遠くに見える街壁や立ち並ぶ尖塔だけでなく、石造りの家々や煉瓦の道、そういった街のすべてから異国の風情が感じられた。
ウィサンが自然にあふれる街だとするならば、さしずめマグダレイナは人工の街だろう。
住みたいとは思わなかったが、嫌いではなかった。
「さてと、どこに行けば参加登録できるのかしら」
誰かに聞いてみようと思ったところで、背後から良く聞き知った声に呼び止められた。
「シティア!」
追いかけてきたサリュートである。
シティアが足を止めると、彼は息を切らせながら彼女の隣まで来て、苦しそうに咳をした。
彼は運動好きな王女の幼なじみに似つかわしくなく、運動がからっきしなのだ。
「まったく、情けないわね」
呆れたようにシティアが蔑んだ眼差しを向けると、サリュートは顔を上げて苦笑いした。
「シティア。お金はない、道はわからない、何も知らない。そんな状態で一人にならないでくれ」
サリュートにたしなめられて、シティアはムッとしたような顔をした。
「お金ならあるわよ。失礼なことを言わないで」
言いながらわずかな所持金を見せびらかしたが、サリュートはまったく意に介さず、それを押し退けて真っ直ぐシティアを見返した。
「お金があっても、使い方がわからなければ意味がないだろう。シティアは生まれて初めて来たこの街で、宿の一つでも取れるのか?」
彼女を心配するあまり、つい強い口調で言ってしまってから、サリュートはしまったと思った。
彼女は自尊心を傷付けられるのが一番嫌いなのである。
案の定シティアは言い返す言葉もなく、怒り泣きのような顔をしてから、悔しそうに踵を返した。
そして、目的地もわからずにスタスタと歩き出す。
いくら剣の達人であっても、所詮はまだ15歳の少女だった。
サリュートは今さら謝れば逆効果だと思い、先程のことには一切触れないことにした。
「それにしても、大きな街だな」
おどけたようにそう言うと、シティアは彼と目を合わせないように「そうね」と呟いた。どうやら会話をするくらいの気分にはなったらしい。
サリュートは彼女とはぐれないよう一歩シティアに近付いて、耳元でそっと囁いた。
「受け付けは城の南門でしてるらしい。大会は5日後だけど、締切は明日までらしいぞ」
「そう。それじゃ、なおさら急がないとね」
すでに陽は西に傾きかけている。
まるでサリュートを置いてきぼりにするかのように、シティアはその歩調を速めた。
と、同時に、サリュートがその手を取った。怪訝そうにシティアが振り返る。
「何? 急ぐんでしょ?」
気勢をそがれた気分になって声を荒げると、サリュートが困ったように空を仰いだ。
「シティア。そっちは北だ」
冷静に突っ込まれて、王女は恥ずかしさと怒りに顔を赤らめたが、何も言い返さなかった。
二人が南門に着いたとき、すでに西の空がほのかに赤らみ始めていた。
直接大きな通りに面していないこともあってか、辺りは閑散としてる。
そろそろ片付けを始めようかというふうに、退屈そうにあくびをしていた受け付けの兵士の前に立ち、シティアは不敵な笑みを浮かべた。
「あの、大会の参加登録をしたいんですけど、こちらで良かったかしら?」
突然話しかけられて、兵士は慌ててあくびを噛み殺すと、目の前に立つ人影に目を遣った。
ふっくらと女性としての柔らかな丸みを帯び始めたばかりの少女と、とても戦えそうにないヒョロっとした男が一人。
兵士は怪訝な顔をして首を傾げた。
「確かに受け付けはここだが、誰が参加登録するんだ?」
彼には、いくら剣士の格好をしているとはいえ、まさか少女が参加表明をしているとは思えなかったのだ。
それもそのはずである。
マグダレイナの剣術大会は、そのレベルが高いことでも有名だった。そのため、参加資格を国外に広げるようになって以降も、参加者の数がある一定以上増えていない。
ましてや、女性の参加ともなればその数は皆無であり、いたとしてもよほどがたいの良い女性か、そうでなくても20歳は過ぎている者ばかりだった。
過去に参加した最年少の女性は、第15回大会のレミーナ・ルベファンテだったが、彼女にしても当時すでに16歳だった。それに彼女には前評判があり、実際に優勝するほどの圧倒的な剣技を持ち合わせていた。
兵士は2年前の女戦士の勇士を思い出し、目の前の少女に一瞬でもレミーナの姿を思い浮かべた自分の愚かさを呪った。
こんな名もない田舎の剣士を、将来を嘱望されたメイゼリスのレミーナと比較するのは、なんと彼女に失礼なことか。
兵士が小さく笑ったのを見て、シティアは顔をしかめた。
「参加するのは私よ。何か文句でもあるの?」
睨め付けるように彼女が言うと、その態度が気に障ったのか、兵士も声を荒立てた。
「大ありだな。お前みたいな田舎の剣士に参加されたら、剣術大会の品位が下がる」
「なんですって!?」
シティアの目がギラリと光り、後ろで見ていたサリュートが危険を感じて咄嗟に手を伸ばした。
しかし、シティアが腰に帯びたレイピアを抜き放つ方が数倍早かった。
「そんなに言うのなら、あなたは当然私に勝てるんでしょうねぇ!」
風を切る音がして、次の瞬間、受付台を覆っていた屋根が大きな音を立てて崩れ落ちた。シティアの剣が正確に柱の一つを貫いたのだ。
兵士は一瞬のことに何が起きたのかわからず青ざめていたが、すぐにその顔を真っ赤に染めて怒鳴った。
「貴様! 自分のしていることがわかっているのかっ!」
兵士が怒りに任せて剣を抜くと、城の方から彼と同じ格好をした者が数人走ってきた。どうやら音を聞きつけてやってきたようである。
彼らは、味方の兵士が剣を持った少女と対峙しているのを見て、すぐさま剣を抜き放ち、二人を取り囲むようにして立った。
「シ、シティア……」
怯えたようにサリュートが声をあげ、へばりつくようにシティアの背に隠れた。
しかしシティアは平然としたものだった。事の重大さはともかく、少なくとも目の前の連中に負けることはないと確信していたからである。
それは自惚れではなく、剣を持つ構えや目配り、わずかな仕草から彼らの実力を把握したのだ。
「貴様、何者だ! 一体ここで何をしていた!」
駆けつけた一人が怒鳴りつけ、今にも斬りかかっていきそうなくらいに目を血走らせた。
そんな鼻息の荒い男たちに、シティアは嘲笑うように言った。
「何って、私は剣術大会の参加登録をしに来ただけよ。それをそこの男が、参加はさせられないなんて言い出したから、少し剣技を披露しただけだけど」
仮にも剣術都市マグダレイナの兵士に囲まれて、少しもひるむ様子を見せない少女に、逆に彼らが気圧され気味になっていた。
「おい。この女の言っていることは間違いないのか?」
シティアから目を逸らさずに、男の一人が受け付けの兵士に確認した。
兵士はたじたじになりながらも、小さく一度頷き、すぐさま弁明するように声を張り上げた。
「だが、参加が認められなかったからといって、突然剣を抜いて脅迫まがいの手を使うのは重罪だろう。こんな粗雑で乱暴な女を参加させるわけにはいかないと判断した私を、どうして責められようか!」
「勝手なことを……」
シティアは思わず舌打ちをした。
正しいのはシティアであり、男の話が言い訳に過ぎないのは火を見るより明らかだった。
しかし、同胞意識か男尊女卑の精神か、後からやってきた者たちは、少なくともこの場においては仲間の意思を貫き通すことを選択したらしい。
先程より幾分かみなぎった殺気に、シティアはつらそうに眉を歪めた。
それは大会に参加できなくなりそうなことに対する悲しみではなく、自分が拒絶されたことに対する悲しみ。
自らの殻に閉じこもり、他人を拒絶し続けている彼女は、人一倍寂しがり屋で、誰よりも孤独を嫌っていたのだ。
あふれてきた涙を素早く拭うと、男の一人が一歩足を踏み出した。反射的にシティアが身構える。
その時だった。
「何をしてるのですか?」
突然、まだ子供のような少女の声が彼らの間を駆け抜けていった。
男たちは驚いて剣を下ろし、シティアの背後を凝視する。
どうやらすぐに斬りかかってくることはなさそうだと判断してから、シティアが油断なく振り返ると、果たしてそこにはシティアと同じくらいの歳の少女が一人、困ったような表情をして立っていた。
「ライフェ殿」
誰かが呻くように言った。
ライフェと呼ばれた少女は、簡素な革の鎧を着込み、シティア以上に剣士然とした格好をしていた。
長い蒼髪を首の後ろで縛り、額には細い白い布が巻き付けてあった。その布の両端が、春の暖かい風に吹かれて揺れている。
背はシティアより少し高いくらいだろうか。表情も大人びていたが、体つきはまだ子供のそれであり、歳はシティアよりも若そうだった。
ライフェはゆっくりと歩いてくると、困惑げな面持ちのまま首を捻った。
「話は大体うかがいました。ですが、私が出られるのに、どうしてこちらの方はダメなのでしょうか」
まったく悪意のない言い方だったが、却ってそれが男たちの自尊心を傷付けたらしい。
「それは……」
唸り声をあげた男に、ライフェが穏やかな口調で付け足した。
「私だけ特別扱いしないでください。それに、参加志願してきた人を追い返す権限など、あなたたちには与えられていないでしょう」
厳しいが事実だけに男たちは閉口した。
もし同じことを言ったのがシティアだったら恐らく口論に発展していただろう。
そうならなかったのは、蒼髪の少女の言い方は穏やかで、けれどもその内に決して反論を許さない力強さを持っていたからだ。
シティアは彼女の言葉を聞きながら、感心すると同時にわずかな嫉妬心を抱いた。
やがて、少しの間があってから、兵士が苦しそうな呻き声をあげた。
「わ、わかりました。ライフェ殿のおっしゃる通りだ。この娘の参加を……認めましょう……」
それを聞いてシティアは、複雑な心境ではあったが素直に喜ぶことにした。
「本当? 良かったわ」
口調は丁寧なのだが、やはりどこか棘を孕んだ物言いに、男たちは顔をしかめた。
晴れやかな顔をしたシティアの前に立って、ライフェがにっこりと笑った。
「良かったですね。私はライフェと言います」
スッと差し出された手を、シティアは少し戸惑ったがすぐに握り返した。
「シティアです。よろしくお願いします」
一瞬だけ、シティアは彼女が本来の持つ綺麗で純粋な微笑みを浮かべた。
ライフェも少女の笑顔で、嬉しそうに顔をほころばせた。
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