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少女たちの剣

幼少時代のある事件以来、他人に心を閉ざしてしまったウィサンの王女シティア。そんな彼女が15歳の春、幼なじみの青年サリュートとともに訪れたマグダレイナの剣術大会で、一つ年下の剣士の少女ライフェと出会う。

シティア : ウィサン国の王女。レイピアの使い手。初出 『湖の街の王女様』
ライフェ : ハイデルの騎士団長リゼックの娘。初出 『To Heart Fantasy』
サリュート : シティアの幼なじみの青年。いつも彼女を気にかけている。
エデラス : ウィサン国の王子。妹のシティアとともに剣術大会を訪れる。
フラウス : ライフェの前にたちはだかった赤毛の青年剣士。
ゼラス : 第12回大会の優勝者だが、次大会で人を殺め国を追われる。
フィアン : マグダレイナの第二王子。エデラスと意気投合する。
ユウィル : 魔法使いの少女。シティアの一番の友人。初出 『小さな魔法使い』

12

 決勝前夜を、一面の星空が彩っていた。
 街はいよいよお祭り騒ぎの最高潮に達していたが、さしもの喧噪も城壁の中までは届かない。
 難攻不落のマグダレイナ城の中庭で、一人の少女が鈍く光る剣を振っていた。
 ライフェである。
「寝られないのか? ライフェ」
 不意に呼びかけられて、少女は手を休めた。生まれたときから聞いている声なので、姿を見なくても誰かはわかる。
「父上」
「明日は決勝だからな。仕方がないか」
 彼は娘の近くまで来ると、優しい瞳で問いかけた。
「明日はどうだ? あのフラウスという青年に勝てそうか?」
 ライフェはしばらく抜き身の剣を見つめていたが、そのまま一言「勝てます」と呟いた。
 父親はその答えを期待していたのか満足げに頷くと、もう一つ質問を重ねた。
「では、午前中にあの青年と戦った身体で、あの底知れぬ少女には勝てるかな?」
 ライフェは何も言わずに剣をかざし、思い切り振り下ろした。
 ビュッと小気味良い音を立てて、切っ先が銀色の弧を描く。
「勝ちます……」
 絞り出すようにして答えたが、正直なところライフェは彼女の実力を図りかねていた。
 今のところ、ウォジーとの戦いでフラウスの底は見えている。彼はとてつもなく強いが、ライフェの想像しているその強さを越えることは恐らくないだろう。
 しかし、シティアはまだ底を見せていない。いや、剣技に関しては正直ライフェは彼女に勝つ自信があった。ただ、スピードと体力であまりにも分が悪い。
「長期戦になる前に、私の持てる力を全部出し尽くせば、たぶん勝てます。ただ、もし彼女がそれを全部避けるようなことがあれば、持久戦になって負けてしまうと思います」
「そうか」
 リゼックはやはり満足そうに頷いた。
 彼は勝ち負けなどどうでも良かったのだ。正しく戦力分析をし、勝つためにどうすればいいかを考える。その上で負けるのであれば、それは実力なのだから仕方がない。
「父上は、私とシティア、どちらが強いと思いますか?」
 逆にそう質問されて、リゼックは腕を組んで深く目を閉じた。
「今日フィアン殿やエデラス殿にも言ったのだが、お前がフラウスとの戦いで怪我をしなければ、決勝戦はお前が勝つだろう」
「決勝戦は?」
 ライフェが訝しがって聞き返すと、父親は目を細めて「気付いてないのか」と残念そうな声を出した。
「何にでしょう」
 ライフェは不安げな瞳で尋ねたが、彼は静かに首を振り、その質問には答えなかった。自分で答えを探し出せということらしい。
「わかりました」
 ライフェは素直に引き下がり、もう一度剣を振った。
「ところでライフェ。見ているとシティアという娘とは仲がいいようだが、彼女とは知り合いなのか?」
 父親にそう質問されて、彼女は真っ直ぐリゼックを見てはっきりと告げた。
「シティアは私のお友達です」
「そうか……」
 リゼックは思わず目元を緩めた。
 前にシティアが想像したとおり、ライフェには友達らしい友達がほとんどいなかった。
 もちろんそれは、シティアのように自ら一人になったからではない。ライフェは幼い頃から城内で生活し、戦士として教育されてきた。
 そのために、同じくらいの歳の女の子と触れ合う機会が極端に少なかったのである。
 けれど、ライフェはそれを寂しいと感じたことはなかった。例え友達がいなくても、彼女にはたくさんの仲間がいたし、仲間たちも温厚な彼女の性格を愛していた。
 憎しみや悲しみとは無縁の場所で育ったライフェと、孤独と絶望の中で鍛え上げられたシティア。
 この二人が巡り会い笑顔を交わしているのだから、世の中わからないものである。
「彼女、エルクレンツのヴェザート家という貴族の者だと言ってました。遠くの地ですし私は知らないのですが、父上はご存じですか?」
 ライフェが父を見ると、彼は聞いたことがないというふうに首を傾げていた。やはりあまり有名ではないのだろうか。
「小さいかも知れませんが、彼女のような強い女の子を育てたくらいなので、きっと武芸に優れた貴族なのでしょう」
 サリュートが聞いたら腹を抱えて笑いそうな誤解だったが、リゼックも「そうなんじゃろうな」と頷いていた。
 ライフェは再び剣を振った。そして返す刀で斬り上げる。
 ずっと小さいときから、もう何万回、何十万回としてきた動作だ。歩くことと同じくらい当たり前にできる。
(シティアは、どうなんだろう……)
 桁外れの体力とスピードを持つ少女。彼女はどんな場所で生まれ、どんなふうに育ち、どのようにしてあの力を手に入れたのだろう。
「もっと仲良くなれたらな……」
 ライフェは独白して空を見上げた。
 見える星座はハイデルのそれと変わらないけれど、紛れもなくここは異国の地。シティアと会えるのも後わずかだった。
(明日シティアと戦えますように。大会が終わっても、またどこかで会えるような仲になれますように)
 一面の星に願いを捧げて、ライフェは剣を鞘に収めた。

 同じ頃、シティアもまた床の上からそんな広大な空を眺めていた。
 ずっとサリュートばかり床で寝かせていたので、申し訳なく思って自分も一緒に毛布にくるまって寝ることにしたのだ。
「サリュートは、ここに来てからずっとこんなふうに星を見てたのね」
 じっと窓の外を見つめながらシティアが呟いた。
 しかし彼は、彼女の言葉などまるで耳に入っていなかった。
 自分の左手をしっかりと握る王女の右手。同じくらいの歳の女の子のそれとはあからさまに一線を画す、剣を持つ者の手ではあったが、そんなことは関係なかった。
 高鳴る鼓動が聞こえてしまうのではないか心配になってしまうほど近い場所に、シティアが横たわっている。
 わざとやっているのではないかと疑いたくなるほど無垢な少女の心が、何気ない夜を眠れない夜に変えてしまったのだ。
 そんな青年の苦悩になどまったく気が付くことなく、シティアは目を閉じて深くため息を吐いた。そしてその顔から表情を消して続ける。
「初日の夜にね、ライフェが言ったの。『シティアが一人でいるのは不自然だ。自分から一人にならないで』って」
 酒場での出来事だった。それでシティアはライフェと喧嘩し、一瞬だが関係が壊れそうになった。
 もしもあの時フラウスが来ていなかったら、今頃ライフェとは口を聞いていなかったかも知れない。
「ライフェ、私が友達じゃないって言ったら泣いてたの。『私は友達だと思ってたのに』って……」
 あんなふうに涙を流されたのは初めてだった。
 シティアは彼女の涙を見て、胸が苦しくなった。
 罪悪感に駆られたからではない。自分も本当は彼女が好きなのに、どうしてもそれが伝えられなくて、心の中にある矛盾が小さな胸を内側から切り裂いたのだ。
「私、ライフェの友達なのかな? ライフェは、私の友達だと思っていいのかな? 友達って、どんなものなのかな? 私……教えて欲しい……」
 あの日以来、初めてかも知れない。
 ライフェという少女の出現に、シティアは初めて自分から殻を破ろうとしていた。
 もしもこの時サリュートが、前に喧嘩した夜と同じことを言っていれば、シティアは完全に闇の中から抜け出すことができたかも知れない。
 けれどこの時彼は、彼女の話をまるで聞いていなかった。自分の胸の鼓動を抑えるのに必死だったのだ。
 自分の愛する少女が、肌の触れ合うような場所で横になっているのである。彼がシティアの話を聞いてなかったからといって、誰に責めることができよう。
「サリュート、私の話、全然聞いてないでしょ!」
 突然大きな声で怒鳴られて、サリュートは弾かれたように隣を見た。
 すると、自分の枕のすぐそこに、眉をしかめて唇を尖らせている王女の顔があった。怒りのためか、少し荒くなった鼻息がサリュートの顎をなで、彼の思考はそこで完全に停止した。
「えっ? あ、うぁ……?」
 シティアはバカにされたと思ったのだろう。右手で彼の手をギュッと握ったまま、左手で幼なじみの右頬をつまんだ。
「サリュートのバカ!」
 真剣な話をはぐらかされるほど情けなくなることもない。
 シティアは思い切り彼の頬をつねってから、そのまま左手を彼の右肩に乗せて目を閉じた。
「シ、シティア……?」
 右手で頬をなでながらそっと少女の顔を覗き込むと、彼女はよほど疲れていたのか、もう小さな寝息を立てていた。ひょっとしたら、今日のボークスとの対決は、サリュートが考えている以上に応えたのかも知れない。
(それにしても……)
 彼はじっと王女の寝顔を見つめた。
 あどけないその寝顔は、まるで汚れを知らない天使のようだった。
 元々シティアは孤独や悲しみ、憎悪。そんなものが似合う娘ではない。
 それなのに神の悪戯か、王女はこの世の中の醜いものを無理矢理知らされた。
 人の生命さえ簡単に奪い取ることができるような人間になってしまった。例えそれが悪人であったとしても、10歳までのシティアは、人を殺すことなど考えられない少女だった。
 あの日、あの魔法使いが現れなければ、恐らくシティアは剣を持っていなかっただろう。昔から興味はあったようだが、剣士になるきっかけはなかったはずだ。
 しかし、もしそうなれば、こうしてライフェと会うこともなかった。サリュートがフィアン王子やリゼック将軍とともに笑い合うようなこともなかった。
 それはそれで寂しい気もするが、なければないでもっと他の何かが起きていたかも知れない。
(人生って、わからないな……)
 右手でそっと幼なじみの髪をなでた。
 一度だけ軽く抱きしめてみると、思いの他柔らかな感触が指先から伝わってきて、慌てて手を離した。それから一度大きくため息を吐く。
 時が経つにつれ、胸の鼓動は収まるどころか、よりいっそう強くなっているようだった。
「これは、今夜は眠れないな……」
 ぼーっと空の星を見つめて、サリュートは呟いた。
 眠れない悲しみと、シティアとともに寝られる喜び。憎しみを知った悲しみと、ライフェと出会えた喜び。
 一緒にできるものでもないが、すべての物事は常に表裏一体で存在しており、結局は受け取る側がそれを肯定的に取るか否定的に取るか、それだけなのかも知れない。人生も、すべて。
(僕は、肯定的に取ろう……)
 幼なじみとは言え、一国の王女とこうして一緒に寝られることなど、もうないかも知れない。
 明日は慌ただしい一日になりそうだったが、サリュートは寝られないことを覚悟した。
 肩越しで、シティアが気持ちよさそうに眠っている。
 サリュートはそんな少女の美しい寝顔をずっと眺めていた。
 やがて睡魔に襲われて眠りに落ちるまで、優しい眼差しで彼女の髪をなで続けていた。

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