建物の設計をして生活しているらしい。
父親は城で働いており、大会が終わるまでは仕事が忙しくて家には戻らないという。
先程の事件は、酒場で母親と二人で食事をした帰り際に彼らの足を踏んでしまったらしく、いきなり殴られたとのこと。
もちろん、レアルは彼らと面識がなかった。
日頃は冷徹な少女も、青年の話を聞いて怒りを隠せなかった。
思わず怒鳴りそうになったが、先程サリュートに短気だと言われたばかりなのを思い出してグッと堪えた。
母親が言った通りの小さな家に連れて行かれると、二人は部屋に案内された。
二部屋空いていたらしいが、シティアが断ったので二人で同じ部屋にいる。
すでに夜遅かったため、すぐに寝ようとベッドに入ったシティアだったが、妙に気分が昂揚してなかなか寝付けなかった。
暗がりの中で寝返りを打つと、窓から月明かりが優しく部屋に差し込んでいた。
「眠れないのかい? シティア」
不意にベッドの下から幼なじみの声がした。姿は見えないが、すぐそこで毛布に包まって横になっている。
母子が勧めてくれたもう一部屋にもベッドはあったのだが、シティアが断ったために彼が毛布を借りて床で眠ることになったのだ。
もちろん、彼にそうさせるために部屋を断ったのではなく、シティアはただ異国の地の他人の家で一人になりたくなかったからそうしたのだ。
寝床については何も考えてなかったわけではなく、一つのベッドで十分二人寝られると思っていたのだが、それはサリュートにやんわりと断られた。
「狭いから、床の方が寝やすいよ」
そう言って苦笑したサリュートに、さしものシティアも罪悪感を覚えた。これではまるで、彼を床で寝かせるために部屋を断ったみたいではないか。
それだったらやはりもう一部屋借りようと、いつもは人のことなど考えない王女は提案したのだが、サリュートが気にしなくてもいいと言うので、結局今に至っている。
「ごめんなさい、サリュート。あなたも寝られないのよね? 冷たい床の上だから」
申し訳なさそうに言ったシティアの耳に聞こえたのは、彼の困ったような唸り声だけだった。
もちろん、サリュートがベッドを断った理由も、寝付けない理由も、彼女の考えているようなものではないのだが、詳しく説明してぎこちなくなるのも嫌だったので黙っていた。
ウィサンの王女は、この世の中に二つの性別があることを知っているのか疑いたくなるほど純心なのだ。
彼は珍しくしおらしい王女に、できるだけ優しい言葉をかけた。
「気にしなくてもいいよ、シティア。僕が寝られないのは、君と同じ理由だから」
「そう……」
シティアは安堵の息を洩らした。
「二人とも寝られないみたいだから、少しお話でもしようか」
サリュートがそう提案して、シティアは小さく「うん」と頷いた。そして、まるでそこに幼なじみがいるかのように月明かりを見つめながら口を開いた。
「今日兄さんと別れて、受け付けで兵士たちと喧嘩して、ライフェに会って、初めて酒場に入って一緒に食事して、レアルさんと会って、酔っ払いと喧嘩して、それから、ゼラスと対峙して……。たった数時間の間に、なんだか本当に色々なことがあったなって……」
言われてみれば確かに多くのことがあったと、サリュートは思った。駆け抜けるような一日だった。
「でも、一番気になってるのはゼラスのことなんだろ?」
そう問いかけると、彼女が小さく頷くのが気配でわかった。
あの後二人は、帰り道でゼラスのことを聞いた。
ゼラスはこの街の兵士であり、第12回大会の優勝者だった。レアルが知っていたのもそのためであり、別に顔見知りだったわけではない。
しかし、この街の兵士であればあの場にいたとしても何の不思議もない。にも関わらず、レアルが「何故ここに」と驚いていた理由を問うと、設計士の青年は悩ましげな顔をして答えた。
「ゼラスは……その翌年の大会で、人を殺してしまったんです」
二人も受け付けでもらったのだが、大会にはルールがあり、それを破った者は失格となる。
人を殺してはいけないという抽象的なルールはもちろん存在しなかったが、頭と急所への攻撃は禁じられていた。
けれど、彼はそれを破ってしまった。破らざるを得ないほど相手が強かったらしいが、どんな理由であれ彼はルールを破り、よりによってそれで相手を殺めてしまったというのだ。
しかも殺した相手がまた悪かった。
「偉い人だったの?」
興味津々に尋ねると、彼は首を横に振った。
「偉いと言うほど偉い人ではなかったようです。どこかの貴族が可愛がっていた人間だったようですが。問題は、その貴族が激しくゼラスを糾弾したことですね」
レアルはやや不愉快げに眉をひそめたが、それも仕方ないことだろう。ルールに乗っ取った戦いで死んだのならまだしも、ゼラスはルールを破ったのだ。
大切な人間を殺された貴族はマグダレイナ王家と全面的に争う姿勢を示した。
しかし、この問題はそれ以上発展しなかった。
マグダレイナの王が、ゼラスを追放したのである。もちろん、他にも多額の賄賂を貢いだであろうが、それは表沙汰にはならなかった。
ともかく、こうして第12回大会の栄誉ある優勝者はマグダレイナを追われた。
そのゼラスが再びこの時期に現れたのである。しかも、多数のならず者どもを引き連れて。
「妙な胸騒ぎがするのよね……」
シティアは独白するように言った。
まるで自分が彼と戦うことになることを予見したかのような口調に、サリュートが声を強張らせた。
「シティア。君はあいつとやり合うつもりなのか?」
つい先程の、それだけで人を殺せそうな彼の鋭い瞳を思い出して、サリュートは身震いした。
仮にも相手は剣術大会の優勝者である。しかも実戦経験も豊富そうだった。
如何にシティアが強くても、まだ15歳。サリュートが不安がるのも無理はなかった。
けれど、シティアはまるで緊迫感のない声で答えた。
「そういう状況になったらね」
まるでそうなって欲しいかのような声音に、サリュートは顔をしかめた。
「エデラス様との約束を忘れてないだろうね。シティアは、あいつに勝てるのか? しかも、無傷で」
責めるように語調を強めて言い放った。
出来ることなら今すぐにでもこの街を離れたいくらいだった。何かに巻き込まれる前に。
ひどく保守的な考えだと自分でも思ったが、それでシティアが無事でいてくれるのなら、どんな悪者にだってなるつもりだった。
震えて強張ったサリュートの声に、彼の心情を察したのだろう。シティアは安心させるように不敵に笑った。
「私は、化け物以外の何者にも負けないわ。ライフェもゼラスも、私の敵じゃないわね」
力強くそう言って笑い声を立てた少女の下で、サリュートは少しだけ悲しそうに表情をゆがめた。
それは、彼女の答えが自分の望んでなかったものだからではない。
シティアには相手の能力を正しく見極める力がある。そのシティアが大丈夫だというのだから、恐らく大丈夫なのだろう。
シティアは強い。
彼女の持っているのは、一度辛酸を舐め、文字通り地獄の底を見た者の強さだ。あまりにも強力な負の力、悲しみと憎しみによって築き上げられた強さ。ライフェの持つ綺麗な力とは次元の違う、本質的に異なった強さなのだ。
もちろんそれもサリュートには悲しかった。本当はとても綺麗な心を持った王女が、そんな醜い力を誇りに思っていることが。
けれど、今彼が心を傷めたのはそのことではなかった。彼女の使った「化け物」という言葉が、彼女を愛する者すべてが持つ傷をえぐったのだ。
シティアの言う化け物とは、文字通りの意味ではなく、魔法使いのことを指している。
マグダレイナが剣術大会に招待するのを避けるほど魔法に力を入れているウィサンの王女が、魔法使いを嫌いだというのも意外な話だが、それには複雑な事情があった。
彼女が他人に対して心を開かなくなってしまったのも、桁外れの強さを身に付けたのも全部そのせいである。
そして、それを誰よりも良く知っているから、彼女が何事もなかったかのように平然と「化け物」などと言って退けるのが悲しかった。他人を恨むことに慣れてしまっている少女が哀れだった。
「ねえ、シティア」
話を変えるように、無感情な声でサリュートが言った。
「何?」
やはり平然としたシティアの声。恐らくベッドの下の幼なじみの心情など、まるでわかっていないのだろう。
気にせずサリュートは続けた。
「ライフェは……どう?」
「どう……って?」
困惑気味に少女が聞き返す。
サリュートは少し黙り込み、言葉を探した。そして頭に浮かんだ単語の中から、慎重に言葉を選んで彼女に投げる。
「友達になれそう?」
「友達……?」
サリュートの言葉が意外だったのか、少女は少し考え込むように「うーん」と唸った。
そんなシティアの返事を待たずに、淡々とサリュートが言った。
「ライフェと話していたときのシティア、すごくいい笑顔だったよ」
「……そう?」
一瞬嬉しそうな声を洩らしたが、すぐにそれを押し殺し、固い声で聞き返した。
誉められれば喜び、楽しいことがあれば声をあげて笑う。そんな単純なことが少女にはできなかった。
自らの心を鎖で縛り、決して他人に素顔を見せない。時々本当の自分を見せても、すぐにまた殻に閉じこもり、内側から鍵をかけてしまう。
「シティア、ずっとあの笑顔でいれば、きっとみんなに好かれるよ。僕が保証する」
「…………」
サリュートの言いたいことがわかったのだろう。シティアが息を呑んだ。
先程まで開きかけていた心を再び胸の内に押し戻そうとしたシティアに、やはり淡々とサリュートが諭した。
「ねえ、シティア。もうやめようよ。ライフェもきっと君のことを好きになってくれる。いい友達になってくれる。シティアがあの子のことを好きになったら、その気持ちを閉じこめないで、素直にぶつけようよ」
気を抜くと思わず叫んでしまいそうだった。
本当に大事なことだから。いつも願っていることだから。
だから、とても無感情で居続けることはできなかった。
「もう自分の殻に閉じこもるのはやめよう。みんな、君を愛してるから。王も、王妃も、エデラス様も……。それに僕も、君のことが好きだから」
泣きそうな声でサリュートが言うと、しんと静まり返った室内に、ギュッと布団の端を握る音がした。
そして、長い長い沈黙の後、
「あなたに……何がわかるの?」
涙と怒りに小さく震える声がした。
あまりにも悲痛な声色に、サリュートはまるで臓腑をえぐられたような心地がした。
グッと布団を頭の上まで持ってきて、胸の奥から出そうになる感情を懸命に押し殺しながら、シティアは幼なじみに吐き捨てた。
「あなたは……助けてくれなかった……。私が……つらくて、苦しくて……闇に怯えて、夢にうなされて、何度も、何度も、あの男に殺される自分を見て……。傷だらけの体を見て、その度に怖くて……怖くて、怖くて泣いていたのに、あなたは助けてくれなかった!」
膨らみ切った風船のように感情を爆発させて、シティアは叫んだ。
「私は独りだった! 独りで強くなるしかなかった! 強くならなくちゃいけなかった! 誰も、誰も私のことなんか……私なんか……」
それが彼女の限界だった。
枕に顔を埋めて大きな声で泣き出した少女に、サリュートはかける言葉を持ち合わせていなかった。
それは彼だけではない。エデラスも同じだった。彼女の両親も誰一人として、ボロボロになった少女の心の傷を癒す術を持たなかった。
シティアの嗚咽を聞きながら、サリュートは大きく息を吐き、窓から空を見上げた。
群青色の空にぽっかりと、まるで穴が空いたように白い月が浮かんでいる。
彼は頭の後ろで手を組んで、じっとそれを見つめていた。
少女はいつまでも泣き続けていた。
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