もっとも、祝杯といっても二人とも強い酒は呑めないので、酒かどうかも疑わしいような薄い果実酒で雰囲気を味わっているだけだったが。
「それにしてもシティア、今日の戦いは圧巻でしたね。午前と午後であれだけ動き回って、まったく足がふらついていなかったのは、驚愕に値します」
アルコールのせいか、顔を赤くしながらライフェが言った。
いつもよりも饒舌な感じがするが、相変わらず言葉は堅い。シティアはにっこりと微笑んで「ありがとう」と応えた。
いつの間にか、彼女が今朝見せた、ライフェすらも突き放すような刺々しさがなくなっているのに気が付いて、ライフェは「おや?」と思った。
けれど、下手にその話題に触れて、また元のように戻られても嫌だったから黙っていた。
「にしても、ライフェは今日一日で、二回剣を振って終わったわよね。随分楽したわね」
シティアが半眼になって言うと、ライフェは口元を押さえて楽しそうに笑った。
「シティアも、一回戦は一度しか剣を振っていないでしょう」
言われて彼女は一回戦の相手を思い出した。必要最小限の攻撃で倒したので、端から見たら綺麗に写ったろうが、そんなことはない。
シティアは受け付けの時の恨みも込めて、きっちりと相手の指の骨を粉砕していた。ライフェを見ると楽しそうに笑っているので、恐らくこの少女をもってしても気付かなかったのだろう。
「そういえば」
ふと思い出したようにライフェが口を開いた。
「シティア、どうしてあの人を相手に、あんなに逃げ回っていたのですか? シティアなら1秒で倒せた相手でしょう」
その質問に、シティアは少し考えてから嘘で答えた。
「あいつ、受け付けで喧嘩した内の一人なのは知ってるよね? ちょっと腹が立ったから、恥をかかせたかっただけよ」
もちろん本当のところは、使い慣れてない剣の練習相手にしていただけなのだが、それは黙っておいた。自分が実は剣が不得手であることをライフェに言うのは、負けた時の言い訳にしか聞こえない。
シティアの心中など露知らず、ライフェは「ふーん」と頷いてから、すぐにまた話題を変えてきた。アルコールが入るとそうなるのか、本当に今日はよく喋る。
しかし、その話題がまずかった。
「そういえば、サリュートはどうしたんですか?」
あれだけ仲良くしていた青年がいないので、少し疑問に思ったのだ。
もっとも、大会が終わるや否や、二人はその足でここに来たのでいなくても不思議ではないのだが、ライフェは二人を恋人同士だと思っていたので、何となく一人でいるシティアを不自然に感じたのだ。
けれど、そんなライフェのささやかな疑問に、シティアは嫌そうに顔をゆがめた。
「さぁ、どうしたんでしょうね。私は知らないわ」
もちろん本当は知っていた。彼はエデラスとともに大会を見物していたはずなので、今頃兄とともにいるか、もしくはレアルの家に帰っているはずだった。
けれど、彼の話題を出したい気分ではなかったから黙っていた。あれから早5日も経っていたが二人はまだ仲直りしていなかったのだ。
ライフェは首を傾げた。触れてはならない話に触れてしまった気はしたのだが、やはりアルコールのせいだろう。
「そうなんですか。いえ、なんだかその、シティアが一人でいるのがすごく変な感じがしたから」
不用意な一言を口走り、その瞬間シティアの顔から表情が消えた。
「私が一人でいるのはおかしい?」
明らかに先程までとは違う声のトーンに、ライフェは慌てて手を振った。
「い、いえ、その、シティアとサリュート、すごくお似合いだったから」
「お似合いなもんですか! 私はサリュートなんて嫌い。大っ嫌い!」
本当は違う。
彼といると楽しい、だから、全然嫌いじゃない。
シティアは大きく首を振った。
「シティア……」
一人で悩ましげな素振りをしている彼女を、ライフェは心配そうな顔で見た。
どうやら二人は喧嘩したらしい。何が原因なのか、どれくらいの深さなのか、それはわからなかったが、ライフェはただ二人に仲直りして欲しくて、困ったように声をかけた。
「シティア、無理をしないで。自分から一人にならないで。何が原因なのかわからないけど、サリュートはきっとシティアのこと好きよ? シティアだってそうでしょ?」
「私は独りよ!」
シティアは吐き捨てた。ひょっとしたら、ライフェ以上に酔っていたのかも知れない。
「サリュートなんて知らない。あんなの友達でも何でもない。ただの従者よ。私には友達なんていないんだもの。ずっと独りだもの。不自然なはずないわ。誰かといる方がよっぽど不自然よ!」
珍しく他人に愚痴を零して、シティアは果実酒を飲み干した。気持ちが悪い。
なんだか色々な感情がごちゃごちゃして、思わず頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、頭上からとても悲しそうな声がした。
「私も、シティアのお友達じゃ、ないの?」
「えっ?」
驚いて顔を上げると、そこに今にも泣き出しそうな顔をした少女がいた。
初めて会ったときに見せた大人びた雰囲気などどこにもない、自分より一つ下の子供の顔をした女の子。
「私は、シティアといると楽しいし、シティアが好きだし、お友達だと思ってた。違うの?」
ひょっとしたら、この子も友達が少ないのではないだろうか。
直感的にシティアは思った。
けれど、涙一つで彼女を友達だと認められるほど、シティアの心の傷は浅くなかった。孤独を糧にすることで今日まで生きてこられたのだから。
シティアが答えなかったから、ライフェは暗に肯定されたのと思ったのだろう。涙の滴を落として押し黙った。
二人の間に沈黙が落ちる。店内の喧噪がやたら遠くに感じられた。
やがて緊迫した空気に堪えきれなくなったのか、ライフェが席を立とうとしたその時、
「あのー、ここいいですか?」
妙に間延びした声でそう言われて、二人は顔を上げた。
見るとシティアと同じ緋色の髪をした青年が、二人の座っているテーブルの椅子を引いて立っていた。どうやら相席をしたいらしい。
「え、ええどうぞ」
答えたのはライフェだった。
「あっ、ありがとうございます」
ニコニコしたまま、青年は引いた椅子に腰掛けた。どうやら一人のようである。
突然の第三者の乱入に、二人はさっきまでのことを忘れたように顔を見合わせ、首を傾げた。ひょっとして口説きに来たのだろうかと思ったが、そうではなかった。
注文聞きにやってきたウェイトレスに軽く手を上げて何も要らない旨を伝えると、赤毛の青年はやはり笑顔のままシティアを見て言った。
「シティアさんですね。今日の二回戦、見させてもらいました」
どうやら初めから二人に、いや、シティア一人に会うためにここへ来たらしい。彼は時々ライフェにも社交辞令的な視線を送りはしたが、基本的にはシティアと話したいらしく、身体は彼女の方を向いていた。
「相手が相手だったからね。みんな見てたんじゃないかしら」
いつも通りの棘のある言い方でそう返すと、青年は彼女の発言を冗句だと思ったのか可笑しそうに笑った。それから不意にその笑いを収め、鋭い視線を彼女に向けた。
「シティアさん、強いですね。僕は感動しましたよ」
「相手が弱かっただけよ」
マグダレイナ中の人間を敵に回しそうな台詞をさらりと吐いたが、それは彼女の本心だった。
恐らくヴリーツは、本当の生命の取り合いをしたことがない。彼の強さはこの街壁の中だけの強さだ。もし戦っていたのがライフェだったとしても、結果は変わらなかっただろう。
けれどそんな彼女の言葉を謙遜で取ったのか、それともシティアの本質的な強さを見抜いているのか、彼は「いやいや」と首を振った。
「実は僕も参加者で、今日のシティアさんの戦いぶりを見て、どうしてもあなたと戦う前に挨拶をしたいと思いましてね」
「へぇ〜。ひょっとして、明日のお相手なのかしら?」
参加者だと聞いて、少し興味を示したようにシティアが青年の顔を覗き込んだ。
彼は目を光らせたまま顔だけで笑って、楽しそうにこう告げた。
「いえ、シティアさんとぶつかるのは決勝戦です」
二人の少女の間に戦慄が走った。
彼が順当に勝ち上がったとして、初めに戦うのが決勝だとすれば、それはつまり……。
「つまり、特別参加のハイデルの少女は、敵じゃないと?」
不敵な笑みを浮かべてシティアが尋ねた。
ちらりとライフェを見ると、憮然とした顔で青年を見つめていた。言葉には出さないが、ここまであからさまに無視されて面白いはずがない。
「僕はフラウスと言います。明日、第二の優勝候補と言われているウォジーという男と戦います。赤色の印の付いている方ですね。今日のシティアさんと同じように、会場を静まり返らせてみますから、是非見ていてください」
それだけ言うと、彼はにこりと笑って席を立った。そして彼女たちに背を向けて、何事もなかったかのように店を出ていった。
風のように現れ、そして消えていった青年の背中をしばらく見つめていたシティアだったが、ふと思い出したようにライフェを見て、揶揄するような笑みを浮かべた。
「どう? 勝てそう?」
今朝ライフェから聞いたトーナメントの仕組みを考えると、彼とライフェがぶつかるのは準決勝ということになる。
ライフェは不愉快そうに唇を尖らせて、
「絶対に勝ちます。勝って、決勝戦でシティアと戦います」
そう断言した。
いつもは大人びている少女の子供っぽい一面に、シティアは楽しそうに笑った。
「じゃあ、試合はライフェの方が先だし、もしライフェが彼に負けたら、私も準決勝で負けてあげる。そして三位決定戦で戦いましょう」
「もう! 意地悪なこと言わないでください!」
冗談にムキになる少女が可愛くて、シティアはもう一度笑った。
ライフェは子供扱いされたのが悔しくてしばらく唇を尖らせていたが、不意にシティアの笑顔に表情を緩め、確信した。
今笑っているのが、本当のシティアなのだと。彼女にはきっと自分には想像もつかないような過去があって、それで意地を張っているが、心のどこかで少しでも気を許している相手には、こうして楽しそうに笑うのだ。
彼女はサリュートが好きで、それと同じくらい自分のことも好きでいてくれている。さっき友達ではないと認められて悲しんだけれど、大丈夫。間違いない。
そう考えたら、何故だか気持ちがすっきりした。きっと自分は、隔たりを作っていない素顔のままのシティアが大好きなのだろう。
「さあ、明日もまた戦いがあるし、今日はもう帰りましょう」
ライフェがそう言いながら席を立つと、シティアがまだ可笑しそうに笑いながら、「そうね」と席を立った。
大会初日の店内は、これから最高潮の賑わいを見せる。ヴリーツが負けた話もそこかしこで出ているようだった。
そんな人々の活気に背中を押されるように、二人は店を出た。
とうに陽の落ちた夜空が、星をまとって広がっている。
「それじゃ、また明日ね、ライフェ」
「はい。またスタジアムで会いましょう」
一度堅く握手を交わして、二人はそれぞれの帰路に着いた。
街の夜はまだけたたましいほどの喧噪に包まれていた。
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