「貴様、よくも恥をかかせてくれたなぁ」
小さな少女の周りには、6人の男がいた。いずれも如何にも柄の悪そうな格好をしている。
さらにその周りには、店内外の野次馬が垣根を作っていたが、流血沙汰になりそうな雰囲気に静まり返っていた。
喧嘩は見たいが、さすがに殺し合いは勘弁して欲しいのだろう。
しかし、そんな周囲の人々の心配を余所に、ライフェは自分の倍以上あるのではないかというような巨漢を前にしても、まったく取り乱していなかった。
「恥をかくようなことをしたあなたたちが悪いのでしょう。先程の方に謝って、早くどこかへ行ってください」
城の兵士たちをひるますほどの説得力を持った少女の発言も、酔っ払いには通じないようだった。
少女の言葉に、彼らはねっとりとした笑みを浮かべた。
「それは、逃がしてくださいと言っているのか?」
「謝れば逃がしてあげますと言ってるのです」
「ほぅ」
赤髪の目が猛禽の光を帯びた。そして、
「いい度胸だ」
言うが早いかスラリと剣を抜き放ち、少女に斬りかかった。体躯に似合わず、素早い動きだ。
観衆が息を呑み、シティアの後ろにいる青年が悲鳴をあげた。
しかし、上段から思い切り振り下ろされた剣を、ライフェは事も無げに躱した。同時に腰に帯びた剣を取る。
「女だからって容赦してもらえると思うなよ!」
赤髪の剣を躱したライフェに、別の男が突進した。それもただのならず者の動きではなく、見ていたシティアは、少なくとも先程の威張り腐っていた兵士よりは強いと判断した。
けれど、剣術大会特別参加の少女は、そのさらに上を行っていた。
キンッと鋭い音がして、男の剣が空に跳ね上がった。恐らくその動きを正確に見ることができたのはシティア一人だっただろう。
ライフェは男の剣を絡み取った後、さらに踏み込み、男の懐に入った。そして反動を利用して剣の柄を鳩尾に叩き込む。
「うっ!」
苦しそうな呻き声を洩らして、男が膝を折り、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
周りから「わぁ!」と歓声が上がる。まるで剣舞を見るかのような美しい動きだった。
決して斬ることなく、次々と巨漢をのめしていく少女を見ながら、シティアは素直に強いと思った。
けれど同時に、少女の動きに無駄と隙が多いことにも気が付いた。
例えば一番初めに赤髪の男が斬りかかってきたとき、確かにその太刀の鋭さには唸るものがあったが、ライフェならば横に躱さなくても、前に行けたはずである。
そしてそのまま男の向かってくる勢いを利用して急所に一撃入れれば、少なくとも今戦っている敵は一人減っていたはず。
それに、彼女には隙も多かった。特に相手の攻撃を躱すとき、必要最小限の動きではあったが、周りへの配慮に欠ける。
あれでは、一対一の戦いでは勝てても、複数の人間を相手にしたとき苦戦するだろう。
今戦っている連中の腕前ならば問題ない。彼らの動きは連携が取れておらず、人数が多い利点をまるで活かしていない。
けれど、もっと強い相手が現れれば、ライフェはその一人のために他の雑魚に斬られることになるだろう。
例えば、そう。ちょうど今、シティアを挟んだ向こう側からやってきた黒髪の戦士のような。
「それくらいにしてもらおうか」
歩きながら男が口を開いた。低く威厳のある声だ。
紺のマントを着け、威風堂々とした姿は、とてもライフェが今戦っているならず者どもの仲間とは思えない風貌だった。
けれど、彼らは男の姿を見るや否や、歓喜と戸惑いの声をあげた。
「ゼラスさん……」
ライフェが油断なく剣を構え、ゼラスと呼ばれた黒髪の男を見た。真っ向から戦いを挑む構えだ。
シティアも同じように彼を見たとき、不意に背後から呻くような声が聞こえた。
「ゼラス……。何故、ここに……」
声は青年のものだった。どうやら彼は男を知っているようである。
知り合いなのか、それともゼラスが有名なのかはわからなかったが、今はそれを質問しているような状況ではないと判断し、シティアは聞き流した。
ライフェと男の腕前は五分だ。放っておけば、間違いなくライフェはあの男に殺される。いや、正確には、あの男と戦っている最中に他の男に殺されるだろう。
一歩ずつ歩きながら、ゆっくりとした動きで剣の柄に手をかけたゼラスの前に、すっとシティアが立ち、ウィサン王家のレイピアを抜き放った。
「シティア……」
背後でライフェが驚いたような声を出した。
周りがしんと静まり返る。
ゼラスが足を止め、鋭い眼差しでシティアを睨み付けた。その目は、周りで見ている者たちが怯えすくむような危険な光を放っていたが、けれどシティアは一歩も退くことなく、むしろ不敵に笑って睨み返した。
「あなたの部下が、あそこの青年に喧嘩を売ったようなんだけど、謝ってくれないかしら」
シティアがちらりと頬を腫らして座っている青年を見ると、同じようにゼラスが彼を見た。
「ひぃっ!」
ゼラスに睨まれて青年が悲鳴をあげる。そしてまるで発狂したように叫んだ。
「無理だ、姉ちゃん! その男には勝てない。俺が悪かった。謝る! 謝るから許してくれ!」
今にもゼラスの前に出て土下座でもしそうな勢いで喚き立てる青年を、非力なサリュートが汗をかきながら押さえつけた。青年は「無理だ、すまなかった」と泣き喚いている。
しかしシティアは、そんな青年の言葉も右から左で、レイピアの先を真っ直ぐ男に向けてもう一度繰り返した。
「謝って欲しいんだけど」
射るような視線が交差する。人々の息を呑む音。ならず者どもも、黙ってことの成り行きを見守っている。ライフェも然りだ。
やがて、ふっと男が息を吐いた。
「わかった。ここは退こう」
「ゼラスさん!」
彼の意外な言葉に、男たちが色めき立った。如何に腕が立つ娘たちとは言え、まだ14、5歳の少女に屈するのが屈辱だったのだ。
しかし、次のゼラスの一言に彼らは押し黙った。
「お前たち、今こんなところで騒ぎを起こしているような場合か?」
「そ、それは……」
彼らが悔しそうに唇を噛む。
ゼラスはゆっくりと青年を振り返ると、白い布袋を投げた。中には金が入っているらしく、地面に落ちたときに多くの金属片の擦れる音がした。
「すまなかった。それは治療費にでもしてくれ」
それだけ言って、ゼラスはマントをひるがえし、元来た道を引き返していった。
「ゼラスさん!」
まるで親にすがりつく子供のように、男たちが彼を追いかけて走り去る。
誰かが大きく息を吐いて、張り詰めていた空気が溶けた。
「あ、ありがとうございました!」
剣を鞘に収めた赤い髪の少女に、大きな声で礼を言ったのは青年の母親だった。
「おかげで助かりました。本当にありがとうございます!」
興奮冷めやらぬ様子で何度も頭を下げる母親に、シティアは曖昧な微笑みを浮かべて、青年を気遣う言葉をかけてやった。
いつの間にかライフェが隣に来て、疲れたように息を吐く。
「お疲れ様。強いわね、ライフェ。さすがは特別招待者」
「そんなこと、ありません」
言葉では否定したが、ライフェは年上の少女に誉められて、嬉しそうに顔をほころばせた。
「姉ちゃんたち、強ぇな!」
不意にそんな声がして、わっと周囲が沸いた。
それから次々と少女たちに声がかけられ、拍手が沸き起こる。
「おたくら、大会の参加者なんだろ? 楽しみだなぁ」
「ひょっとしてレミーナより強いんじゃないのか?」
「もしかして、青い髪の子、ライフェじゃないの?」
誰かがそう言って、ライフェが恥ずかしそうに俯いた。あまり注目されるのに慣れてないようだ。
ライフェが自分の正体について否定しなかったので、周りがまた熱狂した。どうやら特別参加の14歳の少女は、シティアが思っていた以上に人々に注目されているらしい。
それが証拠に、助けられた青年も、「君がライフェか……」と感心しきりに頷いている。
羨望の眼差しを一身に浴び、あたふたしているライフェを見てシティアは小さな微笑みを洩らした。
「わ、笑わないでください」
「だって、面白いんだもの」
頬を膨らませた少女に、シティアはからかうように言った。
感極まった群集がようやく彼女たちを解放するまでに、ゆうに30分はかかった。
先程の歓声が嘘のように静まり返ると、青年とその母親が三人の前に立って、改めて頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「いえ、気にしないでください」
ライフェが穏やかな微笑みを浮かべた。とても14歳とは思えない大人びた顔つきに、シティアはいつまでも子供じみている自分にわずかな劣等感を抱いた。
それが顔に出たのか、サリュートがポンと彼女の背を叩き、シティアは慌てて平静を装った。誰かに気遣われると借りを作ったような気分になる。
騒ぎも完全に収集したようなので、ライフェがそろそろ帰ろうと提案すると、母親がおずおずと声をかけた。
「あの、もしよければ、お礼をしたいのですが……」
なにも礼をするのに卑屈になることなどないのだが、相手が大会に参加者として招待された少女なので気が引けるのだろう。
ライフェは少し考えるような素振りをしたが、すぐに首を振り、
「父が心配しますから、気持ちだけ受け取りたいと思います」
残念そうにそう言った。
ライフェをもてなすことが一つの自慢になるとでも考えていたのか、母親も青年も気落ちしたように「そうですか」とため息を吐いた。
そんな彼らに、先程まで黙っていたサリュートが声をかけた。
「僕たちだけでも良かったですか?」
「えっ?」
青年とシティアの声が重なる。何が言いたいのかわからず、シティアは不思議そうに彼を見上げた。
けれど、ライフェの方は彼の言いたいことを察知したのだろう。すぐに付け加えるように言った。
「あの、この二人は私の大切な友人なのですが、今日この街に来たばかりで宿がありません。厚かましいお願いですが、もしよろしければ、宿を貸してあげてはくださいませんか?」
小さく頭を下げるライフェを見て、シティアはようやく気が付き、幼なじみの機転に感心した。
自分など、宿がないことなんかすっかり忘れていたというのに、サリュートはあの騒ぎの後でも、そして恐らくその最中も、ずっと先のことを考えていたのだ。
もちろんそれは、騒ぎの方はシティアに任せておけば大丈夫だという絶対の信頼から来るものだったが、シティアはそれには気付かず、ただいつもより逞しく見える幼なじみを感心しながら見上げていた。
母子は少し戸惑ったような素振りを見せたが、恩人であるライフェの頼みを断れるはずがなかった。
「はい。狭い家ですが、部屋は空いてます。もしよければ、大会の日まで使ってください」
母親の言葉に、シティアは表情を明るくした。
「ありがとうございます」
サリュートが頭を下げて、彼女も慌ててそれに倣う。
「よかったですね、シティア」
穏やかに微笑むライフェに、シティアは大きく頷いた。
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