エデラスはもちろん、彼の付き人として立っているサリュートの分もある。
昼食一つで国の品位を落とすつもりはないらしく、各国の従者全員にも主人と同じ昼食が振る舞われた。全員を同じ位の大切な客として扱っているという意味である。
「それにしても、シティアは強いなぁ」
先程の戦いで、またもや相手をまったく寄せ付けずに勝利を収めた妹に、エデラスは感心したように声を洩らした。
彼の向かいに座り、分厚い肉と戦いながら、サリュートがまるで我がことのように嬉しそうに笑った。
「強いですよ。あとは性格が丸くなれば、言うことないんですけどね」
「そうだな」
エデラスは苦笑した。
王子を相手に平気で妹の悪口を言うサリュートの気軽さを、彼はいたく気に入っていた。もちろん、他の者が同じことをしたら怒るだろうが。
「しかし、ゼラスは何もしてこないな。もちろん、杞憂に終わってくれればそれが何よりなんだが」
不意に声のトーンを落としてエデラスが神妙な顔をした。
「そうですね」
サリュートも表情から笑みを消し、窓からスタジアムを眺めた。昼休憩のためか、多少午前よりも人が少ない印象を受けるが、午後はいよいよ準々決勝なので、またものすごい人になるのだろう。
サリュートは腰に帯びたシティアのレイピアをギュッと握りしめた。
もしも何か起きたときは、サリュートがこれをシティアのところへ持っていくことになっている。
そのために彼は観客席ではなく、エデラスの従者として来賓席にいた。観客席は刃物の持ち込みが禁止されているからだ。
しばらく二人が無言で窓の外を眺めていると、奥から若者の声で呼ばれた。
「お二人とも、楽しんでますか?」
見ると、緑の髪を短く刈り込み、勝ち気そうな顔をした青年が立っていた。マグダレイナの第二王子、フィアンである。
一週間前に城を訪れたとき初めて会ったのだが、思いの他エデラスと気が合い、それ以来よくこうして話しかけてくる。
「ええ、面白いイベントだと思います」
エデラスが答えると、彼は「それは良かった」と笑いながら、彼らのテーブルについた。
「いよいよ参加者も8人になったわけだが、お二人は誰を応援してますかな?」
興味深げにフィアンが二人の顔を覗き込んだ。
エデラスは「そうですねぇ」と呟いてから、何食わぬ顔で答えた。
「応援してるのは善戦している女の子たちですが、優勝するのはあのフラウスという青年だと思います。実力が頭一つ抜けた感じがしますが」
「なるほど。私たちとしては、ああいう無名の参加者に勝たれると非常に歯痒いのだが、エデラス殿の言う通りかも知れんな」
マグダレイナ一の実力者は、二回戦にして姿を消している。フィアンも自国の参加者を応援したいところだろうが、いささか戦況は厳しいと言えよう。
「一応私としては、次にライフェ殿と戦う私どもの戦士を応援したいところですが、優勝はフラウスで堅そうですな」
仕方なさそうにフィアンが言うと、彼らのテーブルに低い声で反対意見が飛び込んできた。
「いや、うちの娘はそう簡単には負けませぬぞ」
ハイデルの勇将リゼックである。
彼は一つだけ空いていた席に座ると、豪快に笑った。
「親バカで申し訳ないが、わしはライフェが優勝するのではないかと踏んでおる。剣技では、あのジェイバンにも劣らぬと評判だからな」
「確かに、まだ実力の底をまったく見せてないですね、彼女は」
エデラスがリゼックの意見に同調した。どうせならば、知らない青年が決勝に進むよりも、自分の妹と知り合いの娘が対決した方が面白い。
「さて、サリュート殿はどなたをご贔屓にされてますかな?」
楽しそうにフィアンが口元をほころばせた。自分たちの開いた大会の話題で盛り上がれるのが嬉しくて仕方ないのだろう。
サリュートはわざと考えるような素振りをしたが、答えは初めから決まっていた。
「勝つのも応援してるのも、シティア一人です。間違いなく彼女が優勝します」
「ほぅ。それは面白いな。確かにうちの強いのを破ったが、理由はそれか?」
フィアンが目を大きくして尋ねる。
サリュートは首を振った。
「格が違うからです」
思わずそう答えそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。さすがにそれは暴言だろう。
彼はすぐに何か適当な理由を考え、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「一番可愛いからです」
少しの間を置いてから、来賓席に男たちの笑い声が響き渡った。
そんな来賓席の談笑など知る由もなく、シティアは剣を携えて舞台に上がった。
編成の都合とやらで、準々決勝はライフェよりも先に戦うことになっている。
対戦相手はボークスという中年の男だった。背は低いが、がっしりとした体付きをしている。
彼女自身は彼の戦いをまったく見ていなかったが、ライフェによると防御に関しては並々ならぬ力があるとのことだった。
過去のすべての戦いにおいて、彼は徹底的に防御に回り、そして相手が力尽きるのを待って勝利を収めていた。体力も底なしらしい。
開始の合図と同時にシティアは中段から斬りかかった。
ヴリーツとの戦い以降、彼女はすべて先手を取っている。ヴリーツほどのやり手ならともかく、大抵の相手には自分から連撃を放ちに行くのが、一番簡単に相手のバランスを崩すことができるからだ。
彼女の鋭い攻撃を、ボークスは簡単に受け止めた。すぐさま斬り上げた剣も弾かれ、思わず突きそうになった剣を押しとどめて彼女は後ろに跳んだ。
(まったく。突きだって立派な剣技なのに、この大会間違ってるわよ、絶対!)
彼女は心の中でそう毒突いた。しかし、ライフェやフラウスの戦いを見ていて、彼らが一度として剣を突き出しそうになったことはなかった。結局自分はレイピア使いということなのだろう。
ボークスの方からかかってくる気はまったくなさそうだったので、シティアは再び床を蹴り、斬撃を繰り出した。けれど、彼はそのことごとくを受け止めた。シティアが想像していたよりも遥かに強い。
(この人、これだけ上手く受け止められるなら、ヴリーツにも勝てるんじゃないかしら)
彼女は一瞬そう思ったが、すぐにそれを否定した。
ヴリーツの剣とシティアの剣は、まったく質が異なる。彼は重くて遅い剣を放ち、彼女は速いが軽い剣を打つ。
ボークスは速さには対応できるが、恐らくヴリーツの重たい剣を受け止め続けることは無理だろう。
しかし、
「守るだけじゃ、私には勝てないわよ」
シティアはそう言ってニッと笑った。ボークスが顔をしかめる。
それからシティアの放った連続攻撃に、観衆が沸いた。どよめきが渦になり、二人を呑み込む。
それは彼女の攻撃が速いからではなかった。止まらないからだ。
「き、貴様、一体どういう身体をしてるんだ!」
ついにボークスが唸り声をあげた。もはや10分近く剣を振り、足を動かして攻撃しているというのに、赤毛の少女は息一つ乱していなかった。
「す、すげぇ……」
舞台の下でフラウスが呟き、思わず身震いした。
遠くからそれを見ていたライフェが、珍しく内心を表に出した青年に驚いた顔をしたが、それも仕方ないだろう。シティアの体力は尋常ではなかった。
(長期戦になったら彼女には負ける)
フラウスとライフェが同じことを思った。
もうどれくらいそうして戦っていただろう。ついにシティアの剣がボークスのバランスを崩させ、彼の剣を弾き飛ばした。
観衆から盛大な拍手が沸き起こり、シティアは満足げに微笑んだ。
「あ、あなたは、今の戦いでまったく疲れてないんですか?」
舞台を降りてきたシティアに、珍しく動揺しながらフラウスが聞いた。
シティアはちらりとフラウスを見て、
「そんなわけないじゃない。倒れそうよ」
嘘か本当か、そっけなくそう言って歩き去った。その表情からはやはり内心が読み取れなかった。
「勝てないかも知れないな……」
フラウスの弱気な呟きが春風に溶けた。
どちらも準決勝でシティアに勝てそうもない二人の戦いが終わり、ライフェの名前が呼び上げられた。
友人に圧倒的な力を見せ付けられた後だからということもあったが、もう一つ。完璧なまでに自分を無視し続けるフラウスに、自分という存在を知らしめる意も込めて、彼女はある一つの決意をして準々決勝の舞台に立った。
すなわち、赤い印の付いた次の相手を、シティアやフラウス同様、いやそれ以上に、あっさりと打ち倒すことを。
対戦相手は、来賓席でフィアンが応援したいと言っていたマグダレイナの戦士だった。彼はマグダレイナの威信にかけても、この戦いに勝つ気でいた。
観客席から飛ぶ声援はおおむね二分されていた。どちらが勝っても盛り上がることだろう。
ライフェはいつもは着けていた防具を脱いでいた。大会では安全も兼ねて指定の皮鎧までの装着を認められており、ライフェはいつもそれを着けて出場していた。
それを脱いできたのだから、恐らく彼女の本当のスピードが見られる。
シティアやフラウスも含めて、観衆のすべてがそう思った。
けれど、それは見られなかった。
審判が開始を告げるや否や、男が豪快にライフェに向かって斬りかかった。隙のない、確実な斬撃だ。
彼女の左上から繰り出されたその剣を、シティアは後ろに跳んで躱すと予想した。フラウスは、大きく右に避けると考えたが、二人の考えは信じられない光景を目の当たりにして霧散した。
「な、なんだっ!?」
ライフェの足が少し彼の方へ動いたかと思うと、次の瞬間、男の剣が宙に舞っていた。
「ぐあっ!」
手首をひねったのか、男が苦しそうに腕を抑えて膝をついた。
会場が水を打ったように静まり返る。
恐らくその動きを正確に捉えられたものは少なかっただろう。もしくは正確に捉えたところで、自分の見たものを疑ったはずだ。
(あれは、私にもできない)
シティアは澄ました顔のまま冷や汗をかいた。
彼が振り下ろした剣を、ライフェは引き付けるようにして受け止めた。そうすることで、まず相手の剣の威力を弱めたのだ。
そして、引き付けながら彼女は相手の剣に自分の剣と腕を、絡めるように巻き付けた。後はそれをより深くひねり込んで男の剣を払い飛ばしたのだが、その巻き付き方が尋常ではなかった。シティアには腕が二周ほど回ったように見えた。
(あの子、初めから腕をねじっていた……?)
ただ肩や肘の関節が柔らかいだけでできる芸当ではない。もちろんそれも必要だったが、ライフェはまるで鞭のように相手の武器を絡め取るために、あらかじめ自分の腕を限界までひねっていたのだ。
一歩間違えれば自らの腕の筋を傷めるカウンター攻撃である。それを彼女は苦もなくやって退けた。
絶妙なタイミング感覚。それはどれだけ実戦経験を積んでも簡単に身に付くものではない。
「天才か……」
シティアは呻くように呟いた。
すでにライフェはスタジアムから姿を消していたが、未だに会場中の人間が驚嘆していた。
彼女の見せたものは、シティアがボークスとの戦いで見せた剣技より地味だったが、遥かに恐ろして素晴らしい芸当だった。
しかし、それでもなお、それはライフェが天才と呼ばれる所以の、まだほんの一部でしかなかった。
←前のページへ | 次のページへ→ |