「カーレガン様を呼び出す!?」
ロスペクトは大きく頷き、満足げな笑みを浮かべた。
プリエは祖父の言葉に蒼白になると同時に、不安と期待の入り交じった感情があふれてくるのを感じた。
主を呼び出し、この世界に直接干渉してもらうことで、悪を滅ぼし恒久の平和を世にもたらすこと。それがカーレガンの神官たちの最終的な目的であるということは、父であるフリートから聞かされていた。
しかし、それは言葉だけで、実際にプリエが生まれてから15年間、一度としてカーレガンに直接的な繋がりを持ったことはなかった。
そのためにプリエは父の言葉を、「自分たちがより強く主の御力を使うことで、あたかも実際に主がこの世界にいるかのごとく人々のために働く」という意味で受け取っていた。また、そのように勤めてもきた。
けれど、それは違ったのだ。
「我々はすでにカーレガン様を呼び出すための手筈を整えてきた。時は満ちた。プリエも大きく成長し、力を付けた。もはや過去の失敗を恐れることはない。今こそカーレガン様をこの世界のために呼び出そうぞ!」
ロスペクトが叫ぶようにそう言うと、回りがワッと沸いた。
そう。プリエは知らなかったのだが、ロスペクトたちは常にカーレガン招来のための準備をしていた。
例えば各地を転々としてきたのも、最も強くカーレガンに干渉できるポイントを探すためだったし、ここで医院を開いたのも、プリエに力を付けさせるためだった。
昔父親に言われ、皆で何日もかけて不思議な模様を描く形に草原の草を刈ったのも、今にして思えば意味があったのだ。
プリエは唖然としたまま周りを見回した。
自分を除く11人が、皆カーレガンの名を呼んでいる。不安を抱く者、期待に満ちた者、よくわからずにいる者。様々な表情があったが、瞳の奥にある感情は同じだった。
(でも、私にできるの……?)
プリエは皆の期待に比例する大きな重圧を感じたが、とてもではないがそんなことを言い出せる雰囲気ではなかったので黙っていた。
「世界のために!」
フリートの声に、プリエも同調するように手を掲げた。
朝の礼拝が済むと、プリエは部屋への道を歩きながら愚痴るように呟いた。
「いきなりカーレガン様を呼び出すなんて……。私、信じられない」
複雑な表情でそう言うと、隣を歩いていた青年が意外そうな顔をした。
「プリエは怖いのかい?」
レゼットである。少女の助手だが、年齢は3つほど上であり、医者としての仕事中でなければ友達のような関係にあった。
プリエは小さく唸ったが、素直に頷いた。
「怖いわ。だって、私にそんなことできるかしら……」
「そうだね……」
不意にレゼットが不安げに眉を揺らし、プリエは思い出したように尋ねた。
「そういえば、お爺さんの言っていた『過去の失敗』って? 私、今まで聞かされたことがないけれど……。過去にもカーレガン様を呼び出そうとしたことがあったの?」
いや、プリエが生まれる前に何度か試みた経験があることは聞いたことがあった。けれど、そのいずれも失敗に終わったらしい。
プリエはそれだけの情報で満足していたのだが、その「失敗」とは一体どうなったのだろう。
少女が首を傾げると、青年は一度視線を宙にさまよわせてから、プリエにだけ聞こえるようにそっと囁いた。
「ここでは話せない。後で僕の部屋に来てくれ」
「え、ええ……」
予想外のレゼットの様子に、プリエはあっけに取られたように頷いた。
妙な胸騒ぎがした。
「口止めされていたんだ……」
レゼットの部屋に入ると、彼は小声でそう洩らした。
「口止め?」
プリエが眉をひそめると、レゼットは慌てて弁明した。
「いや、悪い意味じゃない。ただ、いずれカーレガン様を呼び出すことになるプリエが恐怖を抱かないように、その時が来るまでは決して口外しないよう、僕たちは皆、ロスペクト様に言われていた。だから、プリエが知らなかったのは仕方ないんだよ」
「恐怖を……」
「そう」
レゼットは神妙な面持ちで頷くと、静かに言葉を続けた。
「僕もプリエとそう歳が変わらないからね。だからこれは人伝に聞いた話だけど、過去にカーレガン様を呼び出そうとした者はすべて死んだらしい」
「死……」
プリエは思わず息を呑んだ。
昔父から失敗したという話を聞かされたとき、プリエは単に「何も起きなかった」のだと考えていた。まさか死んだなど、予想だにしなかった。
レゼットは悲しそうな顔で頷いた。
「カーレガン様がこの世界に現れるためには、ものすごい力がかかるそうだ。それに堪えられる者はいなかった。だから、プリエが生まれてからは一度も儀が行われたことはない」
「ど、どうして? 私なら大丈夫なの?」
青ざめながらプリエが聞くと、彼は自信に満ちた笑みを浮かべた。
「そう。どれだけ神の御力を使ってもまったく疲れを感じないプリエなら、間違いなく成功する。そういう確信がなければ、まさかフリート様も、自分の娘を危険な目に遭わせたりはしないよ」
「…………」
「大丈夫だよ、プリエ。君なら必ずできる!」
ポンと肩を叩かれて、プリエはレゼットの目を見た。
青年は澄んだ眼差しで穏やかに微笑んでいた。プリエを心配していないのではない。信じていたのだ。
「君にはカーレガン様がついている。主に愛された君が、どうして失敗しようか」
あまりにも彼が自信たっぷりに言うので、なんだかプリエも力が湧いてくるのを感じた。
「そうね。ありがとう、レゼット。私、少し自信が出てきたわ」
「それは良かった」
小さく笑ってから、レゼットは不意に表情を改めた。
「そういえば、昨日ランザリスクの竜騎士に襲われたって聞いたけど、本当なのか?」
「ええ。16年前の誘拐事件がどうのって言いがかりを付けてきて……」
「ふ〜ん。そうか……。それでロスペクト様も、急に儀を行う決心をしたんだな」
納得するように頷くレゼットの横で、プリエはふと自分の言葉に違和感を覚えて、胸の中で反芻した。
(誘拐事件……失敗……死んだ……)
何かがつながったような気がして、背筋が凍るような寒気を覚えた。
「ねえ、レゼット」
「ん?」
プリエの微妙な変化になどまったく気付きもせず、ランザリスクに対する不満を体中にみなぎらせて、レゼットは少女に目を遣った。
プリエは内心の動揺を抑えるようにして尋ねた。
「その、さっきの話……。カーレガン様を呼び出す儀を行って失敗して亡くなった人って、どういう人だったの?」
少女は「神官だ」と答えて欲しかったが、そんな期待に反して、彼は「知らない」と首を傾げた。その後で、「でも神官なんじゃないのかな?」と、そうとしか考えられないというように付け加えた。
もちろん、それでプリエの気が晴れることはなかったが、別の考えをもって自分を納得させた。
すなわち、仮に誘拐事件が本当だったとしても、何か複雑な事情があってのことだったに違いない。彼らが悪意で行動するはずがない。
カーレガンを呼び寄せることは、必ずこの世界のためになる。もちろん、そのために犠牲が出るのは仕方ないなどと言う気はないが、死んでしまったのはきっとカーレガンの考えによるものだったのだろう。
カーレガンとその神官が道を違えることはない。自分たちは正しいのだと……。
(カーレガン様。私たちを正しくお導きください……)
プリエは、心の中で祈りを捧げた。
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