その顔には、昔を懐かしむような穏和な笑みがこぼれている。
湿気をはらんだ重たい風になびく王女の赤い髪を見つめたまま、ユウィルは寂しそうな顔で座っていた。自らせがんで話をしてもらったので、何か言わなくてはいけないと思いながらも、どうしても言葉が出てこない。
シティアがそんなユウィルに気が付いて、数回瞬きすると、「どうしたの?」と不思議そうに尋ねた。
「えっと、その……」
ユウィルは彼女の顔を直視することができず、項垂れるように俯いた。
「なんだか、シティア様がすごく遠い人のように思えて……。いえ、その、それは、シティア様は王女様だから、元々遠いのはわかってますけど……」
当時シティアは15歳で、ライフェですらもう14歳だった。もちろん二人とも子供だったが、13歳のユウィルには、二人が自分よりも随分大人であるように思えた。
まるで大人同士の会話についていけずに隅で黙って立っている子供のように、ユウィルは王女の話に疎外感を覚えたのだ。
独白するようなユウィルの言葉を聞いて、シティアはお姉さん風を吹かせて、小さく微笑んだ。
そして窓の縁から腰を上げると、ユウィルの座っている椅子の後ろに立って、そっと少女を抱きしめた。
「シティア様……?」
驚いて顔を上げたユウィルの耳元で、シティアは目を閉じて優しく囁いた。
「それでも、私を闇の中から助けてくれたのはユウィルなのよ」
「シティア……様……」
頬を赤らめて、ユウィルは恥ずかしそうに俯いた。
あの後、国に戻ったシティアは、サリュートやエデラスの期待を余所に、また昔のような笑顔を見せない、冷たい少女に戻っていった。
周りが変わらなかったからだ。
仕方のないことだろう。例えシティアが旅をし、善い人たちと出会い、喜びを知ったとしても、ウィサンの者たちはその間中、今まで通りの生活を送っていたのである。
人は環境によって作られる。結局シティア一人変わったところで、新しい友達ができるわけでもなければ、陰口が減るわけでもなかった。
それどころか、国に戻ってきたことを疎ましがる声もあり、シティアは傷付いた。そして以前にも増して自らの殻に閉じこもり、人間を嫌いになってしまった。
それから一年が過ぎ、シティアはユウィルと出会った。
ユウィルは評判の悪い王女に臆することなく、積極的に話しかけたが、その頃にはすっかり人間不信に陥っていた王女は、元々持っていた魔法使い嫌いも重なって、そんなユウィルの行動を疎ましく思った。
そしてついには、本気で彼女を殺そうとしてしまった。
出会った日のことを思い出して、シティアはギュッとユウィルを抱きしめる手に力を込めた。
「ごめんなさい……」
「えっ?」
シティアの呟きを聞き逃して、ユウィルは顔を上げて聞き返した。
王女は「何でもない」と首を振ると、明るい声を出した。
「まあ、そんなわけだから、私はユウィルが一番の友達だって思ってるわよ」
それは嘘偽りのない、彼女の本心だった。
屈託のない魔法使いの少女と出会い、シティアはライフェと出会ったときのように自らの殻を破った。
もちろん、だからと言って、周囲の目が変わったわけではない。評判を落とすのは簡単だが、取り戻すのは難しいのだ。
それでも1年前とは違い、強い心でいられるのは、すぐ近くにユウィルがいてくれるからだった。もちろん再び会う気はあったが、どちらかというと一期一会的な出会いだったライフェと比べて、身近にいてくれる少女の存在は、シティアに言葉ではとても言い表せないほどの安心感をもたらしていた。
ユウィルが顔を赤らめて俯いているのを見て、シティアは何だか気恥ずかしくなり、冗談めかすように抱きしめた少女を椅子から引きずり落とした。
「きゃっ!」
いきなりの攻撃に、呆気なく床に転がり落ちたユウィルが非難の眼差しを向けた。
「ひどいです、シティア様!」
「油断してるからいけないのよ」
よくわからないことを言いながら、シティアは空いた椅子に腰掛け、再び机に向かった。そういえばライフェに返事を書いている最中だった。
「私はお友達と会うのに、一々警戒なんてしたくありません!」
頬を膨らますユウィルに笑いながら謝ると、少女はふてくされたような顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。シティアが照れているだけというのがわかったのだろう。
そうこうしていると、不意に部屋のドアがノックされ、外からタクトの声がした。
「シティア王女、ユウィルがこちらに来ていませんか?」
まるでシティアの話が終わるのを待っていたかのようなタイミングだった。
いや、実際待っていたのかも知れない。彼がユウィルを供として連れてきたのは、シティアに会わせるためだったのだから。
ユウィルは大きな声でタクトに返事をすると、シティアに向き直った。
「それではあたし、そろそろ行きます。今日はお話聞かせてくれて、ありがとうございました」
シティアは綺麗な笑顔で首を振った。
「ううん、いいのよ。私も楽しかったわ。来てくれてありがとう、ユウィル」
「はい!」
元気に返事をし、一度頭を下げると、小さな魔法使いの少女は部屋を出ていった。
シティアはしばらく二人の足音が遠ざかっていくのを聞いていたが、やがて思い出したようにペンを取ると、その先にインクを付けた。
あの蒼い髪の少女は元気だろうか。強くなっただろうか。
一年前のことがつい昨日のことのように思え、書きたいことが次から次へと頭に浮かんでくる。
一度窓の外に目を遣ると、夏の午後の、突き抜けるような青空が広がっていた。
あの日、ライフェやサリュートと見た空と同じ色。
「私は、シティアといると楽しいし、シティアが好きだし、お友達だと思ってた。違うの?」
不意に昔ライフェに言われた言葉が脳裏をよぎった。
大会初日の夜、出会った日の酒場でライフェはそう言って、涙をこぼした。
シティアは何も答えることができずに、ただ黙って俯いていた。ライフェに悲しい思いをさせてしまった。
でも、今ならはっきりと言える。
「私もライフェのこと、大切な友達だと思ってます……」
シティアはにっこりと微笑むと、青空から視線を戻した。
『 親愛なる友、ライフェへ
ウィサンのシティアです。
こちらは今、立っているだけで汗をかくほどの陽気に包まれていますが、この手紙が着く頃には、そちらは雪が降っているでしょうか。
剣術大会のときは、素性を偽っていてごめんなさい。
こんな性格でも一応王女なので、立場上、たとえ相手がライフェであっても言うことができませんでした。
いつかは伝えなければと思っていたのですが、結局私の方から手紙を出さなかったことを申し訳なく思っています。
国に戻ってからまた独りになってしまっていたので、心に余裕がありませんでした。
でも今は大丈夫です。
最近、ユウィルという女の子のお友達ができました。
ライフェも知っていると思いますが、ヴェルクのハイス王の許にいた魔法使い、タクト・プロザイカの弟子の女の子です。
とても元気で明るくて、そして強い子なので、ライフェもきっと好きになると思います。
いつかまた、サリュートも交えてみんなで会える日が来るのが、今の私の一番の願いです。
そういえば、剣術大会は結局ライフェが優勝者ということになったみたいですね。
あなた自身は複雑な心境だと思いますが、とりあえずはおめでとうと言わせてください。
あの日の約束のことはもちろん覚えてますし、ちゃんと守っています。
あ、たった一度だけ負けてしまったことがありますが、相手が人間ではなかったので見逃してください。
ライフェは負けていませんよね?
私以前にライフェが負けてしまっては、約束も何もなくなってしまいますから。
強くなったあなたと、もう一度戦ってみたいです。
もちろん私も、あれからさらに強くなりました。
ライフェにも誰にも負けませんから覚悟してください。
再びどこかで会えることを、心から楽しみにしています。
くれぐれも身体にだけは気を付けてください。
ウィサンの剣士 シティアより 』
手紙を書き終え、シティアは優しい眼差しで微笑んで、そっとペンを机に置いた。
部屋に入り込んできた風につられるように顔を上げると、窓の外は西の空が焼け、ほのかに赤らんだ雲が薄くたなびいている。
長い夏の一日が終わろうとしていた。
Fin
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