アリオカが壊滅したという話は未だに街の至る所で語られていたが、その悲壮感がここまで漂うことはない。
ランザリスクは平和に彩られていた。
そんなランザリスクの市民層の一角に、元王国の騎士であるグランドの家があった。
ずっと三人暮らしだったこともあり、それほど大きくなかったが、二人で暮らすには十分な広さである。
その家の庭の木陰に置かれた椅子に座り、グランドが空を見上げながら呟いた。
「そうか。ようやく終わったんだな……」
「はい」
ミネンスが頷き、彼の肩を揉む手に力を込めた。
すべては16年前の連続誘拐事件に始まった。
あの事件を追いかけ、大切な妻に怪我を負わされたグランドは、失意と絶望の淵を彷徨い、酒に明け暮れるようになった。
そんなとき、彼は一人の女の子を拾った。彼女は両親に捨てられ、冷たい雨の中で泣いていた。
グランドは彼女を家に連れて帰り、シエナと二人で育てることを決意した。
生き甲斐を失った彼ら夫婦には、少女が希望そのものに思えた。
やがて少女と話し、また調べる内に、彼女が妻の足を切り落とした者の娘であることがわかった。
グランドとシエナは悩んだが、少女も被害者なのだと思い立ち、彼女を受け入れた。
時は流れ、15歳になったミネンスに、グランドはすべてを語って聞かせた。
彼女もまた、自分が養母を襲った人間の娘であることに苛まれたが、二人の愛情に救われ、克服した。
「16年か……」
途方もなく多くの思いを込めて、グランドは息を吐いた。
「しかし、このワシが名誉将軍とはな」
不意に少年のように声を弾ませたグランドに、ミネンスは明るく笑った。
「あたしのおかげです。感謝してください」
「ふん。望んでもらった称号でもないわい」
グランドが声を立てて笑った。
あの後、ミネンスは城に戻り、一連の事件について報告した。
そして誘拐事件の真相究明とオーリスタスの信者の撲滅、そしてカーレガンを退治した功績を称えられ、すでに引退したグランドが名誉将軍に奉ぜられ、ミネンスにも昇格の話があった。
けれど、グランドは死んだシエナのためにもと、その称号を有り難く頂戴したが、彼女は昇格を辞退した。
多くの仲間を死なせてしまったことや、アリオカの街を救えなかったこと。それらを理由として挙げたが、本当はこの事件を解決したこと手柄だと思ってなかったのが一番の理由だった。
言ってみればこれは、他人を巻き込んだ親子喧嘩だった。だから彼女は、養父から話を聞かされてからも、誰にも力を借りず、すべて一人で調べ上げた。
ミネンスは初めから事件を一人で片付けるつもりだった。少なくとも自分と同じ使命を持つべくプリエ以外の誰も巻き込まない予定だった。
にも関わらず多数の死者を出してしまったのは、むしろ責められることだとさえ感じていた。
頑として首を振らないミネンスに、王は困った顔をした。
それを見て彼女は、逆にそれを不忠に感じ、昇格の代わりに一つの頼み事をした。
妹のことである。
カーレガンを復活させた少女がまだ存命なこと、彼女がだまされていただけで、自分と一緒にカーレガン退治に尽力してくれたことを包み隠さず話し、彼女の罪を不問にしてくれるよう頼んだ。
如何にだまされていたとは言え、アリオカの街や殉死した竜騎士団の者を思うとプリエの罪は免れない。
けれど、ミネンスの功績が称えられ、また首謀者が死んでいることから、少女については一切言及しないことになった。
それが2週間前。ミネンスは城に戻ってから事後処理のために慌ただしい毎日を送り、ようやく休暇を得て家に戻った。
「しかし、妹のことはよかったのか?」
不意にそう尋ねられ、ミネンスは手を休めて難しい顔をした。
「あたしはあの子がだまされていただけと知っていながら、暴力を振るった。姉と呼ばれる資格など持ち合わせていません」
「だが、そう言うということは、姉と呼ばれたいのだろう」
グランドの一言に、ミネンスは返す言葉がなかった。養父の言葉通りだったからだ。
グランドは目を閉じて、静かに笑った。
「お前の気持ちもわかるが、その子がお前を姉と呼びたがったなら、それを素直に受け止めてやればいい。自分の気持ちを偽ることもあるまい」
そう言って、彼は優しい瞳で娘を見上げた。
ミネンスはしばらく考えたが、やがて大きく頷いた。
「そうですね……」
もしも少女が自分を慕ってくれるなら。その時は自分の罪を償うように、心から少女を愛してやろう。彼女がそれを望むなら。
ミネンスが息を吐くと、グランドが楽しそうに笑ってから大きな声をあげた。
「だそうだぞ、プリエ」
「えっ?」
驚いてミネンスが振り向くと、そこに同じ髪の色をした少女が立っていた。
2週間前に別れた妹。
「お前、どうして……」
呆然と立ち尽くす姉に、プリエは申し訳なさそうに頭を下げた。
「昨日ここに来たら姉さん、まだお城から帰ってなくて。それでグランドさんに全部お話して、姉さんとちゃんと話ができる機会を作ってもらえるよう、お願いしたんです」
少女の言葉に、ミネンスはなんとも言えない表情で養父を見下ろした。
「だましましたね?」
少なからず怒りを孕んだ声だったが、養父は何事もなかったように笑った。
「お前は素直じゃないからな。こうでもしなければ、プリエを門前払いしてしまうだろう」
何も言えず唇をかんでいると、プリエが真剣な眼差しで口を開いた。
「私、あれから少しの間、アリオカの街で働きました。前に私が診たことのある人の家に泊めてもらって、怪我をした多くの人たちを治しながら、ずっと考えたんです」
あまりにも真っ直ぐな瞳だったから、ミネンスは吸い込まれるように少女を見つめた。
プリエは口元に小さく微笑みを浮かべて、力強く言った。
「私は姉さんが好きです。真面目で大雑把で、他人のために一生懸命になれる姉さんが大好きです。だから私は、姉さんと一緒に、この人生をやり直したいんです」
ミネンスはため息を吐いた。
「あたしはお前を虐げた。怒ってないのか?」
「聞き分けのない子供を叩くのは、時には必要だと思います」
「あたしはそういうつもりだったわけじゃないが」
「行為は本人の意図よりも受け手側の解釈の方が大切です。少なくとも私は、姉さんのしてくれたすべてのことに感謝しています。姉さんは人の道を踏み外しそうだった私を救ってくれました」
大人びた口調でそう言って笑った妹に、ミネンスはもはや苦笑するしかなかった。
「頑固だな、お前も」
「血筋じゃないでしょうか。姉さんにそっくりです」
プリエが答えると、黙って話を聞いていたグランドが豪快に笑った。
「お前の負けだな、ミネンス」
ミネンスは仕方なさそうに首を振ってから、やにわに真面目な顔で養父を見た。
「でも、いいのですか? この子は母さんを襲ったあのフリートとアジティの娘」
「なに、構わんよ。それはお前だって同じだろう」
そう言って、グランドは優しい瞳でフリートの娘たちを見つめた。
「過去のことはもうよい。それよりも今は、まだ若いお前たちの未来の方が遥かに大切だ」
養父の言葉に、思わずミネンスは涙ぐんだ。彼がこの16年間、どれだけ苦しんだかを知っていたから。
「ありがとうございます!」
頭を下げたプリエの髪を優しくなでて、ミネンスも同じように頭を下げた。
「あたしからも礼を言わせてください。それから、妹をよろしくお願いします」
プリエは嬉しそうに顔をほころばせた。かつて<天使>と呼ばれた少女の、本当に美しい微笑みだった。
「姉さん!」
「よろしくな、プリエ」
ミネンスが恥ずかしそうに視線を逸らし、そっと手を差し出すと、プリエは飛びつくようにその手を握った。
「はい! ありがとう、姉さん!」
プリエの瞳から涙がこぼれ落ち、日の光を受けて宝石のように輝いた。
4年前、グランドから事の真相を聞かされてから、復讐だけを胸に生きてきた。
その事件が解決し、人生の再スタートを切るのは妹だけじゃない。ミネンスも同じだ。
少女の小さな手を強く握ると思わず涙が込み上げてきて、ミネンスはそれを堪えるように空を仰いだ。
まるで二人の門出を祝福するように、透き通る青空が初夏の陽射しに煌いていた。
Fin
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