初めて乗る竜の背で、プリエは落ちないようしっかりとミネンスの身体にしがみついたまま大地を見下ろした。
眼下にアリオカの街があった。少女自身、何度も訪れたことのある街である。
その街が、ついこないだまでの平和が嘘のように破壊されていた。
街壁は崩れ、家々は瓦礫と化し、木々は倒され、幾筋もの煙が二人のいる場所にまで立ち上っている。
小さく見える人々が、必死に救助活動を行っているようだが、あまりはかどっているようには見えなかった。
風の叫びが人々の呪いの声に聞こえ、プリエは厳しく顔をしかめた。
あの後ミネンスはプリエの足枷を取り、食事を摂った後すぐに竜に跨ってアリオカを訪れた。
もちろん、プリエにアリオカの惨状を見せるためである。
二人は竜を街の近くに降ろすと、もはやその機能を失った門をくぐった。
街は上空から見たときより遥かにひどい状況だった。
家々はまだ火の粉を巻き上げ、時々それの焼け崩れる音がした。
人々の悲鳴は止むところを知らず、崩れた家の瓦礫の中から人の声さえする。
「この街には軍隊がない。あの竜が破壊し尽くすのを、人々はただ見ているしかなかったんだ」
独り言のようにミネンスが言った。
まるで巨大な地震が襲った後のようである。これだけのことを、あの竜は一晩で行ったのだ。
「カーレガン様……どうして……」
ミネンスの隣を歩きながら、プリエは自問するように呟いた。
ミネンスは何も言わなかった。
しばらく歩くと、二人は怪我をしている若者と、その若者を支えるようにしてあるく若い女性と擦れ違った。
「あ、あの……」
思わずプリエが声をかけ、二人は怪訝そうに振り返った。
「何でしょう?」
「あの、私、怪我を治せます。治させてください」
あまりにも唐突に言ったので、若者たちは困ったような顔をした。
プリエはその返事を待たずにその手に力を込めると、あっと言う間に若者の傷を癒して息を吐いた。
「あ、ありがとう!」
驚きに目を丸くし、慌てて頭を下げる二人に、プリエは「いいんです」と微笑んで再び歩き始めた。
「優しいんだな」
ミネンスがからかうように言うと、プリエは自虐的に笑った。
「カーレガン様がどんなつもりでこんなことをしたのかはわからないけど、少なくとも彼らは意味のある犠牲者には見えなかったから」
だから彼らを助けるために自分にできることをするのは、カーレガンを復活させた自分の当然の義務だと少女は言った。
ミネンスはプリエから目を背けるように遠くの空を見て口を開いた。
「カーレガンの目的は破壊だ。あの竜は人間が嫌いなんだ。だから人を襲う」
「……あなたの言うことが本当なら、私の祖父や父は、一体何が目的だったのでしょう」
「復讐だ」
はっきりとミネンスが答えた。
「復讐?」
「そう。オーリスタス信仰を禁じたペリアスティンへのな。元々人を殺すことが目的だったから、奴らは誘拐事件も、他人を犠牲にすることさえ何とも思ってなかった。もちろん、私の母親の足を切り落とすこともな」
怒りを内に封じ込めたように、ミネンスは淡々と言った。
「信じられません……そんなこと……」
表情を険しくし、震えながらそう言った少女を一瞥し、ミネンスはため息を吐いた。少女にとってカーレガンとは人生そのものだったのだろう。
ミネンスが何も言わなかったからか、プリエは話を変えるように尋ねた。
「お父さんたちは、こんな強大な力を持った竜をどうやって操る気だったんでしょう。下手をすれば自分が殺されていたかも知れないのに」
言いながらプリエは隣を歩く戦士を見上げた。
けれど彼女はやはり何も答えなかった。
プリエは無視されているような気分になって、悲しそうに俯いた。
「ミネンスは……私をどうしたいんですか?」
足を止めて尋ねると、ミネンスは仕方なさそうに立ち止まり、少女を振り返った。
プリエは込み上げてきた涙を拭い、真っ直ぐミネンスを見つめた。
「私に謝って欲しいのですか? 償えばいいのですか? それとも、怒りをぶつけるためのただの人形なんですか? 用がなくなれば殺すんですか?」
通行人が驚き、思わずその足を止めるほど大きな声で叫んだ。
自分の生命が他人の手の中で宙ぶらりんになっているのがたまらなく苦しかったのだ。
少女の剣幕にミネンスは困ったように首をすくめてから、口元に手を当てて視線を落とした。
「あたしは……」
何か言いかけて口を噤む。
そして深く目を閉じて数回首を横に振ると、
「死ぬ以上の苦しみを与えると約束した。殺しはしない」
それだけ言って再び歩き出した。
プリエはその答えに納得しなかったが、彼女に言うつもりがないことを察して、それ以上聞くのをあきらめた。
もうじき日が沈もうという時間だった。
怪我人を見る度に傷を癒して回っていたプリエの手を、不意にミネンスが取った。
「なんですか?」
怪訝そうに振り返ったプリエに、ミネンスは厳しい瞳を向けた。
「もうやめておけ」
少女は意外そうに眉を上げた。
他人のために涙を流すこの女性が、怪我の治療をやめろなどと言い出すとは思いもしなかったのだ。
「何故ですか? 私は疲れることなく治療することができます。私にはこの街でできることがたくさんあります」
自分の行動を信じる強い瞳でミネンスを見据える。
ミネンスはそんなプリエに一度優しく微笑んだが、すぐに表情を改めて、声を低くして言った。
「お前にしかできないこととは言わないが、お前がしなくてはいけないことがある」
「なんですか?」
どうやら本当にわからないらしく、少女は興味深げにミネンスの目を覗き込んだ。
ミネンスは一度大きく息を吸うと、少女の小さな手を握ったまま力強く答えた。
「あたしと一緒にカーレガンを止めるんだ。それがあれを復活させたお前の使命だ」
痛いほど強く手を握られ、プリエは戸惑ったように視線を逸らせたが、やがてその手を握り返して大きく頷いた。
東から夜が近付いてきていた。
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