「はぁ……はぁ……」
大きく肩で息をしながら見下ろすと、少女は全身を血まみれにしたまま、ピクリとも動かなかった。
ミネンスは険しく顔をゆがめた。
「プリエ?」
そっと抱き起こすと、少女はだらりと首や手を垂らした。短い髪の毛から血が滴り落ちる。
それでも、ほんの微かに息をしていたのは奇跡だろう。ミネンスがもう一撃加えていれば、少女は死んでいたかも知れない。
「おい、しっかりしろ! 早く怪我を治せ!」
ミネンスは怒鳴りつけたが、プリエは身じろぎ一つしなかった。ミネンスは青ざめた。
「プリエ……」
ミネンスは一瞬悲しそうな顔をしてから、意を決したように頷いた。
そしてその小さな身体をそっと抱きしめると、片手を少女の額に当てた。
「死ぬなよ、プリエ……」
ぽうっとその手に光が宿る。それはプリエが病人を治すときよりも遥かに強い光だった。
見る見る内にプリエの傷は塞がり、真っ青だった顔に血の気が戻り始めた。
反してミネンスは額に汗を浮かべ、苦しそうに顔を歪ませていた。
彼女はプリエの両親や、カーレガンの神官たち同様、術を使うことで疲れを感じるのだ。
それでも彼女はやめようとはしなかった。
まるで自分の生命を注ぎ込むように、ミネンスはプリエに力を与え続けた。
慣れ親しんだ感触がした。
身体が芯から温かくなり、すべてが癒されていく。
まるで神に抱かれたようで、プリエはこの感覚が好きだった。
うっすらと目を開けると、すぐそこに赤い髪の女性がいて、プリエの身体を抱きしめていた。
「お母さん……?」
プリエが呟くと、「気が付いたのか」と女性が安堵の息を洩らした。
声はミネンスのものだった。
「ミネンス……」
プリエは意外そうに呟いた。同時に様々な疑問が脳裏をよぎったが、今はそれらのすべてがどうでも良く思えた。
「あったかい……」
プリエは顔をほころばせると、もう一度目を閉じた。
安心したように身体を投げかけ、小さく寝息を立て始めた少女を、ミネンスは複雑な表情で見下ろしていたが、何も言わずに再び少女の回復に努めた。
そっと髪をなでると、プリエは嬉しそうに微笑みを浮かべた。
次に目を覚ますと、プリエはミネンスの膝に頭を乗せて横になっていた。
少し首を傾けると、赤毛の女性は疲れた顔で少女を見下ろしていた。
プリエはまだ自分が全快していないのを感じたが、その手に光を宿すと、そっとミネンスの足に当てた。
「どうしてですか?」
ミネンスの体力を回復させながらプリエは尋ねた。
「何がだ?」
「この力です。どうしてカーレガン様の神官でもないあなたが、この力を使えるのですか?」
プリエの質問に、ミネンスは心底疲れたようなため息を吐いた。少し前なら怒鳴っていたに違いないが、もはやあきらめに近い声で彼女は答えた。
「この力は特別なものじゃないんだ。怪我の回復をさせられるヤツなんて世の中にはうじゃうじゃいる。ただ、あたしはその力が他の人間より強い。お前は弱いけど疲れずに使うことができる。それだけなんだ」
「そんな……」
反論しかけたプリエを制して、ミネンスは続けた。
「お前の攻撃な。あれはあたしに効かなかったんじゃなくて、あたしがもっと強い力をぶつけていただけだ。お前はだまされていたんだ。その力が神の力なんだと、両親に信じ込まされていただけなんだ」
「…………」
プリエは何も言えなかった。
ミネンスの言葉を完全に信じたわけではない。生まれてからずっとそう信じてきたのだ。簡単にその考えを払拭することはできない。
だが、彼女が嘘を吐いているようにも見えなかった。
プリエはミネンスに十分力を注いでから、今度は自分の怪我を治すために力を込めた。もう起き上がることはできたが、膝枕が心地良かったのでそのままでいた。
「何があったんですか?」
先程の涙を思い出しながらプリエは尋ねた。生きて再びこの質問を投げかけることができるとは思っていなかっただけに、少女は何故か嬉しくなった。
けれど、辛そうに堅く目を閉じたミネンスの口から洩れた一言に、プリエはとてつもない衝撃を受けた。
「アリオカの街が壊滅した……。仲間から報告を受けて、今朝早く見に行って……。カーレガンにやられたんだ……」
「えっ……?」
驚いて見上げると、ミネンスはグッと少女の服をつかみ、その瞳に涙を浮かべていた。
それが滴になって、血で汚れたプリエの頬に落ちた。
「お前の……お前のせいだ……」
「ミネンス」
「お前が復活させたから……。お前なんか生まれなければ良かったんだ……」
プリエは胸をえぐられるような衝撃を受けた。
自分の服を握りしめているミネンスの手が震えている。涙が雨のように頬を打っていた。
「ごめんなさい……」
思わずそう言いそうになって、プリエは口を噤んだ。
まだ信じ切れなかったのだ。自分の呼び出した神が本当にアリオカの街を破壊したのかどうか。
15年間、ずっとカーレガンを神と信じて生きてきたのだ。
それにもしもミネンスの言うことが本当だったら、自分のしたことは謝って済むようなことではない。
だからと言って謝っても仕方ないということにはならないが、少なくとも心から申し訳なく思えるまでは言わないことにした。
代わりに、あまりにも辛そうにしているミネンスにそっと問いかけた。
「誰か、お知り合いがいたのですか?」
「……なんでだ?」
目を開くとまたたくさんの涙がこぼれ、ミネンスは袖で目元を拭った。
プリエは真っ赤に腫れたその目を見つめながら、悲しそうに顔をゆがめた。
「だって、とても辛そうだから……」
ミネンスは小さく笑った。
「罪のない人がたくさん死んだんだ。泣いたっていいだろう……」
「知らない人のために泣いてるのですか?」
「そうだ。悪いか?」
バカにされたと思ったのか、ミネンスは自虐的な微笑みを浮かべた。強がらなかったのは泣いていたからか、それともアリオカの街を見てきて、心に深い傷を負ったからか。
いずれにせよ、昨日一日、プリエに非道の限りを尽くした人間と同一人物には思えなかった。
「意外だったからです。ごめんなさい」
「バカ」
ミネンスは泣き笑いのような顔になると、プリエを引っ張り上げてその身体を強く抱きしめた。
それは涙を見られないようにするためにも見えたし、温もりが欲しいからにも見えた。
プリエを虐げ、その父親を殺した女性が、少女を胸にして泣いている。
どちらが本当の顔なのか、答えは明白だった。
ミネンスは優しい女性なのだ。でなければランザリスクの竜騎士団に入れるはずがないし、他人のためにこんなに泣けるはずがない。
優しくて生真面目だからこそ、憎しみが大きかった。プリエやフリートを許せなかった。
いつの間にかプリエも泣いていた。
何に対しての涙かはわからなかったけれど、ただ無性に込み上げてくる涙がどうしても抑えられなかった。
「お前さえ……生まれなければ……」
途切れ途切れのミネンスの嗚咽を聞きながら、少女は涙を流し続けた。
←前のページへ | 次のページへ→ |