けれどプリエの目覚めは最悪だったといって良い。
少女には何一つ希望がなかった。
主カーレガンがこの医院に戻ってきて、そしてこの足枷を取ってくれる。
信じてはいたが、滑稽に思えた。
ミネンスは一体どういうつもりなのだろう。復讐を果たした後は、やはりプリエを殺すのだろうか。
ならば、もういっそ一思いに殺して欲しい。
昨日際限のない痛みの中で、何度も自ら生命を絶とうと考えた。
けれど、少女にはできなかった。
まだ生きたかった。
一人になってしまっても、生きていればきっとまた笑える日が来る。そう信じたかった。
少女は泣きながら小さく笑った。
またミネンスがやってきて、決して逃れる術のない虐待が始まるのだと、プリエは陰鬱な顔で床を見つめていた。
けれど、どれだけ経ってもミネンスは現れなかった。
起きてからすでに3時間は経っている。もう昼近い。
プリエは今度は別の恐怖に苛まれた。
すなわち、ミネンスが自分を置いて国に帰ってしまうこと。
足枷を付けられ、柱に縛り付けられたプリエは、良くも悪くもミネンスあっての生命だったのだ。
「ミネンスっ!」
気が付くと少女は叫んでいた。
孤独。
それは昨日受けたあらゆる肉体的な攻撃よりも巨大な恐怖だった。
「出てきて、ミネンス! いるんでしょ!? 私に復讐するんでしょ!? ねぇ! ねえってば!」
声を嗄らして叫んだ。
けれどその声は部屋の中に響くだけで、彼女に応えるのは風の音しかなかった。
「ミネンス……どうして……?」
あれほど復讐に燃えていた彼女が、何故いなくなってしまったのか。
それとも、これが彼女の選んだ最大の復讐なのだろうか。
プリエは膝を抱えて涙をこぼした。
先程からずっと腹の虫が鳴き続けている。
さしもの少女も、空腹だけは癒せなかった。このままでは餓死は免れまい。
ずっと声を出していれば、いずれ医院を訪れた患者が気が付いて助けてくれるだろうか。
少女はそうも思ったが、すぐに否定した。
外には人や竜の死体が散らばり、大地は裂け、医院も大半が倒壊している。
もはや誰も近寄るまい。
ならば衝撃波で柱を壊そうか。
プリエはそう考えてから、やはり表情を沈ませた。
柱は太く、とてもではないが壊せそうにない。
それに、万が一壊せたとしても天井が崩れ落ちてくるのは必至だったし、足枷自体が取れるわけではないので歩くことができない。
(嫌だ……こんな死に方したくない……)
少女は自分の身体を抱きしめると、大粒の涙をボロボロとこぼした。
「ミネンス、助けてよ! 私を置いて行かないで!」
自分を殺そうとしている人間にこんなことを言っても仕方ないとは思う。
けれど、どうせ殺されるなら彼女自身の手にかかった方がまだましだった。
「ミネンスーっ!」
絶叫すると、その言葉に応えるようにドアが開かれた。
「えっ?」
驚いて見上げたそこに、少女と同じ色の髪をした戦士の女性が立っていた。
「ミネンス……」
待ち望んだ女性の登場に、しかしプリエの気分が晴れたのは一瞬だった。
様子がおかしかったのだ。
「どうしたんですか……?」
少女は恐る恐る尋ねた。
彼女はどこまでも冷たい瞳で神官の少女を見下ろしていた。その表情には昨日のような余裕がまったくなく、どこか青ざめて見えた。
ミネンスは無言のままドアを閉めると、ゆっくりと少女に近付いてきた。そして彼女の前に立つや否や、いきなりその肩を蹴りつけた。
「痛っ!」
プリエは呻き声をあげて倒れた。そんな少女をミネンスは硬い靴の底で蹴り続けた。
「ミ、ミネンス……」
プリエは必死に痛みを堪えながら自分に危害を加える女性を見上げた。
ミネンスは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「何が……っ!」
言いかけたプリエの顔にミネンスの爪先がめり込み、頬骨の砕ける音がした。
「や、やめて! やめて、ミネンス! お願い!」
プリエは叫んだ。
「うるさいっ!」
初めてミネンスが口を開いたが、彼女はプリエを蹴るのをやめなかった。
床の上に投げ出された少女の手を、ミネンスは踵で思い切り踏みつけた。
指の付け根から手の平の骨すべてが砕け、少女は人間の叫びとは思えない声をあげた。
仰向けになって手を押さえるプリエの胸を、再び戦士の靴が襲いかかった。
ボキッと鈍い音を立てて肋が折れ、それが内臓に刺さったのか、むせ返った少女の口から濃い赤の血が床を濡らした。
(殺される……)
プリエは死を覚悟して、かすむ瞳で女性を見上げた。
彼女は泣いていた。美しい珠のような涙をこぼしながら、それを拭おうともせず、苦しそうに肩で息をして一心に少女を蹴り続けていた。
一体何が起きたのだろう。
少女は気になったが、もはやそれを尋ねるような余力はなかった。
肘を砕かれ、痛みのあまりに身体を折ると、床から浮いた頭をミネンスの踵が捕らえた。
そのまま思い切り石の床に後頭部を打ちつけられて、頭蓋の割れる音を最後に、プリエは意識を手放した。
ミネンスは泣きながら、少女の小さな身体をいつまでも蹴り続けていた。
←前のページへ | 次のページへ→ |