■ Novels


神官プリエと竜騎士ミネンス
偉大なる神カーレガンの神官プリエは15歳。祖父や父、同じ神官の仲間とともに、小さな寺院で人々の怪我や病気を治して暮らしていた。
ところがある日、そんな平和な生活を営んでいたプリエの許に、一人の竜騎士の女性が降り立ち、憎しみをもって剣を閃かせた。彼女の突然の来訪により、プリエの運命が大きく揺れ動く……。

 その夜は美しい満月だった。
 数多の星が光を投げかけ、大地を照らし出している。
 風はない。
 静まり返った暗闇の草原に、いくつかの人影があった。カーレガンの神官たちである。
「それでは、そろそろ始めようぞ」
 神父の声に応えるように、一斉に篝火が焚かれた。
 薪の爆ぜる音を立てながら、円形に並べられた十数の炎が周囲をオレンジ色に照らし出す。
 複雑な模様を描くように刈り込まれた草原の一角。三重の円の中心に、少女は立っていた。
 薄い僧衣を一枚まとっただけの姿は、まるでこれから神に捧げられる生け贄のようだった。
 いや、あるいはそうなのかも知れない。
 カーレガンは術者の呪力を吸い、その力を持ってこの世の中に姿を現す。
 それに堪えられなければ、プリエとて過去の失敗の二の舞となろう。
 しかし、少女には自信があった。この二日間でカーレガンを招来するための知識を付け、自分にならできるという確信を持った。初めて聞かされたときのような不安はない。
 プリエは毅然とした表情で大地に立つと、一度確認するように周りを見回した。
 ロスペクトが、フリートが、そして他の9人が深く頷いた。
 三重の円の内側の円周上に立って3人が鈴を鳴らすと、その澄んだ音に呼応するように、外側に立った7人が一斉に呪文を唱え始めた。神父も呪文を唱える一人として立っている。
 フリートだけは何らかの想定外の状況に対処できるよう、一人円から外れてその様子を見守っていた。
 その父親と一度頷き合うと、プリエもまた目を閉じ、手を組んだまま静かに呪文を唱え始めた。
 7人のものとは違う呪文だ。
 暗がりに朗々と神官たちの声が響く。
 二種類の呪文が一つのハーモニーを奏で、プリエの鼓膜を震わせた。
 直接脳を揺さぶられるような、眩暈に近い感覚。同時に、ある種の昂揚感が沸き起こった。
 身体がどんどん熱くなっていく。燃焼され、自分の肉や骨が溶けていくような錯覚が襲う。
 もはや組み合わせた手の感触もなくなり、まるで意思だけを持った死人のように五感が消え失せた。
 その中で、プリエはただひたすら呪文を唱え続けていた。すでに自分の声も聞こえなくなっていたが、唱えようという意思を持っていることだけは確認できた。
 宙に浮かんでいるようでもあり、水の中に沈んでいくようでもあった。身体が伸縮を繰り返している。
 けれど、それだけだった。
 今感じているものは、いつも神の御力を享受するときに感じる昂揚感と同種のものである。ただ、その程度が日頃の数十倍、数百倍というだけだ。
 母親や他の神官たちは、この状態でひどく疲れると言っていた。だとすると、彼女たちでは到底これに堪えられるはずがない。
 だが、プリエは違った。
 少女は自分が自分でなくなっていくような感覚の中にあってなお、ある種の心地良ささえ感じていた。
 昂揚感にだまされて疲れを感じなくなっているのではない。疲れがないのだ。
(カーレガン様。どうかその御姿を私たちの前に……)
 プリエは一心に祈り、呪文を唱え続けた。
 その呼び声に応えるように、草を刈って描かれた模様がほのかに光を帯び、地面が胎動するように蠢き出した。

 この地方では滅多にない大地の震動を感じたのとほぼ同時に、フリートは異変を感じて顔をしかめた。
 月明かりが何かに遮られたように、周囲がわずかに暗くなったのだ。
 反射的に空を見上げた次の瞬間、フリートは険しい顔を醜悪にゆがめて舌打ちをした。
「来たか……」
 彼の目に写ったのは、空を埋め尽くすほどの数の竜だった。
 ランザリスクの勇将ゲイル率いる竜騎士団。
「プリエ以外の者はもう呪文の必要はない! 備えろ!」
 彼が叫ぶのと、槍の雨が降り注いだのはほぼ同時だった。
 対応の遅れた者が悲鳴をあげて大地に倒れた。フリートの声にすぐさま事態を把握できた者だけが素早くその能力を持って槍を回避する。
 プリエ目掛けて飛んできた槍も、フリートが衝撃波で叩き落とした。
「何?」
 突然思念に入り込んできた雑音に、プリエは思考を中断して目を開けた。だが、
「プリエ! お前は呪文を続けろ! もう少しだ!」
 何かを目にする前に父親に叱責されて、少女は再び堅く目を閉じた。
(お願い、カーレガン様! 私たちの前に来て! そして助けてください!)
 数騎の竜が飛来し、至近距離から槍を放った。
 それが正確に神官の一人を刺し貫き、彼は血を吐いて倒れた。
「ええい! この大事なときに!」
 忌々しげに吐き捨てたロスペクトの手から放たれた衝撃波が、ものすごい力で竜の腹を打ち、バランスを崩した竜騎士が地面に落ちた。
 すぐさまロスペクトは第二撃を放とうとしたが、それは自らに向かってきた槍に使わざるを得なかった。
「くそぅ!」
 神父とは思えない雑言を吐いて、ロスペクトは舌打ちをした。
 多勢に無勢だった。
 神官たちはプリエを含めてすでに5人ほどしか残っていないのに対して、彼らは40人ほどおり、そのいずれもが健在だった。
 一斉に竜騎士が降下を始めた。敵の人数が減ってきたので、地上戦に持ち込もうという腹積もりだ。
 その間にも大地の揺れは大きくなっている。どこからともなく強風が吹き、いつの間にか空を分厚い雲が覆っていた。
 断末魔の悲鳴があがり、神官の一人が血を迸らせて倒れた。見るとそれはプリエの助手の青年だったが、幸いなことに少女はその様子を見ていなかった。
 剣を抜き放った騎士の一人が、突然大きく揺れた大地に足を取られてバランスを崩した。その頭を、ロスペクトの術が吹き飛ばした。
 けれど、それが老いた神父の限界だった。彼らはプリエとは違い、術を用いるのに体力を消耗するのだ。
 波のように上下に揺れる地面を蹴り、一人の騎士が神父の前に躍り出た。
 凶刃が煌く。
「ぬぅ! これまでかっ!」
 怒りの形相で血を吐くように叫んだロスペクトの胸に、騎士の剣が深く突き刺さった。
「オーリスタス様万歳!」
 目を見開き、口の端に血の泡を噴きながらロスペクトは大地に倒れた。まるで天を仰ぐように眼を開いたまま、彼は絶命した。
 同じように、一人の騎士がフリートにも向かっていった。
「ちっ!」
 彼はその騎士の足に衝撃波を叩き込むと、そのまま天を仰いだ。
「まだかっ! カーレガンよ! オーリスタス様! どうかプリエに御力を!」
 その叫び声が、空に轟いた雷鳴にかき消された。
 雲の間を稲光が走り、次に一筋の雷が宙にいた数頭の竜を巻き込みながら、まるで巨大な柱のように地面に突き刺さった。
 景色が一瞬白く染まる。
 まるで世界が崩壊するのではないかというほどの地鳴りが起きて、突然、火山が噴火するように地面が爆発して大地が盛り上がった。
 ずっと祈りを捧げていた少女もこれには耐え切れず、大地に伏して目を開いた。
 彼女の黒に近い美しい深紅の瞳に飛び込んできたものは、さながら地獄絵図のような光景だった。
 祖父が、助手の青年が、仲間の神官たちが血を流して無造作に横たわっている。
 生きているのは少し離れたところで膝立ちになっている父親一人のようだった。
「ひどい……」
 少女は目を剥き、怒りのあまり唇をかんだ。
 空を舞っている竜と大地に降り立っている竜騎士が、まるで自分たちの幸せを奪いに来た悪魔のように思えた。
 そして、そんな竜の群れに向かって地面から真っ直ぐ舞い上がった巨大な黒い物体。
 少女には、まさにそれが自分たちを救いに来た神に写った。
「カーレガン様!」
 大地から現れたのは、竜騎士の乗る竜の20倍はあろうかという巨大な黒竜だった。

←前のページへ 次のページへ→