まぶたを開くと、眩しい朝の光が瞳に飛び込んでくる。
窓の外から、風が草を揺らす音が聞こえてきた。それがあまりにも爽やかだったから、プリエは一瞬、すべてのことが夢に思えて微笑みを浮かべた。
けれど、すぐに少女は現実を突きつけられた。
見下ろした両足に、重々しい無機質な光を放つ、鉄製の足枷がはめられていた。そしてそれが、医院の中にある一本の柱につながれていた。
プリエは枷に手をかけ、外してみようと努力したが、すぐに無駄だとわかりため息を吐いた。
「カーレガン様……。これはなんの罰なのでしょう……」
優しい人たちに囲まれ、幸せな生活を送っていた。
それが4日前、突然一人の女性が現れて、一瞬にしてこれまでのすべてが崩壊してしまった。
父親も祖父も殺され、苦楽をともにしてきた仲間も誰一人としていなくなってしまった。
唯一生き残った自分は、まるで死刑を待つ囚人のように枷をはめられ、柱にくくりつけられている。
「私が、何をしたというのですか……?」
込み上げてきた涙を服の袖で拭うと、不意にドアの開く音がして顔を上げた。
そこには、憎むべき竜騎士の女性が、二人分の食事を持って立っていた。
「起きたのか」
女性は独り言のように呟くと、プリエの前にやってきて、手にした食事を床に置いた。
食事はパンとシチュー、それに新鮮な野菜サラダだった。どれも手が込んでおり、とても囚人に対して出すものとは思えない。
それに、目の前のがさつな女が家庭的な料理を作るのが意外で、プリエは困惑気味な表情で彼女を見た。
ミネンスは無表情でその瞳を見返すと、
「食え」
一言そう言って、自分のパンを取った。
プリエはしばらく逡巡したが、最後には空腹が打ち勝ってシチューにパンを浸した。
一口それを口にすると、パンに良く合うシチューの美味しさに、プリエは思わず顔をほころばせた。プリエも料理は上手い方だが、ここまでは作れない。
ミネンスはそんなプリエの様子に、一瞬嬉しそうにしたが、すぐにまた無表情に戻ると自分のパンを口に押し込んだ。
プリエはミネンスの見せた顔に唖然となったが、何も言わずに食事を平らげた。
食事が終わって人心地つくと、プリエは黙って食器を片付けるミネンスに尋ねた。
「ねえ。どうしてこんなことをしたの?」
「こんなこと?」
何を差しているのかわからないというふうに、ミネンスは語尾を上げて聞き返した。
プリエは即答する。
「昨日のことすべてです。どうしてみんなを殺したんですか? 私たちが何をしたって言うんですか?」
「これは復讐だ」
静かに、ミネンスは答えた。
「復讐?」
「そうだ。お前の親が、あたしの母にしたことのな」
そう言って、ミネンスは独り言のように話し始めた。
16年前、ランザリスクで若い女性を標的にした誘拐事件が相次いだ。
国は全力を挙げて解決に乗り出し、ついに騎士の一人だったグランドが犯人を突き止めた。
彼らはカーレガンの神官を名乗り、誘拐した女性をカーレガン復活のための術者として、あるいはその生け贄として使っていた。
グランドはただちにそれを報告しようとしたが、できなかった。
グランドに真相を暴かれたことを知ったカーレガンの神官たちが、見せしめとして彼の妻であるシアナを襲い、彼女の片足を切り落としたのだ。
グランドは嘆き悲しみ、まるで廃人のようになってしまった。
そうこうしている内に、カーレガンの神官たちは忽然と姿を消し、誘拐事件はそのまま闇に葬られた。
「その母が、つい先日死んだ。最後までお前たちを呪いながらな」
思い出したのか、ミネンスがその瞳に怒りの炎をたぎらせた。
黙って話を聞いていたプリエだったが、彼女が話し終わるとすぐに、きっぱりと断言した。
「それは嘘です」
「なんだとっ!」
反射的に繰り出されたミネンスの拳がプリエの頬を捕らえ、少女は小さく悲鳴を上げて床に倒れた。鼻から流れる血が床に広がる。
「もう一度言ってみろ!」
荒々しく息をし、ミネンスは靴の踵で何度も少女の身体を踏みつけた。その度に少女はくぐもった悲鳴をあげたが、身を丸くしてじっと我慢していた。
やがてミネンスは疲れ、無言で少女の髪を引っ張り上げた。その目は怒りに血走っている。
プリエは目と口から血を流しながら、それでもはっきりと言った。
「あんな優しい人たちが、そんなことをするはずがありません」
「こ、このガキがっ!」
ミネンスの怒声とともに、少女の顔に拳がめり込んだ。
鼻の折れる音を立てながら、プリエは冷たい石の床に転がり落ちた。
「あいつらはなぁ! 自分の目的のためだったら、他人なんてどうでもいいんだよ! ヤツらがランザリスクを出たのだってそうだ。あいつら、逃げたんじゃない。お前が生まれたから、もう必要なくなったんだよ! 他人の生命をまるで使い捨ての道具のように扱ったんだ!」
「そんなこと……信じられません!」
怪我を術で治しながら、プリエは叫んだ。
「カーレガン様を復活させるために……きっと何か複雑な事情があったはずです。私だって、犠牲が必要なんて言うつもりはありません。でも、何もなしでそんなことをする人たちじゃない!」
「するヤツだったんだよ、フリートはな!」
プリエを蹴りつけ、ミネンスは怒鳴った。
「あいつは母さんを襲って父さんを脅したんだ。人間の心なんて持ち合わせちゃいない! そもそも、カーレガンを復活させようなんていう考えが、すでに正気じゃないんだ!」
「復活って何ですか!? 偉大なる神をこの世界に呼び寄せようという考えの、何か正気じゃないの?」
負けじとプリエも反論する。
暴力を振るわれるのは怖かったが、かといって理不尽な言いがかりを黙って受け入れるほど寛容ではなかった。
「神? はん! あんなのが神なものかっ!」
プリエの言葉に、ミネンスは鼻で笑った。そして蔑むように少女を見下ろして目を細めた。
「お前は、本当にあいつを神だとか思ってるのか?」
「神でなければなんだと言うのですか?」
一体目の前の女性は何を言っているのだろうと、プリエは眉をひそめてミネンスを見上げた。
そんなプリエに、ミネンスは一語一語区切りながら、諭すように言った。
「あいつは神なんかじゃない。あれは400年前に、ペリアスティンの王が呼び寄せた邪竜の内の一匹だ」
「邪竜?」
顔をしかめるプリエ。ミネンスは大きく頷き、勝ち誇ったように言った。
「そうだ。古代オーリスタス信仰の産んだ悪魔。400年前の人々が必死の思いで封印したのを、お前が解放してしまったんだ!」
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