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少女たちの剣

幼少時代のある事件以来、他人に心を閉ざしてしまったウィサンの王女シティア。そんな彼女が15歳の春、幼なじみの青年サリュートとともに訪れたマグダレイナの剣術大会で、一つ年下の剣士の少女ライフェと出会う。

シティア : ウィサン国の王女。レイピアの使い手。初出 『湖の街の王女様』
ライフェ : ハイデルの騎士団長リゼックの娘。初出 『To Heart Fantasy』
サリュート : シティアの幼なじみの青年。いつも彼女を気にかけている。
エデラス : ウィサン国の王子。妹のシティアとともに剣術大会を訪れる。
フラウス : ライフェの前にたちはだかった赤毛の青年剣士。
ゼラス : 第12回大会の優勝者だが、次大会で人を殺め国を追われる。
フィアン : マグダレイナの第二王子。エデラスと意気投合する。
ユウィル : 魔法使いの少女。シティアの一番の友人。初出 『小さな魔法使い』

13

 第17回マグダレイナ剣術大会もいよいよ後1日、残すところ4試合となり、会場はまるでマグダレイナ中の人間が集まっているのではないかという大盛況だった。
 そんな午前中の第一試合は、屈強な傭兵をあっさりと打ち破った赤毛の青年と、ハイデルから訪れた幼き天才の対決である。二人が舞台に立つと、客席から大地を揺るがすような歓声が上がった。
 フラウスはいつも通り鎧は着けておらず、軽い方から数えて3番目の剣を手にしていた。ライフェは昨日の準々決勝とは異なり、軽い皮鎧を着けていた。剣は最も軽量ものであるが、それは初戦から変わっていなかった。
 少女の出で立ちを見て、フラウスは顔をしかめた。
「まさか鎧を着てくるとは思わなかったよ」
 ライフェは腕力ではフラウスに敵わない。とすれば、スピードを最大限に生かした戦いをしてくると思っていたのだが、そんな彼の予想に反して、彼女は自らその動きを制限するように鎧を着けてきた。
 ライフェはそっけなく答えた。
「怪我をするわけにはいきませんから」
 一瞬言葉通りの意味で捉えたフラウスだったが、すぐにその真意を理解して不敵に笑った。
 彼女はここを無傷で勝って、万全の状態でシティアと戦おうしているのだ。そのために、少々動きを束縛されても、防御を優先させたのだろう。
「なるほど。しかし、それではスピードでも僕に勝てない。それに君は、奥の手を昨日見せてしまった。あれはもう使えないぞ?」
 昨日の戦いから疑問に思っていたことを口にした。何故少女が普通に戦えば勝てる相手に、わざわざ奥義とも言える技を使ったのか。あれをフラウスとの戦いで使っていれば、あわよくば彼女は準決勝を一撃で勝っていたかもしれない。
 ライフェはじっと青年の目を見つめた。
「理由は3つあります」
「ほぅ」
 興味深げにフラウスがその瞳を覗き込む。いつかのような不安や戸惑いのない、いい瞳をしていた。
「1つは、あの技ではあなたやシティアの剣は速すぎて止められないからです」
「なら、無理に大会で使うことはなかっただろう。見せびらかしたかったのか?」
 からかうように言ったフラウスに、ライフェははっきり「そうです」と答え、フラウスは驚いて目を丸くした。
「あれを使えば、あなたも少しは私のことを見直すでしょう。そう思ったから使ったんです」
「なるほどね。無視されて意地になるようでは、まだまだ子供ってことだな」
 ライフェは何も答えなかった。
 フラウスは肩をすくめると、真っ直ぐ自分を見据えて逸らさない少女に、3つ目の理由を促した。
 少女は一呼吸吐いてから、美しい蒼の瞳に炎を滾らせた。
「3つ目は、あんなものは、私の持っている技の、たった一つでしかないからです」
「つまり、まだまだ底は深いってことか」
 フラウスは笑いながらそう言って、剣を両手で握りしめた。
「なら、君の底を見せてもらおう」
 強く、フラウスが床を蹴った。

 振り下ろされた剣を、ライフェは足を使って躱すのではなく、剣で真っ向から受け止めた。
 フラウスが敏捷な動きで腕を引き、再び繰り出された剣も、ライフェはやはり剣で受け流した。
 わずかに体勢を崩したフラウスを斬り付けたが、彼はそれを難なく躱して、代わりに気合いを吐いて腕を振るった。
 ライフェが一テンポ早く背後に跳んで、それを躱した。
「強いなぁ」
 感心したようにフラウスが声を洩らした。
 意外だったのは、彼女が足を使って避けるだけでなく、剣を使って相手の攻撃を受け止めることにも長けていたことである。
 ライフェは剣の威力を殺ぐ技術を持っていた。弱い生物たちがすべてなんらかの保身の術を持っているように、彼女は生まれながらにして自らの力の弱さをカバーできる能力を持っていた。まるで剣士になるために生まれてきたかのように。
「天才か……だが!」
 フラウスは重心を低くして連撃を放った。それはウォジーとの戦いで見せたよりも遥かに速く、観衆がわっと狂喜した。
「これを避けられるかっ!?」
 まるで腕が10本あるかのように剣が唸った。一撃一撃の威力は弱いが、反撃する隙もない。
 しかし、ライフェはそのことごとくを躱していた。
「ええいっ!」
 苛立たしげに唸り、冷静な青年が顔を赤くして剣を振るった。もはや見ていたシティアですら目で追うのがやっとな速さである。
 しかし、ライフェには当たらなかった。
「何故だっ!」
 絶叫したフラウスの切っ先が、ついにライフェの肩をとらえた。
「くっ!」
 小さな呻き声をあげて、ライフェは大きく跳んだ。斬れた左肩からじわりと血が滲む。
 しかし、ようやく少女に手傷を負わすことのできた青年の方は、すでに顔中を汗で濡らし、床に剣をついて全身で息をしていた。
「何故……当たらないんだ……」
 フラウスは目を血走らせた。
 ついに彼の気を乱させた少女は、彼と同じように大きく肩で息をしながら、それでも顔に微笑みを浮かべて立っていた。
「なるほどね……」
 舞台の側に立ち、シティアがついに仮面を剥いで険しい顔で唸った。
 ライフェが天才と呼ばれる本当の理由。
 彼女は、次に相手がどのような攻撃をしてくるのか、本能的に察知できるのだ。しかもそれだけではない。察知し、何も考えなくても対応できる。
 フラウスの速さは尋常ではなかった。目で追っていてはとても避けることなどできないし、気配で察知したところで無理だろう。
 しかしライフェは、相手のほんのわずかなしぐさや目の動きだけで、彼が次に何をしようとしているのか理解し、その攻撃を躱すために正しく動く。身体が勝手にそう反応する。
「ごめんなさい、ライフェ。私も、あなたの強さを見誤っていたみたいね……」
 フラウスが再び斬りかかった。あれほど動き回った後だというのに、信じられないスピードだった。
「っ!?」
 ライフェの顔に動揺がよぎる。
 自らの生命を燃焼させるかのような青年の剣が、思い切りライフェの胸を打ち付けた。
「ライフェ!」
 思わずシティアが叫ぶ。
 恐らく鎧を着けていなければ彼女は死んでいただろう。もしくは、鎧に束縛されていなければ、避けられたかも知れない。
 鎧越しに伝わってきた衝撃に、一瞬呼吸困難に陥って、ライフェは苦しそうに顔をしかめた。
 そんな少女に、フラウスの剣が襲いかかる。
 ガキッ!
 大きな音を立てて、剣がぶつかり合った。少女は片手で自らの剣の腹を押さえて支え、彼の剣を受け止めていた。
 けれど、完全に勢いを殺ぐことはできなかったようだ。大きくよろめいた隙に、フラウスはすぐさま剣を引き、斬り付ける。
 少女の太股から血がしぶき上がった。
 フラウスはよろめくように彼女と距離を置くと、荒々しく息をしながら笑った。
「それで、もう……僕の……攻撃を、避けられない、だろう……」
 苦しそうに喘ぎながら、それでも懸命にフラウスは床を踏みしめた。初めにライフェが怯えた青年の強さもまた本物だった。
 しかし、無理をしているのか、それともあまり傷が深くなかったのか、ライフェは内心をおくびにも出さずに剣を構えた。
 そして、
「私は平気です」
 ぽつりとそれだけ言って、素早く踏み込んだ。
 足が痛むのか一瞬つらそうに眉をゆがめたのをシティアは見逃さなかった。
 しかしその動きは先程の青年と同じくらい速く、疲れ切った彼に対応できるようなものではなかった。
「ええいっ!」
 渾身の力を込めて振り下ろした彼の剣が、ライフェの肌を薄く傷付けたが、それが彼のこの大会における最後の攻撃となった。
 勢いを付けて横殴りに振り切った少女の剣が青年の胸を打ち、肋の折れる音が舞台の傍で見ていたシティアにまで聞こえるほど大きく響いた。
「ぐっ!」
 呻き声を洩らし、次に喉の奥から込み上げてきた血を吐くと、フラウスはそのまま舞台に崩れ落ちた。
 無傷とはいかなかったが、少女はシティアとの約束通り、決勝に駒を進めた。

「おめでとう、ライフェ。怪我は大丈夫?」
 舞台から降りてきたライフェに声をかけると、少女ははにかむように微笑んだ。
「すぐに手当てをすれば、シティアと全力で戦うことは大丈夫だと思います。どうせ長期戦になれば、私に勝ち目はありませんから」
 シティアはそんな少女の答えに満足そうに笑った。
「じゃあ、早く手当てをしてきて。私に負けた理由を怪我のせいにされたくないから」
 その言葉にライフェは拗ねた子供のように眉をひそめた。
「私はシティアにも勝ちます」
 シティアは楽しそうに顔をほころばせた。
 それから彼女は舞台に上がり、担架で運ばれようとしている青年に歩み寄った。
「大変そうね」
 彼は脂汗を浮かべながら、それでも元気に笑ってみせた。
「シティアさんと戦えなくて残念でした」
「あの子も十分強いわ……」
 シティアがそう言うと、フラウスは目を閉じて苦笑した。
「僕は強い人と戦いたいんじゃなくて、ウィサンの王女と戦いたかったんです。だからライフェは眼中になかった」
 シティアにだけ聞こえるような小さな声で、彼は何事もなかったかのように彼女の正体を言い当てた。
 シティアは一瞬顔をしかめたが、何も聞かなかった。恐らく彼は素性を言うつもりはないだろうし、のんびり話をしているような状況でもない。
 彼の発言に聞こえなかった振りをして、シティアは何食わぬ顔で尋ねた。
「ねぇ。次のあなたの試合、舞台に立つことだけでもできそう?」
 三位決定戦のことである。
「剣が振れなくてもですか?」
 フラウスが好奇の眼差しを向けると、シティアは大きく頷いた。
「あなたが称号に興味があるなら、立っているだけで三位にしてあげる」
 つまり、次の試合で相手を戦闘不能にしても良いということだ。
 物騒なことを平気で言って退けるウィサンの王女に、フラウスは心底楽しそうに笑った。
「じゃあ、お願いします」
「了解」

 少しの休憩を挟んでから行われた準決勝に、シティアは一回り大きくて重たい剣を持って舞台に立った。
 小さな少女に大き過ぎる剣であるのは明らかだったが、相手により強い打撃を与えるために敢えてそれを選んだのだ。
 相手はトーナメント表に赤色の印の付けられた最後の男だったが、もはやヴリーツを倒した少女の敵でないのは明白だった。
 恐らく、彼自身もそれをわかっていたのだろう。試合開始早々、彼は審判に気付かれないよう、反則技を巧みに駆使してシティアに襲いかかった。
 少女が感謝したのは言うまでもない。相手が善人だったり、あまつさえ戦う前から降参でもしたらどうしようかと思っていたのだが、男がそういう人間であったので、なんの気兼ねもなくフラウスとの約束を守ることができた。
 まるで狩りのときのような嗜虐心に駆られた少女は、相手の向かってくる勢いを利用して、思い切り彼の膝関節に剣を叩き付けた。
 シティアは、絶叫し崩れ落ちそうになる彼の身体を敢えて立たせるように剣を振るった。その切っ先が彼の利き腕の筋を斬り裂き、真っ赤な鮮血が舞台に迸る。
 観衆から悲鳴とどよめきがあがった。
 もしもライフェが見ていたら、恐らく残虐な彼女の姿に顔をしかめただろう。幸いなことに、彼女は控え室で休んでいた。
 最後に白目を剥いてよろめいた男の、もう片方の手に剣の腹を叩き込むと、少女は何事もなかったかのように舞台を後にした。
 彼女が宣言した通り、午前最後の試合はフラウスの不戦勝となった。

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