受け付けで参加証と大会規則の書かれた紙をもらった後、一緒に食事でもどうかという話になったのだ。
酒場など今まで一度も入ったことがなかったシティアは、ドアを開けた途端、内側からあふれてきた熱気と酒臭さに酔いそうになった。
恐らく一緒にいたのがサリュート一人だったら、八つ当たりの一つでもしていただろうが、何事もなかったように平然と店内に入っていく少女が一緒だったので、我慢してそれに続いた。
あまりの喧騒と熱気に頭がクラクラするのを堪えながら、ライフェに平気なのかと尋ねると、彼女は「父とよく来るので」と楽しそうに笑った。先程の貫禄が嘘のような柔らかい微笑みだった。
少し待ってから空いた席に座り、三人は食事を注文した。
もっとも、三人はと言っても、シティアはよくわからなかったのでサリュートと同じものを頼んだだけだが。
初めに出された水を一口飲み、人心地ついてから、シティアはライフェに質問した。
「ねぇ。さっきの人たち、あなたにえらくへりくだっていたけど、ライフェはこの城の隊長か何かなの? 大会にも参加するようだけど」
あれだけ横暴な態度を取っていた兵士たちが、一転してペコペコしていたのだから、目の前の少女はきっとこの国の偉い立場の娘に違いない。
そう思っていたのだが、ライフェは小さく「違います」と答え、シティアを仰天させた。
「私はハイデルから来ました。父はハイデルの騎士団長で、リゼックと言います」
ハイデルとは大陸の北東にあるフルースベルク半島にある街である。詳しくは知らなかったが、少なくともウィサンより大きいのは確かだろう。
それにしても、直接マグダレイナとは関係ない国の娘に、何故彼らが頭を下げていたのか。
シティアが首を傾げていると、ライフェが恥ずかしそうに説明を始めた。
「それは、私が特別参加だからだと思います」
「特別参加?」
「はい。私は参加者としての招待を受けたのです」
話では、マグダレイナは来賓として各国の王侯貴族を招待するだけでなく、名のある剣士に参加要請もしているらしい。
もちろんそれは、大会の質の向上のためである。かつての優勝者であるレミーナもその一人だった。シティアは初めて知ったのだが、レミーナはメイゼリス王直属の部隊の隊長なのだそうだ。
普通、国の宝とも言える名うての戦士にもしものことがあっては困るので、あまり参加する者はないが、レミーナも含めて、時々参加表明する者もあるそうだ。
恐らく裏で莫大な金が動いているのだろう。シティアはそう勘ぐったが、目の前の少女に限っては金で動いているようには見えなかったので黙っていた。
代わりにシティアは羨望の眼差しをライフェに向けて、はしゃいだように声をあげた。
「じゃあ、そんな招待を受けるくらいだから、ライフェってすごく強いのね!」
「ど、どうでしょう……」
あまり自分に自信がないのか、少女は恥ずかしそうに俯いた。
これはライフェから直接聞いたことではなく、後から人づてに知ったのだが、彼女は幼くして「剣の天才」と言われるほどの剣士だった。
父親であるリゼックも並々ならぬ腕の持ち主だったが、そのリゼックに真剣勝負で打ち勝った。ライフェがまだ11歳のときである。
それは彼女の生まれながらにして持っていた素質だった。もちろん、人並み以上の稽古に励み、毎日のように剣を振るっていたが、彼女は自分で苦労したと思ったことがなかった。
剣士としての天性の素質。それゆえ彼女は「天才」と呼ばれていたのだ。
ウェイトレスが運んできたトマトパスタをフォークですくい上げながら、ライフェが話を変えるように言った。
「シティアさんはどちらからいらしたんですか?」
あまりにも丁寧な口調に、シティアは「呼び捨てでいいよ」と笑ってから、隣の青年を見た。
サリュートはせっかくシティアが楽しそうに話しているのだからと、無言で挽肉のシチューをすすっていたが、シティアの視線に気が付いて手を休めた。
どうやら彼女は本当のことを言っていいものかどうか、判断つけかねているらしい。しかも咄嗟に良い嘘を吐けるほど人生経験を積んでいないので、もし王女であることを黙っているとしても、一体なんと説明すればよいのかわからないようだった。
仕方なくサリュートは、わざとらしく神妙そうな顔をしてライフェを見遣った。
「実は私たちはエルクレンツのヴェザート家の者で、ご覧の通り貴族です」
「は、はぁ……」
困ったようにライフェは表情を崩した。「ご覧の通り」と言われても、二人ともとても貴族には見えない。
時々シティアの仕草や食事の仕方に高貴さを感じはしたが、なるほどその辺りが貴族なのかも知れないと、ライフェは無理矢理自分を納得させた。
そんな少女の向かいの席で、シティアはヴェザート家など聞いたこともないと、懸命に笑いを堪えていた。そして、自分はここではシティア・ヴェザートなのだと言い聞かせる。
彼女の隣でサリュートが目を閉じ、申し訳なさそうな顔をした。
「彼女の父親がそれはもう甘い人で、おかげでシティアもこんな短気で我が儘に育ってしまって。それがあの騒ぎです。ライフェ殿にはなんとお礼を言って良いものか」
あまりにも白々しくそう言った幼なじみに、シティアは柳眉を逆立てた。
「なんですって!」
今にもテーブルを叩いて立ち上がりそうな勢いだったが、サリュートは楽しそうに笑っただけだった。
「そういうところが短気だって言ってるんだよ」
「うっ……」
思わず何か言いかけたシティアだったが、やはり言い返す言葉がなく、悔しそうにシチューをすすった。
歳は一つしか違わないのだが、口では絶対にこの青年に勝てない。
彼女に出来ることと言えば、テーブルの下でサリュートの足を思い切り踏みつけてやることくらいだった。
ライフェはそんな二人を楽しそうに、羨ましそうに見つめていた。
それから三人は他愛もない話をして楽しんだ。
やがて食事を終え、会話が途切れると、ライフェがふと思い出したように聞いた。
「そういえば、お二人は今日はどちらに泊まるのですか? すでに宿を取ってますか?」
言われて初めてシティアは、自分が泊まる場所などまったく考えていなかったことに気が付いた。
これまでの旅でも、シティアはそんなことは気にしたことがなかったし、黙っていればエデラスが用意してくれていた。
すがるように隣の青年を見ると、サリュートはおどけたように首をすくめた。
街に入ってからずっとシティアと一緒にいた青年が、宿を取っているはずがない。
「この時期だから、もうどこの宿もいっぱいだろうね」
サリュートがいとも簡単にそう言って、シティアは「じゃあどうするのよ!」と声を荒げた。
二人のやり取りを聞いて、泊まる宛てがないことを察したのだろう。ライフェがおずおずと申し出た。
「もしよければ、私と一緒に来ませんか? お城に泊めていただいてるのですが、お二人はれっきとした貴族ですし、話せばきっと泊めてもらえると思いますが」
「あ、それはいいわね!」
願ったり叶ったりだとシティアは目を輝かせたが、サリュートがやんわりと断った。
「ありがとう、ライフェ。でも、さすがに城に行くのは気が引けるから、大丈夫。こっちで何とかするよ」
「そうですか……」
ライフェは名残惜しそうにしたが、それ以上何も言わなかった。
シティアが「どうして?」という顔でサリュートを見たが、すぐに気が付いたのだろう。一瞬でも喜んだ自分に対して苦い顔をした。
城になど行けるわけがないのである。元々ヴェザート家は架空の貴族だし、城にはエデラスもいる。
嘘が暴かれ、正体が知られること自体は問題なかったが、シティアが王女だと知られれば、大会への参加は絶望的になるだろう。
小国とはいえ王家の娘にもしものことがあれば、国家規模の問題に発展するからだ。
「それでは、そろそろ帰りましょう」
ライフェがそう言って席を立ったときだった。
派手に何かの倒れる音とともに、ガラスの割れる音がけたたましく店内に響き渡った。
見ると一人の青年がテーブルごとひっくり返っており、彼の母親と思われる女性が怯えたように震えていた。
そんな二人を見下すようにして、顔を赤くした三人の男が立っている。どうやら青年は彼らに殴られたらしい。
「貴様! 人の足を踏んでおいて、詫びの一言もないのかっ! 表に出ろ!」
完全に酔っ払っているようである。
彼らの手が青年に伸びるより早く、ライフェが動いていた。
「あなたたち、それくらいにしておきなさい」
風のような動きで青年の前に立ち、両手を広げる。突然の少女の乱入に店内がざわめいた。
シティアはサリュートに会計を済ませるよう言うと、平然と青年の許に行き、まるで男たちなど目に入らないような振る舞いで「大丈夫?」と声をかけた。
顔を殴られたショックで眩暈がするのか、青年は自分で立つこともできない状態だったが、それでも顔をしかめながらしっかりと頷いた。
まだ若い少女二人が青年に味方したこともあってか、店内のムードが乱闘歓迎から男たち追討モードに切り換わった。
酒と怒りに顔を真っ赤にして、男が怒鳴る。
「てめぇら、まとめて外に出ろ!」
吐き捨てるようにそれだけ言うと、彼らは周りの見物人に凄みを利かせながら店の外へ歩き始めた。同時に数人の男が席を立つ。どうやら三人ではなかったようだ。
けれどライフェはまったく臆することなく彼らに続き、シティアもワクワクしながら彼女の後を追いかけた。
呆然と立ちすくむ青年母子に、会計を済ませたサリュートがやってきて、「大丈夫ですよ」と小さく笑った。
マグダレイナの夜がにわかにざわめき出した。
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