竜騎士ミネンスの愛竜フェーセである。
手綱を取るミネンスの背にしがみつきながら、プリエは興味津々な顔つきでフェーセの前方を眺めていた。
とてもこれから、街一つ破壊した化け物と戦いに行くという顔ではない。
「ミネンス。それはどうやるのですか? 私にもできるの?」
プリエが見ていたものは、フェーセの前方数ヤード先を同じ速度で飛んでいる丸い光の玉だった。
ミネンスが作り出した光源だ。
身を切るような風のせいで聞こえなかったのか、ミネンスが何も言わなかったのでプリエは身を乗り出してもう一度尋ねた。
「あれか?」
ミネンスは前を向いたまま答えた。
「強い術師なら誰でも使える。お前は教わってないのか?」
プリエは大きく頷いた。両親は彼女に必要最小限の術しか教えなかったのだ。
ミネンスは自分の肩から顔を覗かせているプリエを見ると、簡単に使い方を教えた。
少女は時々相槌を打ちながらそれを聞くと、「やってみます」と言われた通りに術を使ってみた。
初めは上手くいかなかったが、何度か挑戦すると、やがて小さな光が手の上に浮かび上がった。
「あ、できました!」
嬉しそうに声を弾ませるプリエ。
ミネンスは少女にわからないよう小さく微笑むと、
「そろそろ追いつくぞ」
今までの和やかな雰囲気を消し去るように、低い声でそう言った。
不意打ちだった。
月の光が遮られたかと思うと、突然空からものすごい勢いで巨大な竜が飛行してきたのだ。
カーレガンである。
まるで雲の中に隠れていたかのような突然の襲来に、ミネンスは舌打ちをした。相手が巨体なのを生かして、自分から先制攻撃をかけようと思っていたのに、まさか先手を打たれるとは。
素早くフェーセを操り、ミネンスはその攻撃を辛うじて躱すことに成功した。並みの騎士なら今の一撃で終わっていただろう。
「プリエ、ありったけの力を込めて、あいつに術を打ち続けろ! これだけ速いと避けるのに精一杯で槍は使えない!」
背中で青ざめているプリエに怒鳴りつけ、ミネンスは手綱をしごいた。
再び襲いかかってきた竜の首を躱し、大きく横殴りに打ちつけてきた尾も辛く躱した。
「早く!」
急かすミネンスに、プリエは小さく首を横に振った。
「ミネンス、お願いがあります」
「なんだ?」
飛び掛かってきたカーレガンに衝撃波を叩き込み、ミネンスは地面スレスレまで高度を落とした。
この位置ならば相手も突撃はかけて来れまいと考えたのだ。
すると、まるでそれを待っていたかのようにプリエが竜の背を飛び降り、地面に立った。
「プリエ!」
驚くミネンスに、プリエは笑って言った。
「ありがとう、ミネンス。地面に降ろしてもらおうと思ったの」
それだけ言って、プリエはカーレガンの真下に走った。
そして両手を広げて大きな声で呼びかける。
「カーレガン様!」
乞いすがるような眼差しで、プリエは自らが主と崇める竜を見上げた。
少女はミネンスの話の真偽を、そしてアリオカの街を滅ぼした理由を直接カーレガンに聞こうとしていたのだ。
「あのバカ!」
ミネンスは舌打ちをし、すぐにフェーセの首を巡らせたが、カーレガンの対応の方が速かった。
「カーレガン様、教えてください! どうしてあんなことをしたのですか? 何故罪もない人々を攻撃するのですか?」
プリエは叫んだ。
たとえどんな答えであろうと、真っ直ぐ受け止める覚悟だった。少女は、目の前の竜が何らかの回答を与えてくれることを疑わなかった。
けれど、カーレガンはただの竜である。プリエの言葉に答える術も、質問の意味を理解する術も持ち合わせてはいなかった。
巨大な牙を剥き、眼窩に怒りの赤い光を宿して竜は少女に襲いかかった。
「カーレガン様!」
プリエは蒼白になった。話し合いにすらならないとは。
恐怖に身をすくめていると、主たる竜はすぐそこまで来ていて、まさにプリエを飲み込まんとその巨大な口を開いた。
(ミネンス……)
少女は何もできずに怯えるように身を屈めた。
その瞬間、プリエは横からものすごい圧力を受けて弾き飛ばされた。ミネンスが衝撃波を叩き込んだのだ。
一テンポ遅れて、つい先程までプリエのいた場所をカーレガンがえぐり取り、その拍子に地面で顔を打ったのか大地が揺れるような叫びをあげた。
「お前はバカか!」
先程の衝撃波に骨を折ったのか、地面にうずくまって苦しそうに喘いでいた少女を無理矢理抱え上げると、ミネンスは空に舞い上がった。
そして苦しんでいるカーレガンに一撃叩き込み、真っ直ぐ少女を見据えた。
「ミネンス……」
プリエは怪我を癒しながら、竜騎士の女性を見つめた。
ミネンスは一度困ったように顔をゆがめると、深くため息を吐いた。
「プリエ。確かアリオカであいつの制御の仕方を聞いたな」
「はい」
一体あの荒れ狂う竜を、フリートとロスペクトはどうやって操るつもりだったのか。
プリエにはわからなかった。試しに話しかけてみたが、まるで取りつく島もなく、それどころが人語を解した様子もない。
好奇の目を彼女に向けると、ミネンスは同情するような声で呟くように言った。
「あれは召喚した者を食うと大人しくなるとされている」
「え……?」
「つまり、フリートもロスペクトも、お前にあれを復活させた後、あれにお前を食わせる気だったんだ」
「う、嘘……」
自分でも声が震えているのがわかった。
今まで一度も偽ったことを口にしていないミネンスである。恐らく本当なのだろう。
けれど、まさか自分の娘にそんなことをするとは思えない。信じられなかった。
「ペリアスティン王もそれを知らなかった。だから彼は狙われ、軍隊を持ってあれと戦った。そして今、あれはお前を狙っている。お前を食えば大人しくなるだろうよ」
「そ、そんなの……嘘よ……」
ミネンスの背にしがみつく腕が震えていた。
「だって、じゃあ、お父さんもお母さんも、初めからそのつもりだったって言うの? あの優しさは嘘だったって言うの?」
楽しく話をしてくれたこと。
明るく笑ってくれたこと。
そんな数々の記憶を思い出しながら首を振るプリエに、ミネンスは冷たい瞳で言った。
「そうだ。あいつらはお前を道具としてしか見てなかった」
「嘘よ!」
「嘘じゃない!」
ミネンスが声を荒げると、プリエはびくっと肩をすくませて怯えるように目を閉じた。
ミネンスはそんな少女から視線を逸らせ、眼下の竜に目を遣った。まだ苦しそうにしているが、ミネンスの攻撃が効いた様子はない。
無駄な攻撃をするよりも、今はプリエを説得するのが先だろう。
ミネンスは低く通る声で、ゆっくりと言った。
「嘘じゃないんだ、プリエ。あいつらは娘を人間としてなんか見ていない。でなければ、召喚の役に立たないからって、自分の娘を捨てたりしない」
「えっ……?」
彼女の言葉に、プリエは驚いて顔を上げた。
ミネンスは自虐的に笑って言った。
「捨てられたんだよ。あたしは、あいつらにな」
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