そんな人々の熱狂的な声援に応えるように三回戦も圧勝したライフェが、スタジアムの壁にもたれて立っている赤髪の少女に声をかける。
「なんだか不機嫌そうですね、シティア」
ライフェの言葉通り、シティアは険しい表情をしていた。瞳も半分しか開かれておらず、まるで何かを睨み付けているようである。
サリュートとの関係が悪化したのではないかと心配したライフェだったが、彼女が不機嫌な理由はもっと単純なものだった。いや、不機嫌ですらなかった。
「寝不足なのよ」
聞くと、昨夜ライフェと別れてレアルの家に戻ると、家主の妻と息子に熱狂的な歓迎をされたらしい。
それも仕方のないことだろう。二人とも、まさか優勝候補と謳われた相手を、自分の家で寝泊まりしている小さな少女が打ち倒すとは思ってなかったのだ。
感動冷めやらぬ二人はシティアを質問攻めにし、いつもなら頼る幼なじみとは喧嘩中だったために助けを求めることもできず、結局寝たのは街が静まり返ったなお後のことだった。
話を聞いて、ライフェは可笑しそうに破顔した。
「体調管理も剣士の務めよ? 大丈夫なの?」
シティアは「愚問ね」と嘲笑って、腕を組んで目をつむった。
「今日は恥をかかせる相手もいないし、瞬殺して帰って寝るわ」
「ふふ。期待してますね」
頼もしげにシティアを見上げて、ライフェが顔をほころばせた。
それからしばらく二人で談笑して、やがてふっと話をやめてシティアが目を開けた。
「さてと。そろそろあの男の出番ね」
昨夜の青年、フラウスのことである。
場内が昨日のシティアの戦いの時のような緊張感に包まれていた。いよいよ第二の優勝候補の出番が近付いてきたからである。
「ウォジーってどんなヤツなの?」
研究熱心な少女にそう尋ねると、ライフェは「う〜ん」んと唸ってから、
「普通に強いです」
そう面白味のない返事をした。
ウォジーは傭兵稼業をしているらしい。一般に、城の兵士より傭兵の方が実戦では強いとされているが、平和なこのご時世である。実戦経験も兵士のそれとそう変わりないだろう。
それが証拠に、ライフェは昨日のヴリーツの動きを思い出すようにして付け加えた。
「二回戦の戦いを見た限りでは、たぶんヴリーツの方が強いですね」
「ふ〜ん。じゃあ、私が優勝ってことね。そのヴリーツを倒したんだから」
そう言ってから、さらに楽しそうにライフェを見下ろして、シティアは意地悪な笑みを浮かべた。
「あ、フラウスがいたっけ。決勝戦は苦戦しそうね」
ライフェが唇を尖らせて、拗ねた子供のような声を出した。
「シティアと決勝で戦うのは私です」
予想通りの反応にシティアが可笑しそうに笑った。
不意に場内がどよめいて、二人は舞台を見た。舞台にはすでに昨年三位のウォジーと、赤毛の挑戦者が立っていたが、どよめきの理由はウォジーのせいではなかった。
赤毛の青年が、舞台の外に向かって剣を突き出していた。まるで目の前の対戦相手など気にもしていないように。
そしてその剣の差す先に、昨日優勝候補を撃破した少女がいた。観衆が驚くのも無理はない。
「あの人、恥ずかしいことをしますね」
観衆の視線を一身に浴びて、ライフェが困ったように言ってシティアを笑わせた。
シティアは不敵な笑みを浮かべたまま、顎で彼の対戦相手を差した。
ウォジーがあからさまに無視されて顔を真っ赤にしている。それくらいで精神を乱すようでは大した男ではないとシティアは思ったが、まあフラウスの実力を見るのには不足ない実力者のようだ。
「貴様、いい度胸だ」
ウォジーが烈火のごとく目を怒りに燃え滾らせて青年を睨んだ。
青年は飄々としてその視線を受け止める。
やがて審判が手を上げると同時に、フラウスが先に仕掛けた。
「速いっ!」
ライフェが驚いて声をあげた。
この大会随一のスピードを誇るライフェが仰天するほど、青年の身のこなしは速かった。
彼が繰り出した剣をウォジーは真っ向から受け止め、それを弾き返すと、お返しと言わんばかりに豪快に剣を振り下ろした。
シティアやライフェであれば、恐らくそれは避けて躱しただろう。けれど青年は彼の豪腕を剣で受け止めると、再び切っ先が見えないような速さで剣を振るった。
それを横っ腹にもろに食らって、ウォジーがよろめく。フラウスはさらに傭兵の太い腕に剣を叩き込んだ。
「強い……」
ライフェの震える声がした。ちらりと隣を見ると、蒼髪の少女は先程までの余裕はどこへやら、呆然と立ち尽くしていた。
昨夜のフラウスの発言は、決して己惚れではなかった。彼はライフェと同じだけのスピードと、そしてあの傭兵の攻撃を真っ向から受け止める腕力を持っている。
先程の一撃で剣を落とさなかったのはさすがだったが、フラウスの息を吐く間もない連続攻撃に、ウォジーは防戦一方だった。やられるのも時間の問題だ。
シティアは一度目を閉じ、深く息を吐いた。
ライフェはあの男に勝てない。
そう確信した。
そして恐らく、使い慣れていない剣を持ち、ルールという足枷を付けたシティアにも、彼に勝つのは難しいだろう。
やがて場内からわっと喚声が上がって、ウォジーの敗北を告げる審判の声がした。
フラウスはぺこりと一礼した後、真っ直ぐに二人の元へやってきた。その様子に場内が再び騒然となる。
彼は険しい顔で怯えたように震えている少女の横を素通りし、シティアの前に立った。
「あなたはいつも余裕そうですね」
あなたは、と比較したのはライフェのことである。震える彼女とは対照的に、シティアは悠然と立っていた。そして昨日舞台でヴリーツに言った言葉を、まるでライフェを諭すようにもう一度口にした。
「気を乱した時点で負けるのよ」
ライフェがはっとなって顔を上げる。
フラウスは「さすがですね」と笑った。
「あなたは戦っているときに決して内心を顔に出さない。今もあなたが僕に勝てると思っているのか、それとも本当は怖がっているのか、全然わかりまんよ」
「それはあなたも同じじゃない? いつもそうして笑っているから」
「なるほど」
青年は楽しそうに笑った。
「それでは、たぶん大丈夫だと思いますが、つまらない相手に負けないでくださいね。決勝でお会いしましょう」
それだけ言うと、酒場で会ったときのように彼は背を向けた。
シティアは無言でその背中を見つめていたが、意外な場所から彼を呼び止める声がして、驚いて顔を上げた。
「私は負けません!」
弾かれたようにライフェを見ると、彼女は両手を握りしめて、唇をかんでいた。
フラウスが、眼中になかった少女を見据える。
「相手の実力がわからないと、実戦では生命を落とすことになりますよ」
無表情でそう諭したが、ライフェは大きく首を左右に振って怒鳴った。
「私は勝ちます! あなたにも、シティアにも。優勝して国に帰ります!」
それだけ言うと、居たたまれなくなってライフェは駆け出した。
悔しさのあまり、涙が込み上げてきた。
決して内心を表さず、常に余裕の表情を浮かべて笑っている二人。
それなのに自分は動揺を隠し切れず、怖くて震えていた。戦う前から負けていた。
親に置いていかれた子供のような気分になった。それが情けなくて、幼い少女は走りながら鳴咽を洩らした。
表に赤い印をつけられた自分が、まったく無名の二人に負けるわけにはいかない。
ヴリーツやウォジーのように、無様な姿を晒したくない。
勝ちたい。
勝つ。
フラウスにもシティアにも。
ライフェは泣きながら強く心に誓った。
その後舞台に立ったシティアは、ライフェに宣言した通り、まったく時間をかけずに三回戦を圧勝した。
午後になり、再びシティアの前に元気な姿を現したライフェは、教科書のような戦い方で四回戦を制した。
フラウスと比べれば確かに落ちるかも知れないが、やはりライフェは招待者としてふさわしい強さを持った少女だった。もう2年すれば、第15回大会当時のレミーナを超えるだろう。
フラウスは対戦相手が放棄したために不戦勝となり、シティアも初めから戦意を喪失していた相手の剣を一撃で払い飛ばした。
ヴリーツとウォジーが序盤に消えたことで、観衆も他の参加者でさえ、今年の優勝者はシティアとフラウスのどちらかだと思っていた。
もはや圧倒的な力を持った彼らに勝てるものはない。待遇された五人の内、最も強い二人が破れたのだ。他の三人も結果は見えているだろう。
恐らくスタジアムにいるすべての人間がそう考えていた。
彼らはまだ知らなかった。
ハイデルの少女が「天才」と呼ばれている理由を。
フラウスやシティアでさえ、知らなかったのだ。
大会二日目は、ウォジーが破れた波乱こそあったものの、その後は勝つべき者が勝ち、何事もなく終了した。
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