彼は引退と同時に、当時15歳にして入れ替わるように兵役に就いた娘に、事件についての自分の知り得るすべてを語って聞かせた。
幼いミネンスが激怒したのは言うまでもない。
それから彼女は、竜騎士になるための訓練と勉強をする傍らで、カーレガンとその神官たちについて調べ続けた。
そしてついに、古い文献の中にカーレガンの文字を見つけ出した。
400年前、まだランザリスクという街も存在しなかった頃、王都ペリアスティンではオーリスタス神が盛んに信仰されていた。
オーリスタスがどんな神だったかは定かでない。いや、そもそも神とは概念的な存在だったので、受け取る者によってその形が異なった。
事実、400年前のある事件以前の文献では、オーリスタスは世に平和をもたらす神として崇められていた記録が残されていたが、事件以降の扱いはひどいものだった。
その事件というのが、王による邪竜召喚だった。
時の王ペレザートは、オーリスタスの僕という四体の竜をこの世の中に召喚した。
ところが彼は、これらの竜を制御できず、竜たちは地上の人間たちを攻撃し始めた。
ペリアスティンは彼らの攻撃に壊滅的な被害を出しながらも、戦士らの活躍により三頭の竜を滅ぼし、残る一頭を北方の草原に封印した。
その一頭がカーレガンである。
ペリアスティンを守りぬいた勇者たちは、すぐさまペレザートを王の座から引きずり下ろし、新しい王を立ててオーリスタス信仰を禁止した。
オーリスタスは国の全土で信仰されていた神だったが、大した混乱もなくその信仰は消えていった。王の邪竜召喚の影響で、もはや神を崇めようなどという者がいなかったからである。
もっとも、世の中には邪竜召喚の後、以前にも増してオーリスタスを信仰する邪な者もあった。
彼らは人知れず細々と信仰を続け、その思想を後世に受け継いだ。
それがロスペクトたち、カーレガンの神官である。
彼らは400年前に封印されたカーレガンを復活させるために、あらゆる実験を試みた。ランザリスクにおける誘拐事件もその一環だったのだ。
やがて神官夫婦からプリエが誕生すると、ロスペクトはもはや用はないと言わんばかりにランザリスクを後にした。そして各地を転々としながら、カーレガン復活のための準備を整えてきたのだ。
ミネンスは話し終えた後、プリエの目を覗き込んだ。
真相を聞かされ、自分の信じていたものが壊れた時の少女の反応を楽しみたかったのである。
ところが、そんなミネンスの期待に反してプリエは平然としていた。
そして何食わぬ顔で笑った。
「そんなのは全部でまかせです」
「なに?」
ミネンスの目がスッと細まった。
「だって、私は事実、カーレガン様の御力をもって人々のために働いてきました。カーレガン様が悪であるはずがありません。悪いのはカーレガン様を意味なく呼び出した当時の王や人々、それに私たちを滅ぼしたあなた方です。罰を受けて当然です」
言い終え、プリエはミネンスを睨み付けた。
自分の意見に絶対の自信を持っている瞳である。宗教とはかくも恐ろしきものかと思わせる眼差しだった。
ミネンスは深くため息を吐くと、静かに短剣を手に取った。
その刀身が窓から差し込む陽光にキラリと光ると、プリエは昨日刺された痛みを思い出したのか、怯えた表情で後ずさりした。
ミネンスは真面目過ぎるほど真剣な顔で少女を見た。
「あたしが騎士になってから様々な悪を見てきた中で、一番許せなかったものを教えてやろう」
言いながら、ミネンスはその切っ先を少女の目に近付けた。
「や、やめてっ!」
プリエは叫びながら、ありったけの力を込めて衝撃波を放った。
だが、いつか医院の前で対峙したとき同様、それは軽く手を上げたミネンスの前に呆気なくかき消された。
「あぁ……」
自分の力がまるで通用しない相手を前に、プリエは心を引き裂かれるような恐怖を覚えた。
無理矢理開けさせられた目に鈍色の刀身が大きく写り、その先端が眼球に触れた。
「いや……」
涙を浮かべ、全身を震わせるプリエ。
ミネンスは冷酷に言い放った。
「それはな、プリエ。反省しない悪じゃない。悪を善だと思い込んでる連中なのさ。お前みたいにな」
恐らく怒りが限界を超えたのだろう。
ミネンスは決して声を荒げずにそう言うと、短剣を持つ手に力を込めた。
「いやあぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
無人の医院に布を裂くような少女の悲鳴が響き渡った。
「お前には約束通り死ぬ以上の苦しみを与えてやる。もしもお前が善だと言うなら、あたしは喜んで悪になろう。せいぜいお前の崇める神が助けてくれることを祈るんだな」
それだけ言うと、ミネンスは剣を抜いて立ち上がった。
そして刀身に付着した、卵白のようにドロリとした物体を少女の服で拭い取ると、剣を収めて食器を取った。
少女はえぐられた目を押さえたまま、泣き続けていた。
それからミネンスは、拷問のように一日中少女に痛みと恐怖を与え続けた。
プリエはその都度傷を癒していたが、心の傷は治しようがなかった。
夜、ようやく解放されたプリエは、冷たい床の上で横になったまま、虚ろな瞳で窓から月を眺めていた。
(カーレガン様……)
少女の目には、昨夜のあの雄々しい竜の姿が写っていた。
(助けてください、カーレガン様……)
少女は信じていた。
きっとあの竜が助けに来てくれることを。
今までずっと自分の身体を介して、病人のために力を貸してくれていた神なのだから、きっと助けに来てくれる。
(助けに来て……。そうしたら私はもう、ミネンスの言葉に惑わされなくても済むから……)
カーレガンは邪竜なんかじゃない。
きっと助けに来てくれる。
少女は信じていた。
そして、すべてを失ったプリエには、神を信じる他に何一つ生きる術を持ち合わせていなかった。
草原の夜が静かに更けていった。
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