門の入り口に立つと、ゆっくりと大地に降り立ったエメラルド色の竜から、ランザリスクの紋章の入った蒼い鎧をまとった戦士が飛び降り、真っ直ぐ彼女を見据えた。
戦士は20歳くらいの女性だった。
プリエと同じ色の髪をしているからか、どことなく少女と似た雰囲気がある。けれど、少女が全体的に穏やかな印象を受けるのに対して、女性は刺すような空気を身にまとい、ピリピリとした雰囲気を醸し出していた。
プリエは油断なく構えたまま、ちらりと竜を見た。どうやら女性は一人のようである。
怪我人や病人の治療でないとすると、仕官の話かと思ったが、少女は心の中で首を振った。
まるで責めるような視線といい、とてもではないが穏やかな話を持ってきたとは思えない。
「こんな辺鄙な場所に、ランザリスクの方が何のご用でしょう」
自分でもわかるほど敵意を剥き出しにして、プリエは声を張り上げた。たとえ相手が誰であろうと、何もする前から敵対的な視線を向けられて愉快なはずがない。<天使>と称えられた少女も、やはり人間なのだ。
女性は厳しく目を細めたまま、無言で少女の前に立った。
プリエより頭一つ分ほど背丈があり、体付きもがっしりしている。かと言って筋肉質かと言えばそうでもなく、全体的に形の整った美人だった。
けれど、それも刺々しい雰囲気がすべて台無しにしている。
悠然と自分を見下ろす美女を、少女は毅然として睨み返した。
「何ですか?」
もう一度繰り返すと、女性はようやく口を開き、低い声を出した。
「お前はフリートとアジティの娘か?」
フリートとはプリエの父親のことであり、アジティとは母親のことである。
「そうですけど、それが何か? ご用件は何ですか?」
一刻も早く帰って欲しいと言わんばかりに、プリエは女性に食ってかかった。
けれど女性はまったく意に介さず、まるでライオンに挑みかかる猫のような少女を、嘲るように鼻で笑った。
「天使とかおだてられてる割には短気だな。プリエちゃん」
完全に人を小馬鹿にした口調だったが、目は少しも笑ってなかった。今にも腰に帯びた剣を抜き、少女を斬り殺しそうな相貌だ。
プリエは何か言い返そうと思ったがグッと言葉を飲み込み、できるだけ冷静に繰り返した。
「もう一度聞きます。ご用件は何ですか? 用がないなら帰ってください」
取りつく島もない少女の態度に、女性はやれやれと首を竦めてみせてから、やはり悠然と言い放った。
「フリートとアジティに会いたいのだが」
その言葉に少女は思わず首を傾げた。
フリートは健在だが、アジティはすでに他界している。プリエが人々に<天使>と呼ばれていることや、フリートやアジティの名を知っていながら、何故そのことを知らないのだろうか。
そんな疑問に駆られたが、この医院で有名なのはプリエだけだし、偏った情報を持っていても何も不思議ではないと、すぐに納得することにした。目の前の女性となるべく口を利きたくなかった。
「父はいますが、母はすでに亡くなりました」
「死んだ?」
女性が美しい顔を歪めた。悲しそうにしたのではない。悔しそうに歪めたのだ。まるで自分の手で殺せなかったことを呪うかのように。
優しかった母親の死を愚弄されたような気分になって、プリエは声を荒げて怒鳴った。
「一体何ですか? あなたは! 用件は私が伺います。あなたみたいな礼儀知らずの人を、父や祖父に会わせるわけにはいきません!」
けれど、そんな少女の威勢も女性は一笑に付した。
「そんなことはお前に決められることではないだろう。さっさとフリートかロスペクトを連れてこい」
冷笑を浮かべながらそう言った女性に、プリエも負けじと言い返す。
「私がそれに従う義務もありません。ここはあなた方の領土ではありません。そんな不遜な態度を取ったところで、あなたの品位が下がるだけですよ」
「なんだって?」
女性の目がスッと細まり、その手が剣の柄にかかった。プリエは一歩下がって身構えた。
相手は竜騎士の中でもかなりの地位の者らしかったが、それでも負ける気はしなかった。
少女には神がついている。神の力を借りれば大抵の者は恐怖に値しなかったし、事実プリエはその力を持って、金品を目当てに度々襲ってくる盗賊たちをことごとく退治していた。
「それを抜くなら、私も容赦しませんよ」
少女の手がほのかに光を帯びた。
女性はニヤリと笑った。恐らく、自分よりも小さな少女に見くびられたのが気に入らなかったのだろう。
「面白い! それならあたしを倒してみな!」
女性の剣が唸った。抜き打ちだ。
普通の人間なら恐らくその一撃で終わっていただろう。それくらい速い太刀だった。
しかしプリエは神に愛された少女だった。
両手から衝撃波を迸らせ、それを女性の剣に叩き付けると、すぐさま両手に力を込めた。
「神よ!」
突き出した手の平から見えない衝撃が女性を襲う。けれど彼女はそれを機敏な動作で躱すと、再び少女に斬りかかった。
プリエはその攻撃を避けようとせず、むしろ女性を引き付けるように身構えた。
そして女性が目前まで迫り来ると、
「せぁっ!」
鋭く気を吐いて衝撃波を打った。
この至近距離では避けられまい。仮に避けたとしても、その体勢から剣を打つのは不可能だ。
そう考えたプリエだったが、次の瞬間、自らの首筋に当たる冷たい感触に身体を強張らせた。
「勝負あったな、天使のお嬢ちゃん」
そう言って鼻で笑った女性の剣の切っ先が、プリエの首に触れていた。
「そ、そんな……」
プリエは震えながら呟いた。
衝撃波は確かに女性の身体を捕らえていた。けれど彼女はまるで平気な顔をして立っている。
効かなかったのかと思ったが、すぐにそれを否定した。過去にダメージが与えられないことはあっても、まるで効果を発揮しないことはなかった。
なら、一体……。
「あまり慢心するなよ」
スッと剣を引くと、プリエの首にわずかな痛みが走り、神官服の襟にじわりと血が滲んだ。
女性の剣が鞘に収まると、プリエは恐怖のあまりその場に膝を折り、地面に手をついた。
生命を落としそうだったのだと思うと、震えが止まらない。額から汗が滴になった落ちた。
そんな少女を見下ろしたまま、女性は今度は感情を一切孕まない、事務的な口調で語った。
「用件は16年前にランザリスクであった連続誘拐事件のことだ。もっとも、生まれてもいなかったお前には、何のことかわからんと思うけどな」
「誘拐……事件……?」
プリエは怯えるように女性を見上げた。彼女は先程までとは打って変わった真剣な表情をしていた。
怒りはあったが嘲りはない、そんな顔だ。
「一体、この小さな医院に、そんな昔の誘拐事件がどう関係するというのですか!?」
詰問するように少女は声を張り上げた。まるでそうでもしなければ、自分という存在がいなくなってしまうかのように。
けれど女性は少女に解答を与えなかった。
「父親に聞くんだな。恐らく誰よりもよく知っているだろう」
それだけ言って、女性はくるりと身を翻し、何事もなかったように竜の方へ歩いて行った。
そしてあぶみに足をかけ竜の背に跨ると、良く通る低い声で言い放った。
「ここがランザリスクの権力の及ばない場所であるというお前の発言を認めよう。だが、覚悟しておけ! 次に来たときは、あたしはお前に死ぬ以上の苦しみを与えてやる。絶対にな!」
大きく竜が羽ばたいて、砂埃が上げて空を舞った。
しかしプリエは、そんな竜騎士の女性を見ていなかった。生まれて初めて生命を脅かされたショックにまだ気が動転していたのだ。
思い出したように首が痛んで、プリエは切られた部位にそっと手を当てた。
肌に触れると、指先に絡み付くようなぬるりとした感触がした。
恐る恐る目の前に持ってきて開くと、その手はまるで手袋でもしているように真っ赤に染まっていて、プリエは眩暈と吐き気を覚えた。他人の血ですら我慢ならない少女が、あふれるように流れ落ちる自らの血に堪えられるはずがなかった。
「う……うぅ……」
少女は身を丸め、泣きながらその場にうずくまった。
すでに竜騎士の去った空には、真っ白な太陽が晧々と輝いていた。
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