第17回武術大会優勝者決定戦。
今年その舞台に立ったのは、幼い二人の少女だった。
まだ16歳だったレミーナと、やはり20にも満たない青年だったストリアが戦った第15回大会と同じくらいの、いやそれ以上の興奮が会場を包み込んでいる。
一人は遠くハイデルの地から、特別招待者として参加した少女だった。彼女は幼くして天才と呼ばれ、ウォジーを軽くひねり倒したフラウスを、その名に恥じない戦いで破り捨てた。
ライフェは鎧を着けず、最も軽い剣を持って舞台に上がった。沸き起こる歓声。少女はそれに応えるように軽く剣を掲げた。
もう一人は緋色の髪を春風になびかせ、ライフェと同じ軽装で舞台に立った。
少女は今大会で最有力視されていたヴリーツを二回戦で撃破し、それ以降はまったく危なげない戦いで決勝まで勝ち進んだ。
湖の街ウィサンの王女だが、それを知る者は限りなく少ない。
彼女が舞台に上がると、観衆がどよめいた。ところどころから彼女を罵声する声が飛び、ライフェが顔をしかめて口を開いた。
「シティア。準決勝で相手を戦闘不能にしたって、本当ですか?」
その声にはあからさまな批難の色が見て取れた。
観客席から応援する声が、ほとんどライフェの名前を呼んでいるのもそのためである。
シティアは平然と答えた。
「フラウスに三位決定戦を勝たせてあげたくてね」
「彼が怪我をしたのはやむを得なかったことです! けれどシティアがしたのは必要のない暴力。私は、シティアがそんなことするなんて信じられません!」
ライフェが声を荒立て、シティアはそんなライフェの正義感に苛立ちを覚えた。彼女は奇麗事が好きではなかったのだ。
「フラウスは知り合い。勝たせてあげたいと思った私の、どこが間違ってるの?」
あまりにもシティアが自信に満ちた顔をするので、ライフェは自分が間違っているのではないかという不安に駆られた。
「そのためには他の人が犠牲になってもいいと言うのですか!?」
自らを鼓舞するように声を張り上げる。
けれど、そんな少女に、シティアは薄く笑って頷いた。
「そうよ」
ライフェはまるで心が砕けるような衝撃を受けた。
「シティア、私……」
何か言いかけて、少女は言葉を切った。何を言えばいいのかわからなかったのだ。
言葉の代わりにあふれてきた涙を服の袖で拭うと、悲しみを堪えるように唇をかんだ。
シティアはそんな少女の様子に罪悪感を覚えて、困ったように息を吐いた。
「あの人、私に反則技を使ってきたの。それで腹が立ったっていうのもあるわ。普通の人になら、あそこまではしなかったわよ」
嘘ではないが、本当とも言い難かった。例えそうでなくても、彼女はフラウスのために相手を叩きのめす気でいた。
それで少しは気が楽になってくれるのではないかと思ったシティアの予想に反して、ライフェは俯いたまま何も言わなかった。
ズキリと胸が痛んで、シティアは悲しげに瞳を揺らした。
「ごめんなさい、ライフェ。そんな顔をしないで。私を嫌いにならないで」
思わずそう言いそうになった言葉をぐっと喉の奥に押し込んで、シティアは頭を振った。
嘘を吐いた自分を好きになってもらっても仕方ない。本当の自分など、どうせ誰も好きになってはくれないのだ。
一瞬悲しみがよぎったが、すぐに消えていった。彼女は孤独に慣れていた。
「さ、そろそろ戦いましょう。そんな顔をしていたら、私には勝てないわよ」
明るい声を出すと、ライフェが顔を上げた。怒りや戸惑い、悲しみ。そんなものが混ざり合った複雑な顔だった。
「シティア。私は、シティアが好きです!」
剣を構えた赤毛の少女に、ライフェは自信を持ってそう言った。
「ライフェ?」
驚いた顔をしたシティアの目を、ライフェは強く信じる瞳で真っ直ぐに見据えた。
「人には色んな顔があると思うんです。だから、私に明るく笑いかけてくれたあなたを、あの笑顔を、嘘だったなんて思いません! 綺麗なところも汚いところも、全部含めて、私はシティアが好きです!」
まるで自分に言い聞かせるように言い放つと、ライフェも同じように剣を構えた。
もう迷いのない、吹っ切れた顔をしていた。
「ありがとう、ライフェ」
様々な感情を込めて、シティアは一言そう言った。
審判がゆっくりと開始を告げて、二人は同時に舞台を蹴った。
過去の戦いにおいて、レミーナとストリアの対決は記録的な長さを誇っているが、決勝戦は一般的に事前の盛大なパフォーマンスの割にあっさりと幕を閉じる場合が多い。
両者の力関係もあったが、例え力が均衡していたとしても、二人が持てる限りの力を振り絞って戦ったときに持久戦になることはまずないからだ。
今大会においても、やはり短期決戦が予想された。シティアの体力はボークスとの戦いで証明されている。戦いが長引けばライフェが負けることは観客にもわかっていた。
恐らく勝負はすぐにつく。観客が息を呑み、風の凪いだ海のように静まり返った。
鎧を脱ぎ捨てたライフェのスピードは、神速と言って良かった。
だが、シティアのそれも彼女の足と互角以上に速かった。
ぶつかり合った剣が火花を散らし、二人は足を止めて打ち合った。
ライフェの方がやや優勢だったが、それに気が付いた者はごく一握りだろう。彼女たちの動きは、もはや素人の目で追えるものではなかった。
時々身を斬り裂かれながら、シティアは内心で鋭く舌打ちをした。
本当に稀にだが、ライフェに隙ができる。だがその隙に付け入るには、彼女は規則を破らなければならなかった。
かつてゼラスが禁を犯して相手を殺してしまった気持ちが良くわかった。
思わず剣を突き出しそうになり、一瞬躊躇したシティアの腹部を、ライフェの剣が鋭くえぐった。
「うっ……」
服が裂け、赤く滲む。
「せぁっ!」
痛みによろめいたシティアに、さらにライフェは気を吐いて剣を繰り出した。
スッパリと切れた右肩と頬から血が流れた。頭への攻撃は禁止されているが、意図的に狙ったものでなく、他の部位への攻撃の際にたまたま当たってしまったものは許されている。
シティアは痛みを堪えて思い切り剣を振り上げたが、ライフェはそれをあっけなく躱した。続け様に放った斬撃もすべて躱される。フラウスのときと同じだった。
その間、ライフェはずっとシティアの目を見続けていた。彼女はシティアのわずかな目の動きで、次の攻撃をすべて読んでいるのだ。
「わかったわ、ライフェ」
連撃を繰り出しながら、シティアが声をあげた。
「何がですか?」
そのことごとくを受け止めてライフェが答える。
シティアは不敵に笑った。
「私も奥義を披露してあげるってこと」
そう言うや否や、シティアは目を閉じた。そして素早くライフェに斬り付ける。
「シティア!」
ライフェはそれを辛うじて受け止めたが、次の一撃は止められなかった。
剣の速度が、ライフェが事前に察知しないで反応できる速度を越えたのだ。
「うっ!」
二の腕を斬り裂かれ、ライフェは大きく横に跳んだ。そのライフェに、素早くシティアが襲いかかる。
「そ、そんな!」
ライフェは驚愕に眼を開いた。彼女は目を閉じているはずである。
疑問に駆られ、彼女は向かってくるシティアに攻撃をしかけた。
するとシティアは、まるで見えているかのように正確にそれを受け止めると、さらに踏み込んでライフェに斬りつけた。
気配だけで相手の動きを察知する技、心眼。闇の中でも戦うことのできる、シティアの究極の技だった。
「きゃっ!」
先程の無理な体勢で打った、実験的な攻撃が仇になった。
肩から胸にかけて鋭い痛みを覚え、ライフェは思わず苦痛に顔をゆがめた。
目を開けると、すぐそこにシティアの凶刃が閃いていた。
天才の少女が負ける。
恐らく誰もがそう思っただろう。
しかし次の瞬間、大きく弾き飛ばされていたのはシティアの方だった。
ライフェが体当たりをしたのではないかと誰もが疑った。剣術大会において、もちろんそれは禁止されている。
けれど、そうではなかった。
床に投げ出され、すぐに体勢を立て直したシティアの胸から血が流れていた。ライフェが肩に受けたもの同様、傷は浅いようだが、一体少女が何をしたのか。受けた本人以外の誰にも理解できなかった。
「ライフェは、そういう凶悪な技をいとも簡単に使ってくるわよね」
シティアが呻くように言った。
ライフェは自らの受けた傷を押さえながら、楽しそうに微笑んだ。
カウンター攻撃。一言で言い表せばそれだけだが、相手の剣の威力を最大限に利用して、ひねりこむようにして斬り上げるそれは、恐らくライフェ以外の誰にも使えないだろう。
「シティアこそ、まさかこの世の中に、相手を見ないで戦える人がいるとは思いませんでした。そういう戦い方を考え付きもしませんでした」
「夜の森は暗いからね」
よくわからないことを言って、シティアはうっすらと笑みを零した。
「でも、やっぱり私が勝ちます!」
他にもまだ技を持ち合わせているのか、自信たっぷりにそう言って、ライフェは再び彼女に斬りかかった。
その時だった。
シティアはほんの一瞬会場の隅に目を遣ると、身を屈めてものすごい勢いで回し蹴りを放った。
「えっ!?」
驚愕に目を見開いたまま、ライフェは強く足を払われて転倒した。その拍子に剣が彼女の手を離れ、滑るように舞台から落ちる。
誰しもが目を疑った。もちろん体術は反則である。
「シティア!」
ライフェがすぐに起き上がり、批難の眼差しを向けた。同じように審判が舞台に上がって彼女に詰め寄ったが、シティアはそんな二人に動じることなく、スタジアムの一点を凝視したまま厳かに言い放った。
「どうやら、あの男が動き出したみたいね」
彼女の視線の先、観客席の一角から煙が上がっていた。シティアの隣に立ち、ライフェが顔を強張らせた。
「ゼラス……」
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