使>と呼ばれ、神の奇跡の力によって、どんな重い病でも治すことができた。この人里離れた寂れた医院がたったの5年で有名になったのも、偏に彼女の力ゆえだった。
 5年前は訪れる者さえなかったが、今では病を治すために、道なき道を辿って医院に来る者が後を絶たない。
 その日もプリエは、そんな患者たちのために、忙しく働いていた。

 医院に一室しかない治療室に入ったとき、プリエは思わずその表情を険しくした。
 据え付けられたベッドに横たわっていたのは、まだ年端もいかぬ少年だったが、彼は両足を滴り落ちそうなほどの血で真っ赤に染まった包帯でグルグル巻きにされていた。
 プリエは今まで数多くの患者を癒し、様々な病や怪我を見てきたが、何年経っても血にだけは慣れることが出来ない。
 むせ返るような血の匂いに吐き気を覚えたが、グッと堪えてドアを閉めた。
 簡素な神官服を着用し、ワインのような濃い赤紫の髪を肩の上で切り揃えた少女は、まだ大人への変調をまるで見せないあどけない顔をしていた。まず「可愛い女の子」と言って間違いないが、頼りなく写るのは否めない。
 けれど、そんな少女が<カーレガンの天使>とまで謳われた神官であるのは有名であり、彼女を見るなり少年の両親と思われる二人の男女が泣きながら声をあげた。
「ああ、プリエ様! どうか息子を……息子をお助けください!」
 今にも飛びついてきそうな二人を、プリエの助手であるレゼットが押しとどめた。
 まるで本物の神を前にしたような二人の様子に、プリエは恥ずかしさを覚えると同時に、偉大なる神と自分ごときを一瞬でも比較してしまったことを申し訳なく思った。
「ご安心ください。カーレガン様は正しい者すべてに御慈悲を与えてくださいます」
 プリエは二人を安心させるようににっこり微笑むと、ベッドの前に座り、少年の状態を確認しながらレゼットに尋ねた。
「この子は?」
 怪我の理由を聞いているのである。もう何年も同じことを繰り返しているので、助手の青年もその意を理解し、事前に両親から聞いた話を事務的に繰り返した。
「プランツ君というそうです。友達と遊んでいて高いところから落ちたようで、症状は見ての通りですね。街の医師には治せないと言われて、ここまで連れてきたようです」
「そう……」
 プランツは意識を失っているらしく、プリエが呼びかけても何も反応しなかった。ただ苦しそうに喘ぎ続け、恐らく初めに診た医師がしたのだろう、完璧な応急処置がなされていたが、このまま放っておけば生命を失うのは明らかだった。
 プリエは服の袖をまくりながら、泣き続ける両親に外に出てもらうようレゼットに頼んだ。
 別に治療の様子を見せられないのではなく、静かにしてもらわなければ集中できないからである。実際に神の奇跡を目の当たりにした患者やその付き人はたくさんいた。
 部屋の中が静かになると、プリエはそっと両手を少年の足にかざした。
「神よ、その御力をお貸しください。プランツの足をお治しください」
 ボゥッと両手が温かくなるのを感じると、その手が淡い光を帯びた。
 プリエの全身に力がみなぎる。まるで神と一体になったような昂揚感に、彼女は思わず顔をほころばせた。この感覚が好きだった。
 体中の血が沸騰するような熱い力を両手に充填させると、そっとその力をプランツの足に注ぎ込む。
 プリエがすることはそれだけだった。少女は神と患者とをつなぐ媒体でしかなく、実際に患者を癒すのは神なのだ。
 やがて光が失われると、少女は息を吐いた。安堵から洩れたものであり、疲れたということはない。すでに他界した母親が同じように力を使ったとき、彼女はひどく疲れると話していたが、少女はどれだけ大きな力を使っても疲れを感じたことがなかった。
 恐らくそれが<天使>と呼ばれる所以だろう。少女が他の神官と一線を画すのは、その力の強さではなく、力を使っても疲れないことにあった。そのために少女は、どれだけひどい病気や怪我も治癒することが出来たのだ。
「お疲れ様でした」
 レゼットがそう声をかけて、少年の足の包帯を取った。ここから先はプリエの仕事ではない。
 少年の足が完治していることだけ確認すると、プリエはレゼットに後のことを任せて部屋を出た。
「プリエ様! 息子は!?」
 部屋を出るなり、大きな声を出して立ち上がったのは先程の夫婦だった。気が気ではなかったのだろう。
「もう大丈夫です。後のことは中にいるレゼットに聞いてください」
 「後のこと」というのは、御布施の話も含まれている。カーレガン医院では、どんな病や怪我に対しても一律で1万ウォレムの治療費を受け取っていた。これはおよそ成人のふた月分の給料に値する額である。
 決して安くもないため、必然的に医院には程度の重い患者ばかりが集まってくる。もちろん、残念ながら重病人というのは多く、プリエたちが金銭面で生活に困ることはなかったが。
 男女のお礼の言葉を有り難く頂戴してから、プリエはしばらく廊下を歩いて中庭に出た。
 医院は古代のオーリスタスへの信仰の強さがうかがえる巨大な建物だった。もっとも、当時取り壊されなかったことを考えると、この規模をもってしてもなお小さい部類に入るのだろう。
 中庭は汗ばむ陽気に包まれていたが、プリエは構わず草を踏みしめて太陽の下に躍り出た。そして思い切り胸に空気を吸い入れる。
 吐き気がするほどの血の匂いに当てられていた肺が、少し楽になった気がした。
「神よ……」
 そっと自分の胸に手を当てて祈りを捧げると、プリエは自らの体調を回復させた。神の奇跡は自らにも及ぼすことが出来る。
 あまり一方的に頼ってばかりでは、いつか見捨てられるのではないかと昔父親に尋ねたことがあったが、彼は「信仰心を忘れなければ大丈夫だ」と笑って答えた。
 恐らくそういうものなのだと、プリエも自分を納得させた。現に一度として神の奇跡が及ばなかったことはない。
 また次の患者が来るまで外の草むしりでもしようと建物に戻りかけたとき、不意にプリエは影に包み込まれて足を止めた。
 雲かと思って見上げた少女の顔が、途端に険しいものに変わる。
 日の光を遮ったものは、一頭の巨大な竜だった。
「竜騎士……」
 思わずプリエは呟き、再び眩しく照り付けた日に手をかざした。
 竜というのは、この世界では珍しくない生き物だった。もっとも、珍しくないといっても彼らは険しい山岳地帯の奥に棲みつき、滅多に人前には姿を現さない。
 けれど、そんな竜たちを乗馬同様に乗るための生き物として手なずける者があった。
 それがランザリスクの竜騎士である。
 それゆえランザリスクでは竜を見るのも珍しくないが、ここはペリアスティンの領土だ。
 城への遣いかと思ったが、どうやらそうではなさそうだった。
 竜が医院のすぐ近くに降りていくのを見て、プリエは急いで建物に戻った。
 もちろん、ランザリスクの兵士がこの医院を訪れたとしても不思議ではない。実際にランザリスクやペリアスティンの城から来る者も多々あった。
 城の人間が来る理由は大きく二つに分けられる。
 一つは他の患者たち同様に、怪我人の治療を頼むためである。平和が続き戦争こそなかったものの、兵士たちが訓練の最中に重傷を負うのは珍しいことではなかった。
 もう一つが仕官の誘いである。プリエの評判を聞きつけ、是非自分の許で働いて欲しいという者もまた、患者ほどではなかったが後を絶たなかった。それはペリアスティンに限らず、遠くの国からの場合もあったし、街の有力貴族から来ることもあった。
 しかしプリエは、それらをことごとく断っていた。また、そうするように祖父や父親からも言われていた。
 ランザリスクから訪れた竜騎士。
 用件はそのどちらかだろうと思いながらも、プリエは何故か不吉な予感に駆られていた。
(何か……起きそうな気がする……)
 胸の動悸を静めるように、少女は片手を胸の前でぎゅっと握ると、なるべく何も考えないようにして走った。

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